京大の「実は!」Vol.41 「京大の課外活動の実は! ~日本で初めて誕生した学生探検部、「京都大学探検部」に迫る!」

「探検大学」との異名をもつことで知られる、京都大学。

公式ホームページの特設サイトで展開している 「探検!京都大学」 でも、その精神を「京大らしさ」として表現しています。

実は、日本で初めて学生団体の「探検部」が出来たのも、京大なんです!

まさに京大らしさを体現しているといっても過言では無い「京大探検部」って、一体どんな部なのか・・・?

今回の「京大の実は!」では、今年で創設60周年を迎える京大探検部の、「今」と「昔」に迫ります!

広報Bのドキドキ探検レポートもありますよ!

「探検部」創設の歴史の「実は!」

今年で創設60年を迎える、歴史ある「京大探検部」。

その誕生の影には、海外渡航が困難だった時代、パイオニア精神の意気に燃え、自らが思想する「探検」の形を求めて奮闘した若者たちのさまざまなドラマがありました。まずはその歴史を紐解いてみましょう。

探検部の歴史を物語る重要な手がかり、「ルーム日誌」

ルーム日誌第1号。この頃はまだ探検部は独立していませんでした。

探検部として独立した日誌はこの4号あたりから。

探検部誕生までの経緯を紐解く時、それは「ルーム日誌」無しでは語れません。

その歴史を紐解くすべての手がかりと言っても過言では無い、連綿と綴られてきた部員たちの足跡。定例会議の議事録のほか、現役部員もOBも部室で自由に何でも書けるノートとして、現在でも続けられている探検部の伝統の一つです。

探検部の日誌は実際の誕生より早く、独立前年秋から始まり、日誌スタート当時(1955年10月)は、山岳部内での海外登山推進グループによる「Expedition Note」とされていました。

独立した探検部の日誌となるのは4冊目あたりから。

現在の「探検部」「山岳部」の原点、京都帝国大学「旅行部」。

もともと京都帝国大学には山岳部はなく、「旅行部」があるのみでした。

「旅行」という言葉が持つレジャー的イメージとは異なり、本質は「探検旅行部」、「遠征登山部」という、かなり本格派の先鋭的な団体。本学の名誉教授であり、日本の霊長類研究の創始者として知られる今西錦司先生ももとはこの旅行部に在籍していました。

AACK(学士山岳会)の創設。

1931年、今西先生をはじめとする京都帝国大学旅行部の現役、OBは、それまでの国内山行にあきたらず、海外遠征を計画していました。そして目標をヒマラヤ山脈のカブルーにおき、1932年の実現にむけて準備を開始。そのとき遠征隊の母体組織が必要になり、創設されたのが「 AACK(Academic Alpine Club of Kyoto) 」です。このAACKには、もともと「登山派」と「探検派」の2派がありました。

「探検」的要素を備えた、京都探検地理学会による探検の活発化。

1939年に「京都探検地理学会」が誕生し、国外遠征の主体が、AACKや旅行部からここへ移り、学術探検隊を送り出す母体としての性格を強め始めました。学生会員の入会も許され、「探検」に重きを置く多くの旅行部員もこちらに入会。代表的な遠征である「ポナペ島」「大興安嶺」の探検は学生隊員を中心に京都探検地理学会が送り出したものでした。

その後、旅行部は戦争中に解散を命じられ、活動の場を失った多くの学生たちは探検地理学会の学生会員として活動していました。しかし、探検地理学会もまた、GHQの目につき、1946年に解散。この時期はAACKも活動停止中であり、戦争によってさまざまな活動が衰退。

スポーツ・アルピニズムの精神を掲げる、登山メインの「山岳部」の誕生。

1947年「スポーツ・アルピニズム」の精神のもと、登山メインの組織として「山岳部」が誕生。

他大学の山岳部と共通する部分が多く、「パイオニアワーク」を旗印にしてはいても、探検や学術調査面では、帝国大学時代の旅行部の伝統を引き継いでいるとは言えませんでした。

現役と若手OBの間に立ちはだかる壁、思想の違い・・・探検部独立の気運が高まる。

スポーツ・アルピニズムの精神を掲げ、あくまで登山を目的とする正当派の山岳部。AACKの存在もここでは無視することができない・・・。

現役と若手OBの間に大きく立ちはだかる上下関係の壁や、アルピニズム派若手OBとの路線の違い、「探検」の潮流の台頭・・・。

さまざまな動きの中で、徐々に内部で軋轢がうまれ始めました。

そして、パンジャブ大学との合同探検隊計画(JOINT)が契機となり、現役学生のみで実施する探検計画と、それを断固反対する若手OB との意見の対立が浮き彫りになり、ついに決裂。さまざまな経緯を経て、アルピニズム派を掲げるスポーツ団体としての山岳部とは無関係な、「探検をメインとした新しい文化団体を結成しよう!」という動きになりました。

「探検部」、ついに独立へ。

1956年3月2日、複数回によって行われてきた「探検講座」の最終回で、JOINT問題に関して話し合いがもたれました。そこには山岳部から分裂したメンバーも参加。「新部独立」気運が高まるにつれ、激しさを増す議論。今西先生、梅棹先生の後押しもあり、ついに探検部として独立することが決定したのです。

