縄文時代の離乳年齢 -離乳食の利用は離乳を早めたか?-

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蔦谷匠 理学研究科・日本学術振興会特別研究員、米田穣 東京大学教授らの研究グループは、縄文時代後晩期の吉胡(よしご)貝塚(愛知県田原市)から出土した子供の古人骨を安定同位体分析することで、当時の離乳年齢を明らかにしました。

本研究成果は2016年11月10日、エルゼビア社の国際学術誌「Journal of Archaeological Science」 に掲載されました。

研究者からのコメント

縄文時代の後には弥生時代が続きますが、世界の他の地域と同じく、稲作農耕を開始した弥生時代には人口が大きく増加したことが分かっています。本研究の成果によって、土器と植物質食物の利用は離乳年齢を短縮させないらしいことが分かりましたが、他の要因によって、農耕民では離乳年齢が短縮し、それによって出生率が増加したという可能性も考えられます。今後、弥生時代の離乳年齢を復元して縄文時代と比較することで、稲作農耕の開始後に起こった日本列島の人口増加の理由の一端を明らかにできるかもしれません。

概要

考古学・人類学では、土器と植物質の食物の利用によって過去のヒト集団の離乳年齢が早まったとする仮説がありました。植物質の食物を土器で煮炊きしてやわらかくして、離乳食とすることができるようになったのではないかという仮説です。縄文時代の人びとは、この仮説を検証するのに最適な対象です。縄文時代の人びとは、狩猟採集で暮らしていたにも関わらず、土器を使い、特に本州では植物質の食物に比較的大きく依存していたという、狩猟採集民としては例外的な特徴を持っています。

そこで本研究グループは、縄文時代後晩期にあたる吉胡貝塚から出土した子供の骨に安定同位体分析という手法を適用し、離乳年齢を復元しました。授乳期間中は子供の骨に含まれる窒素同位体( 15 N)の割合が増えるという特徴を手掛かりにしたところ、吉胡貝塚のもっとも確率の高い離乳時期は3歳6ヶ月頃でした。この結果を世界の他の地域・時代の狩猟採集民の離乳の終わりの年齢と比較すると、吉胡貝塚の縄文人の離乳年齢はむしろ遅めだということが分かりました。

集団として土器や植物質食物を利用していたにも関わらず、これまで言われてきた仮説とは反対に、吉胡貝塚の人びとの離乳の終わりの年齢は早くなってはいませんでした。過去の人びとの離乳年齢は、単純に土器や植物質食物の利用のみで決まるわけではなく、社会構造やライフスタイルなどにも影響されると考えられます。

詳しい研究内容について

書誌情報

【DOI】
http://dx.doi.org/10.1016/j.jas.2016.10.002

Takumi Tsutaya, Akina Shimomi, Shiori Fujisawa, Kazumichi Katayama, Minoru Yoneda. (2016). Isotopic evidence of breastfeeding and weaning practices in a hunteregatherer population during the Late/Final Jomon period in eastern Japan. Journal of Archaeological Science, 76, pp. 70-78.