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萌芽のきらめき・結実のとき

2017年秋号

萌芽のきらめき・結実のとき

幸せと生きづらさは背中あわせ
現役世代に届く政策をさぐる

柴田 悠
人間・環境学研究科 准教授

「いま、育休中なんです。私の研究は、だいたいいつも自分の人生とシンクロしているのです」。昨年から二冊の著書を上梓し、若手社会学者としてメキメキ頭角をあらわしている柴田悠准教授。統計データをもちいて政策効果を分析し、現実に役だてようとする姿勢は、穏健でリアリスティックな思索家を思わせる。少子高齢社会が現実のものとなるなか、すこしでも多くの人を「幸せ」にする政策はなにか。理を尽くして語る表情に、現代人の悩みへの真摯な洞察をみた

働きざかりの人口が減り、現役世代は高齢者を支えながら、カツカツの暮らしを強いられる。子どもを産んで育てようにも、都市部では保育所が満員で預けられない。日本の家族をとりまく環境は、男性にとっても女性にとってもきびしい。「『幸せ』をキーワードに研究していますが、裏を返せば不幸や悩みに関心があったのだと思います」。柴田准教授は、政策の実施が国民にどのような効果をおよぼすかを計量分析しているが、研究の原点は変わらない。それは「生きづらさ」への探究心だ。

研究テーマはいつも「自分事」

高校時代は理系選択で、もとは脳科学や宇宙に興味があった。浪人時代に生き方に悩むことがあって、やがて心理学や精神分析へと関心が移る。「最初から社会学をめざしたのではなくて、当時は学問の基礎というか、人の心を知りたかったんだと思います」。

統計データによれば、柴田准教授が京都大学に入学した1998年は日本社会のターニング・ポイントだった。97年のアジア通貨危機の影響で失業率が高まり、自殺者数は初めて3万人を超えた。労働力人口はピークを迎え、翌年から減少に転じる。家庭問題や不登校の増加など、経済だけでなく、日本社会そのものの問題があらわになった年だった。柴田准教授は、このころを境に日本社会が暗くなったのを肌で感じたという。「私の世代は就職氷河期まっただなかでした。生きづらさは他人事じゃなかったんです」。「他人事じゃない」という皮ふ感覚が、20年にわたって探求心の原動力になっているのはまちがいない。

柴田准教授の近著『子育て支援が日本を救う』(右)『子育て支援と経済成長』(左)
柴田准教授の近著『子育て支援が日本を救う』(右)『子育て支援と経済成長』(左)

哲学青年が考えた「生きづらさ」

生きづらさを知ることは、人の心を知ることにつながる。そんな思いに背中を押され、臨床心理士をめざして教育学研究科の院試を受けた。しかし、結果は不合格。「臨床心理学の知識の勉強は、私にはあわなかったんだと思います。もっと多様な視点をもちながら、ものごとを自由に考えたかったんです」。こうして、ものごとの根底を探究する哲学や、好奇心をなんでも受け入れる社会学へと関心が移る。浪人中に人間・環境学研究科の院試のための論文を執筆したときは、自由に考えるよろこびを感じたという。

一浪をへて、人間・環境学研究科に進学。自分と同じ、等身大の若者をテーマに選んだ。人間関係、不登校や引きこもりなど、若者をとりまく「生きづらさ」は山のようにある。その正体が知りたくて、日本社会を深く見つめはじめた。

回り道はむだではなかった

若者の就労環境に関心をもち、若年層の自殺を研究したことが柴田准教授の転機となった。自殺の理由は個人的なことばかりではなく、国や社会的な状況からも影響を受ける。OECD諸国の統計データを比較し、自殺率を減らす策を見いだせないかと研究した。すると、就労支援、とりわけ職業訓練が充実すると、偶然では説明しがたい確率で自殺率が下がることがわかった。うつ病対策などの対症療法だけでなく、人を苦境に追い込まない環境づくりこそが政策の役目ではないか。同じ考え方を出生率や女性労働にももちいられないかと考え、政策と社会状況の変化との因果関係を調べはじめた。

この5月に双子の女の子の父となった柴田准教授も子育て世代だ。おのずと、ことばに実感がこもる。「たいへんだとは知っていましたが、ここまでとは思いませんでした。公的な支援がもっとあれば、どんなに助かることか」。子育ては男性にとっても「自分事」になりつつある。保育サービスの充実は、人びとが安心して子どもを産み、職場復帰しやすい環境を整えるだろう。子どもや家庭への投資は、未来の社会への投資なのだ。

