2015年11月26日(木) 京都大学留学生ラウンジ「きずな」サロン
「WINDOW構想」ってなんですか──総長に聞いてみよう
山極壽一 京都大学総長
熊谷誠慈 こころの未来研究センター 上廣こころ学研究部門 特定准教授
高木淳一 大学院情報学研究科 社会情報学専攻 生物圏情報学講座 博士後期課程1回生
金 智華 工学部3回生
「大学を社会や世界に開く〈窓〉としよう」。山極壽一総長の掲げた「WINDOW構想」は、京都大学の強みや特性を再認識し、目標とする新たな将来像を打ちだすもの。「野生的で賢い学生を育てたい」という山極総長らしいメッセージに、学内外から視線が集まっている。「なぜ、窓なんですか」。率直な疑問から始まったインタビューでは、山極総長が待望する「タフな学生像」が鮮やかに浮かび上がってきた
熊谷 ● 総長に就任されてから、「WINDOW構想」をすすめられています。大学を社会や世界に開く〈窓〉として位置づけようというものですが、なぜWINDOW〈窓〉なのですか。
山極 ● 日本の大学はこれまで「門」で語られることが多かったですね。「赤門」は東京大学の代名詞、大学に入るときも「狭き門」というでしょう。門は内と外とを分ける境界あるいは結界と考えられていて、「大学は社会とはちがう場」という意識で大学は運営されてきたと思うのです。そういう考えをやめて「窓」にしようと。
京都大学は24時間門を閉めることはありません。とくに北部構内は公道で、一般の方の出入りがある。窓を開ければ風が入るように人の往来を滑らかに、自由にしたい。
熊谷 ● 総長になって発案されたのですか。
山極 ● もちろんだよ。東京大学の濱田純一前総長の「FOREST」という行動目標に触発された。(笑)まず、ワイルドでワイズが頭に浮かんだ。これからは賢いだけではだめだ、タフで賢い学生を育てるべきだと。京都大学は学生中心の大学、その京都大学にふさわしい学生はワイルドでワイズであってほしい。
京都大学は、吉田山の麓にあって、東に少し歩めば西田幾多郎が歩いた哲学の道がある。北に向かえば今西錦司が思索を練った北山が連なる。西は鴨川がゆったりと流れる。学生も教員も、自然のなかでタフネスを鍛えて、思想を練ってきた。やはりワイルドでワイズだと「W」に注目した。あとはそこからの展開、あてはめかな。(笑)
熊谷 ● 構想の中核はワイルドでワイズ。ただ知識があるというワイズではなく、自立的に考えられるワイズダムを磨く、思索する力を養うのですね。京都大学には「自学自習」の精神があり、みずから知を追い求めることを重視する。では、いまの学生は、自学自習をどう考えて、大学や総長になにを期待しているのでしょうか。
高木 ● 私は博士後期課程の一回生で、動物の行動をデータ化して把握しようとしていますが、「実践してわかる」ことがだいじだと思っています。本や人の話を聞いて理解したつもりでも、いざ自然がいっぱいのフィールドに出ると現場はちがう。体験的に理解してからでないと発見もない。とりあえずなんでもやってみるようにしています。
山極 ● 周囲の人や自然状況などとバランスをとりながら自分で判断し、安全に行動することはフィールドでの原則の一つですね。
熊谷 ● 金さんは、高校を卒業してすぐに日本にこられたのですよね。
金 ● はい。中国の高校を卒業して、そのまま一回生から京大にきました。いまは大学の近くの「京都国際学生の家」に住んでいます。留学生と日本人がともに暮らす寮です。三回生ですから、まだ自分の研究はしていないのですが、寮の先輩からは、「先生に課題を指摘されてばかりで、自分のしたい研究ができない」という話をよく聞きます。私も将来、したいことができないなら、就職したほうがいいのかなと考えることがあります。
山極 ● 京都大学の自学自習は、「対話を根幹とした自学自習」です。自分一人で学ぶのではなく、話しあうなかで人の意見を聞きながら学ぶ。ですから、「京都大学ではディベートではなくダイアローグをだいじにしよう」とよく言っています。ディベートは勝負です。理論の正当性を示そうと、厳しい意見の応酬が必須です。ダイアローグは、自分が変わることが成果。話すなかで相手の意見も変わるし、自分にも新しい考えが生まれる。これがダイアローグです。対話を根幹とした自学自習が、そこにある。この伝統をまもってほしい。
