2013年10月4日
左から岡村教授、山口助教
岡村均 薬学研究科教授、山口賀章 同助教らを中心としたグループは、時差ボケが起こるまったく新しい仕組みを解明しました。この結果は、海外旅行にともなう時差だけでなく、睡眠障害や生活習慣病といったシフトワーカーの病態の新たな治療薬の開発につながるものとして期待されます。
本研究成果が、米国科学誌「Science」(日本時間2013年10月4日)に掲載されます。
背景
海外旅行は楽しいものですが、時差ボケは悩みの種です。なぜ、夜間に眠れず、昼間に眠くなるのでしょうか? これは、私たちの身体の中に、時間を正確に刻み続ける時計(体内時計、概日時計)が存在しているためです。地球上の生命体は何億年もかけて、約24時間のリズムを刻む概日時計システムを確立しました。特に夜行性の哺乳類になると、この概日時計システムが高度に発達します。夜でも刻み続ける身体の中の時計により時間を予測し、朝を予測し、心置きなく夜に活動していたのです。昼行性であるヒトも祖先をたどれば結局は夜行性の哺乳類ですので、この強力な時計を持っています。この強く安定した体内時計がかえって仇となり、海外旅行中にはすぐには現地時間に馴染めず、時差ボケになるのです。しかしながら、時差のメカニズムはこれまで不明でした。本研究において、私たちは、強力な時間を作り出す脳の視交叉上核の時間生物学研究から、時差症状を示さないマウスの開発に成功しました。
研究手法・成果
視交叉上核の約半数の神経細胞は、アルギニンバゾプレッシン(AVP)を発現しています。また、この数千にもおよぶ巨大なAVP神経細胞群は、AVP受容体であるV1aおよびV1b受容体も発現し、お互いの細胞間で視交叉上核内の局所神経ネットワークを形成しています。しかしながら、この神経回路の機能はながらく不明でした。本グループは、V1aとV1b受容体をともに欠損したダブルノックアウトマウス(時差消失マウス)では、明暗環境を変化させたときに生じる行動リズムの時差が完全に消失することを発見しました。マウスを飼育する明暗環境を8時間早めて時差を起こすと、正常マウスでは新しい明暗環境に順応するのに10日間程度を要しますが、時差消失マウスでは、瞬時に順応しました(図1)。また、視交叉上核では概日リズムが時計遺伝子のリズミックな遺伝子発現で作られるのですが、この時計遺伝子の発現リズムも、時差を起こした後、正常マウスでは8日後に回復しましたが、時差消失マウスでは3日後と非常に素早く回復しました(図2)。末梢臓器である肝臓や腎臓の時計遺伝子の発現リズムや体温のリズムも、時差消失マウスは正常マウスよりも早く回復しました。
図1:時差消失マウスは、時差後、瞬時に新明暗環境に順応する
図2:視交叉上核における時計遺伝子Per1の発現リズムは、時差後、正常マウスでは8日後に回復するが、時差消失マウスでは3日後に回復する。
では、なぜ時差消失マウスは、時差を起こした後に、このように素早く順応できるのでしょうか? 視交叉上核の切片培養を用いた研究から、本グループは、AVPのV1aとV1b受容体を介する視交叉上核のAVP細胞間の局所神経回路が、安定した概日時計システムの維持に寄与しているものと考えています。すなわち、この神経回路のおかげで、正常マウスは外界の明暗環境の変化に左右されず、自身の体内時計を正確に刻み続けることができるのです。体内時計を動かすことの出来る最大の力は眼から入る光です。夜でも、満月や山火事や雷鳴など不意の明るさでもって、夜が明けて昼になったと誤認して、すぐ狂ってしまうような脆弱な体内時計では、生存競争を勝ち抜けなかったのでしょう。強力な体内時計は、夜行性となることで生き延びてきた哺乳類にとっては、重要な鍵だったのです。
このように、生物は何億年もかけて自律した体内時計システムを確立し、それが強力で安定したリズムを刻む視交叉上核を持つ哺乳類で頂点に達したのですが、ジェット機旅行が実用化された現代では、その安定性が逆に仇となって、時差の原因となっているようです。すなわち、頑固な体内時計は容易に現地時間には馴染めません。とはいえ、今後もますます海外旅行は増えていくことでしょう。また、海外旅行をしなくとも、グローバル経済は交替制勤務や長時間労働が当たり前になってきました。すなわち、時差勤務を避けることができないシフトワーカーも増加の一途を辿っています。また夜のテレビやゲームなど娯楽で睡眠時間がイレギュラーな人も多くなってきました。このように、時差は本当に身近で日常になっているのですが、こういう生活が長く続くと、健康障害になる可能性が上がります。事実、シフトワーカーの生活習慣病(高血圧、メタボリック症候群、癌など)の増加が言われています。
私たちは、V1aとV1b受容体を障害させたマウスの結果から、この受容体機能を一時的に薬でブロックしたら、時差が改善するのではないか、と考えました。そこで、V1aとV1b受容体の拮抗薬を、正常マウスの視交叉上核に直接投与したところ、時差を著明に軽減させることに成功しました(図3)。
図3:V1a/V1b受容体拮抗薬は、時差を軽減する
今後の予定
今回、リズムセンターである視交叉上核がなぜ強力なリズムを形成するのか、その秘密の一つに視交叉上核の主要細胞であるAVPニューロン相互の神経間伝達があることを明らかにしました。この細胞間連絡を阻害すると、環境の明暗周期の変動にきわめて脆弱となり、体内時計が容易に環境の明暗周期に同調することがわかったのです。環境の明暗周期に容易に同調するとは、時差ボケしないということです。逆説的ですが、V1aとV1bを消失した方が、時差が軽くなるのです。今回はマウスの実験ですが、ヒトにも視交叉上核はあり、またその中のAVPニューロン系は主要ニューロン系として存在しますので、同様の機構がヒトにもあることが想定されます。
V1aV1bアンタゴニストの適用による時差の軽減は、この視交叉上核のニューロン相互の神経伝達をターゲットにした全く新しい創薬です。視交叉上核をターゲットにしたこの結果は、海外旅行にともなう時差だけでなく、睡眠障害や生活習慣病といったシフトワーカーの病態の新たな治療薬の開発につながるものとして期待されます。今後、引き続き、詳細な時差の分子・細胞メカニズムをシステムレベルで解明し、より時差軽減効果のある化合物を開発したいと考えています。
本研究は、主として文部科学省科学研究費 特別推進研究「分子時計による体内リズムの統合機構の解明」、新学術領域「脳内環境(高橋良輔領域代表)」の科学研究費補助金によって行われました。
[DOI] http://dx.doi.org/10.1126/science.1238599
Yoshiaki Yamaguchi, Toru Suzuki, Yasutaka Mizoro, Hiroshi Kori, Kazuki Okada, Yulin Chen, Jean-Michel Fustin, Fumiyoshi Yamazaki, Naoki Mizuguchi, Jing Zhang, Xin Dong, Gozoh Tsujimoto, Yasushi Okuno, Masao Doi, and Hitoshi Okamura.
Mice Genetically Deficient in Vasopressin V1a and V1b Receptors Are Resistant to Jet Lag.
Science, vol. 342 no. 6154 pp. 85-90. 4 October 2013
- 京都新聞(10月4日 25面)、産経新聞(10月4日 1面)、日刊工業新聞(10月4日 17面)、日本経済新聞(10月4日 42面)、毎日新聞(10月4日 24面)、読売新聞(10月6日 2面)および科学新聞(11月1日 4面)に掲載されました。