「生きやすい社会」にむけて、市民が議論をふかめるとき

今年になって社会政策学会から奨励賞を受け、ようやく政策研究者として一定ていど認められたと感じているという。「哲学から政策への方向転換が終わるまで、12年もかかりました。ようやく足場が固まったところです」。

政策効果の分析をはじめてからも、哲学をベースに置くことは変わらない。たしかな政策をつくるには、個人が無自覚に前提としているものを自覚化しながら議論し、おだやかに合意することが必要だ。「ものごとを柔軟に考えるのは、ほんらい哲学の領域です。私たちが無自覚のうちに前提として思いこんでいるものはなにか。まずはそこから疑って目の前に引っぱりださなければ、議論は深まりません」。

いま、日本の社会保障予算は高齢者福祉に傾いている。子育て支援にふりむけられる予算は、OECD平均の半分だ。税金をつかう人が増えるいっぽうで、税金を納める人の数は増えない。現実的に考えれば、子どもを育てないことは、将来の納税者を育てないことになる。シルバー・デモクラシーの批判が高まるなか、限られた財源をバランスよく分配するよう、高齢者と現役世代が歩み寄りを考えるときがきている。

日本の一般政府の支出と収入(対GDP%)

図 日本の一般政府の支出と収入(対GDP%)
一般政府(中央政府+地方自治体)の領域別支出と税・社会保険料収入(対GDP%)。2009年までは実測値、2012年以降は「社会保障と税の一体改革」を実施した場合の推計値。2009年には政府収入を社会保障だけでほぼ使い切ってしまうほどの事態に。柴田悠『子育て支援が日本を救う』(勁草書房、2016年)10ページから引用

若い世代の力になりたい

国会で意見を陳述する柴田准教授
いまや期待の専門家として、国会での意見陳述もこなす。2017年3月17日、衆議院文部科学委員会にて

学部生のころから「社会を変えたい」と思っていたが、政治に直接かかわったり、社会運動にくわわったりすることはなかった。性格も体力も、そういう活動にはなじまなかった。客観的な研究をすることで社会を変えられないか。「京大には、私のように『活動は苦手だけど、研究はできる』という人も多いような気がします。社会科学系の学問は社会をよくするためにあるのですから、私の本がいろいろな人の、それぞれの現場で力になればいい」。

学生たちを指導する立場になって10年。近年の学生は堅実な社会観のある人が増え、社会貢献意識も高いように感じるという。多感な時期に東日本大震災を経験し、人と人との支えあいが必要だと実感しているのかもしれない。

生活意識調査で「社会の一員としてなにか役にたちたいか」と問われ、「そう思う」と答える20代は、2000年代半ばから「考えていない」を上回っている。国や社会にもっと目を向けるべきだと答える人も、半数を超えている。

いまは社会を変えるといっても、「革命だ」と叫ぶこともなければ、「無理だ」とシラケることもない。活動的な学生は自分でアクションを起こすが、それもNPOなど地に足のついた市民活動だ。みぢかなところから、知り合いづてに社会貢献活動をはじめる人も多い。

今年の新入生は、現役入学ならば98年生まれ。浪人生だった柴田准教授が、生き方に悩んだころだ。「彼らにとって、社会は低調なのがあたりまえなんです。人生を遊びたおそうとは考えず、社会は問題にあふれているという考えをスタートラインにしているように感じます。私は、彼らの堅実さを肯定してあげたい」。柴田准教授の娘たちが成人するのは2037年。私たちは「生きやすい社会」をつくりあげているだろうか。

人間・環境科学研究科

1991年に設置された、大学院では比較的新しい研究科。前身は教養部で、文理融合と学際性を求める伝統がつづいている。共生人間学専攻、共生文明学専攻、相関環境学専攻からなり、部署を越えた教員の交流が活発だ。自由な学風を旨とする京大で、まさに「京大らしさ」をいちばん体現している部局かもしれない。

しばた・はるか
1978年に東京都に生まれる。2002年に京都大学総合人間学部を卒業し、2011年に人間・環境学研究科を修了。同志社大学政策学部、立命館大学産業社会学部の准教授などをへて、2016年から現職。近著に『子育て支援が日本を救う──政策効果の統計分析』(勁草書房)、『子育て支援と経済成長』(朝日新書)がある。

柴田准教授の人生年表

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