「したいことができない」という若い人の声はよく聞きます。若いときはとくに、望む結果が出ない。結果は正直です。この場合は、振り出しに戻らなくてはいけない。
もう一つは、「したいことをさせてもらえない」。それは狭い考えかもしれない。直面する課題にみずから挑戦してみればよいと思います。その結果はどうか。すると、「したいこととできることがつながる」。私も回り道をしました。五年半勤めた犬山市にある財団法人の日本モンキーセンターは博物館で動物園だから、学芸員や飼育員のような仕事もしました。「したいことをさせてもらえない」と思ったこともあった。でも、おかげで見識が拡がって、違う分野の仲間も知識も増えました。それがのちのち自分の研究にすごく役だっています。
高木 ● いま、それを実感しています。私も基礎的な知識や経験が少なかったから、研究のお手伝いからはじまっています。ようやく自分の関心からはじめた挑戦では、望んだ結果が出ない。「結果的によかった」とあとづけで説明できるのですが、当時は大失敗がつづいていると思っていました。でも、「予想していなかった現象が起こった」とポジティブに捉えることで、同じ現象から大きな発見・財産が得られました。
山極 ● 初めはうまくいかないと思いますよね、「なぜこんなバカをしているのだろう」と。
高木 ● 近ごろは最短距離で成果を出すことがよいとされて、そうでないと「失敗だ」とする風潮があるような気がします。京都大学は失敗にみえることも、「だめじゃないよ」と包容してくれる校風を先人たちがつくってくださっている。
熊谷 ● 京都大学は、西田哲学や霊長類学など、世界に類をみない革新的な発想や学問が生まれてきた場所でもありますね。
山極 ● みなさんの研究分野では、なにが「革新的」だと思いますか。
高木 ● 私はバイオロギングという手法をつかって、発信器をつけた魚の行動を調べる研究をしています。
山極 ● 近年すごく伸びたよね。発信器やデータロガーがかなり小さくなった。
高木 ● いっきに伸びました。小型化の果たした役割は大きいですね。
山極 ● 生きものの体に埋め込むこともできるようになった。あれは革新的です。それまでは魚も鳥も観察が主体の研究だった。いまは活動をデータ化できる。観察する側の人間までもが鳥になり、魚になれる。
霊長類は、データロガーをつけなくても追いかけることはできるんです。もちろん、どこであろうとついて行かなくてはいけない点ではたいへんですがね。(笑)もっとも、データロガーをつかうと自分は行かなくてもデータをとれるから、データに溺れてしまいがちになる。でも、データがすべてではない。ここは注意しないといけない。金さんはどうですか。
金 ● 交通や物流の分野では、電気自動車。電気自動車でどういう新しい物流システムが形成されるのか、もっと広い範囲でつかわれることになるのかに関心があります。
山極 ● スマートシティ。
金 ● そうです。スマートシティは省エネだけではなく、より効率的なシティをめざすことになります。
山極 ● 効率だけを重視するとスマートで格好よくみえるが、おかしな目的にむかう可能性もある。
食事を効率だけで考えると、栄養価の高い丸薬をつくって食べれば、短時間ですむ。でも、「食事」は「こと」です。食事は「できごと」であり、食事をとおして、人と人とが気持ちを通じあわせて、関係を確認しあう場ですね。ところが、食事は道具であって、目的ではない場合が増えてきた。人の暮らしを考えるなら、人間にとって幸福な環境とはなにか、つねに考えておかないといけないね。
山極 ● 「イノベーティブ」を生みだすには、広い視野で、別の視点から考えなおすことも必要でしょう。多様な視点があってはじめて革新的な発想が生まれる。それには、気軽に会話できる異分野の人が身近にいる必要があると思うのですよ。
高木 ● ほかの分野の人と話すことの重要性は実感しているのですが、どうしたらそういう環境がつくれるのかですね。ラウンジをつくれば、人が集まって話しはじめるかというと、そうでもない気がします。
山極 ● 研究会、セミナーなどのイベントが学内でも多く開かれています。そういう場に積極的に出てはどうでしょうか。だれでも入れますし、発表者に質問もできます。私が学生時代、この大学にきて得をしたと思うのは、どの学部でも研究会がたくさん開かれていて、気軽にはいることができたことです。いまもそれは変わっていません。
熊谷 ● 私もそうでした。文学部の一回生のころは教育学研究科の院生のゼミに毎週参加していました。教員から発信するだけではなく、学生が意識的に飛び込んでほしい。しかし、たしかにいまは学生の積極的な行動を待つしかない部分もありますね。
山極 ● 行きづらいなと思いますか。
高木 ● 行きづらいと思っている人は多い気がします。
山極 ● 「直接聞きに行ったら嫌がられるだろう」と学生たちは勝手に思いこんでいますが、それは誤解です。先生がたは学生を待っています。私も学生がくるとうれしいから、時間をむりにつくってでも話を聞きます。教員にとって学生は、すべてをキャンセルするくらい重要なのですよ。
熊谷 ● かつては卒業すると定年まで同じ会社で働くことが定番でしたが、最近は多様化しています。高木さんもいちど企業に就職したあと、なにをすべきかをじっくりと考えられたのですね。
高木 ● 日本家屋を研究していた流れで、工務店で家を売る仕事に就きました。でも、「このままでよいのか」と考えることがあって、子どものころの夢を思い出したのです。「南極でペンギンの研究をしたい」という夢です。フラッと京大にきたら、「南極に行ったことのある先生がいる」と聞いて、コンコンと研究室をノックした。
山極 ● 最初の南極越冬隊長だった西堀栄三郎さんは京都大学の出身です。西堀栄三郎、桑原武夫、今西錦司という三人が、「初登頂の精神」という学術と探検とを結びつける運動を起こした。ただ山のてっぺんに登ろうというのではなく、アカデミックな関心をもって探検する。人がまだ見ていないものを見てやろうという精神です。それが京都大学のフィールドワークの精神にいまも受け継がれています。「南極をめざす」という高木さんの精神は、京都大学の伝統精神に合致していますね。アカデミックな関心をけっして忘れずにね。
熊谷 ● 「知の探検」ですね。私はブータンの研究をしていますが、ブータンやチベット、ネパール方面に目を向けたのは京都大学の登山部の方たちに多かった。中尾佐助、川喜田二郎、梅棹忠夫など錚々たる諸先生が学術調査を兼ねて山に登っている。知の探究心は、冒険・探検から生み出されたものがたくさんあります。
山極 ● 山や極地にかぎらず、iPS細胞でも人体や岩石でも、「だれもまだ知らない現象をみてやろう」という精神がもとにある。そこからすべてがガラッと変わる。その瞬間に立ちあうのが、研究者の至上の喜びです。一生のうちに一度か二度しかない体験。いつかそれがやってくる。「この道が正しかった」という体験をしてほしい。
熊谷 ● ようやくそこに足を踏み入れたと思ったら、先人がすでに踏み入れていて、「すごい人がいたものだ」といううれしさを味わうこともあります。
山極 ● あります。だれも考えついていないことなんて、なかなかありません。でも、それでよいのです。先人が見つけたことにたどりついた。それは大きな一歩です。「この感激をあの人は覚えたはず」という同じ地点に立つことができますから。
熊谷 ● 私がひたすら古文書を読んでいると、自分がはじめて足を踏み入れたと思った考えも、「すでに大昔のインドの人がこんなことを言っていた」という事実に巡りあう。そういう文献をつうじた対話もある。
山極 ● ダイアローグは、自分が話すだけでは成立しない。相手をそそのかして有効な意見を言わせないと自分を高められない。自己主張には他人の理解が必要です。主張がきついと反発を買うし、弱いと認めてくれない。バランスをとりつつ自分をどう表現するか、多様な状況に対応する。それには強さ、タフネスが必要です。それがワイルドな部分から出てきてほしい。
「冒険してみたい」という思いがないと、自分の世界だけで話が進んでしまう。相手の分野にはいってみる。ゴリラの群れには、人間の立場でははいれない。人間であることを捨てて、ゴリラになってみる。もちろんゴリラにはなりきれないが、むこうの世界に行ってみる冒険の精神が必要。それがワイルド。そこを強調したかったんです。
熊谷 ● 高木さんが会社を辞めて踏み込んだのも、ワイルド(冒険)の世界かもしれないですね。
山極 ● 金さんが日本にくる決断もワイルド、冒険だったと思う。
金 ● 私は、決断させられたという感じです。(笑)中学校から日本語を勉強していたので、父から「留学しなさい」と。
一学年が500人弱の高校でしたが、100人くらいは卒業と同時に留学していました。そのうち20人前後が日本。私も「いつかは留学を」と考えていたので、機会が与えられてよかったと思っています。
山極 ● 機会をつかんで、その気になった。
熊谷 ● ワイルドでインターナショナルな決断。WINDOWの「I」につながりますね。
ひとむかしまえは、欧米の大学に行くことがインターナショナルだったが、最近はアジアの大学も国際的な魅力を増しつつあり、国際化が進んでいる。そういうなかで、金さんはなぜ日本を選ばれたのですか。
金 ● 日本は近かった。慣れなくて帰ろうと思えば、すぐに帰れる。(笑)
山極 ● アフリカの人たちにも、もっときてほしいね。「地球社会の調和ある共存」が京都大学の大きな目標です。教養や技術、思想を京都大学で学んで、国に帰ってからも国を超えたネットワークでつながればと期待しています。もちろん、「日本のためになにかをしてくれ」という話ではまったくない。
インターネットでどの国からも無料で京都大学の授業を聴けるMOOCを立ち上げました。これもWINDOWです。強く興味をもったら、一年でも二年でも、ポスドクでも京都大学にきてくれればうれしい。世界に窓をたくさん開けることが必要だと思っています。
熊谷 ● 「地球社会の調和ある共存をめざす」というような理念を掲げた大学は多くない。京都大学の宣言はチャレンジングですね。
山極 ● 戦争をしている国どうしであっても、アカデミズムの世界ではつながることができる。学問に境界・国境はありませんからね。そういう学術の力は世界の平和にも貢献する。世界の人たちはこの力をもっと利用しなくてはいけない。
熊谷 ● その役割を担うことができれば、大学ランキングよりもよほど意義がある。
山極 ● 大学と学術研究の意義・役割は、いつの時代でも変わらないですからね。
熊谷 ● 最近は、「文系を廃止します」という大学が多くなるなかで、山極総長が「京都大学には文系は重要だ」と発言されたことは、大きな勇気をもたらしたと思います。
山極 ● 世間や産業界からいっせいに「文系の学問は役にたたない」と言われることになったのは、われわれの情報発信が足りなかったという落ち度があると思います。襟をただして、「大学の研究は将来の大きな力になる」と社会に発信しなくてはいけない。その結果として、世間の評判や大学のランキングが上がればうれしいけどね。(笑)
きょうは、窓を精一杯開いて外の風を吹き込みながら、外の力を利用して京都大学をもっと大きくしたいと強く思いました。
山極壽一
1952年、東京都に生まれる。1975年に京都大学理学部を卒業後、同大学院理学研究科博士後期課程研究指導認定退学。理学博士。日本モンキーセンターリサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科助教授をへて、2002年から同研究科教授。2011年4月~2013年3月には理学研究科長・理学部長を務める。2014年10月から現職。
熊谷誠慈
1980年、広島県に生まれる。2009年に京都大学大学院文学研究科博士課程修了。京都大学白眉センター特定助教、京都女子大学発達教育学部専任講師をへて、2013年から現職。専門は仏教学(インド、チベット、ブータン)およびボン教研究。
>> 教育研究活動データベース
>> こころの未来研究センター
高木淳一
1985年、福島県に生まれる。2010年に京都大学大学院農学研究科修士課程を修了後、2012年まで工務店にて住宅営業職に従事。2013年に京都大学大学院情報学研究科社会情報学専攻修士課程に入学し、2015年に修士課程修了・同研究科博士後期課程に進学し、現在に至る。学部生時代は京大応援団のブラスバンド部長を務める。
>> 大学院情報学研究科 社会情報学専攻 生物圏情報学講座
金 智華
中国遼寧省出身。2012年に東北育才学校高等部を卒業後、京都大学工学部地球工学科国際コースに入学。外国人留学生や日本人学生が暮らす「京都国際学生の家」の寮生自治のチームのセクレタリーを務める。
>> 工学部・大学院工学研究科