―「これは、たがいに了解の上で、以後二つの部が存在すればよい。登山を主とする山岳部と探検を主とする探検部と。もはやこれ以上論議の余地なし」

そして、1956年3月2日夜、日本初の「京大探検部」誕生。

今西錦司(中央)とその弟子たち(前列6人)を顧問とする学生文化団体「京大探検部」が発足したときの記念写真。
前列に座る顧問団は、左から伊谷純一郎、藤田和夫、梅棹忠夫、今西、川喜田二郎、中尾佐助。(敬称略)
後列18人には、探検部に移った者と山岳部にとどまった者の双方が混じる。(京大楽友会館にて撮影)

3月5日、大学事務局に趣意書を提出。正式に「探検部」として登録し、ついに日本初の探検部が創設されました。

歴代の探検部出身者の中には、パイオニアワークを代表する京大の著名な教員もたくさんいます。

「探検大学」と称される由縁は、探検部の誕生の歴史にもあるのかもしれません。

◆ ◆ ◆

こうして、多くの先人たちの努力の末に誕生した「京大探検部」。今もなお、国内外において探検部員たちは多岐にわたる探検活動を繰り広げています。

60年という年月が過ぎた今、時代の変化とともに、部の様子も少しずつ変わりつつあります。

では、「今」の探検部って、どんな活動をしているのでしょう・・・? ここからは探検部の「今」に、広報Bが迫ります!

「京大探検部」ってどんな部活?

1956年3月2日「ルーム日誌」に書かれた趣意書草案

発足当時の探検部の設立目的は、その趣意書(草案)によると、

「この部は、全世界(国内も含めて)の広い意味での未開地帯の(学術的)探検を計画し、実行またはそのために必要な技術や知識を身につけようとするもののグループ(組織)である」

とされていました。(1956年3月2日「ルーム日誌」より)

自由に海外遠征が可能になり、純粋な未開地帯がほとんど無くなってきた今では、その目的は若干かたちを変えてきてはいるものの、「広い意味での未領域の(学術的)探検を計画し、実行する」という根本的な精神は変わっていません。

探検部では、やらなくてはならない活動は決まっていません。

何をするかは個人の自由。必要なのは、「これがやりたい!」「これを知りたい!」という探究心だけ。ここ探検部には、それを実現できる環境や道具も、実現するノウハウや知識を享受してくれる先輩もたくさん揃っています。

さらに探検部には、先輩・後輩の上下関係はなし! 部長の呼び名は「プレジデント」。

広報Bが初めて部室にお邪魔した時にいたのは、ほとんどが今年の新入部員。

ん・・・?それにしては先輩にも敬語じゃないし、堂々としている・・・。それもそのはず、部内には先輩後輩の上下は基本ないそうです。過酷な探検の場では、先輩に遠慮するがゆえにストレートな発言が出来なくなったりと、上下関係が時に命に関わることもあるからだそう。

ちなみに探検部では代々、部長は「プレジデント」と呼びます。なんだかかっこいい。(顧問の呼び名が「部長」)

部室に入ると、たくさんの探検グッズが所狭しと置かれています。広いジャンルをカバーする探検部らしく、登山道具にキャンプ道具、ライフジャケットまで、あらゆるものが。60年の歴史を物語る歴代の「ルーム日誌」や、代々のOBの古い資料等もたくさん!そしてモノに埋もれた部員たち(笑)

学術的好奇心をフィールドで探究! 探検部の活動の一部をご紹介!

「自分の学術的好奇心をフィールドで探究する」。それが、現探検部のモットーです。

調べたいこと、見たいものがあれば、どこにでも行ってみよう!そんな探究心のままに、やりたいと思ったことを何でも実現できるのが探検部の魅力。

普段はどんな活動をしているのでしょう・・・?

探検部の象徴ともいえる、お決まりのゲル。モンゴルなどの草原地帯使われている伝統的な移動式家屋。
新歓や11月祭の時期に構内のどこかに出現する。出会えた時は、ぜひ中でくつろいでみて。

代表的な探検実績をご紹介!

「クライミング」

ロープを使った本格的なクライミングを京都近辺で年中いつでもしています。
クライミングの技能は探検部活動の基本と見なされており、一番多い活動だそう。

「沢登り」

クライミングの技術練習の後は、フィールドで本番の沢登りをします。
写真は三重県の某山中。みんなで地図を片手に議論中。

「カヌー」

クライミングと並びカヌーもメインの活動。これは琵琶湖に出かけたときの写真。
パドルに引っかかった水草に興味津々(?)

「スリランカ自転車」

海外活動の一つで、スリランカの島全体を部員3人、自転車で1周したそう。言葉を覚えて現地で自転車を買うところからのスタートで、1日100km、2週間漕いだんですって!

「モロッコラクダ」

これも海外活動。モロッコと西サハラ地域に3人で渡航し、各自の興味分野の知見を深める体験。この写真はラクダツアーに参加したときの1枚。これに着想を得て、今は砂漠ラクダ旅行を計画中だとか。

プレジデント企画「納豆ハイキング」参加レポート!

ううむ、やっぱり写真だけではなく、現在の探検部のことをもっと知りたい。

本気の探検は体力ゼロの広報Bにはムリ・・・でも、探検部のパイオニアワーク精神をぜひ垣間見たい!

現プレジデントにそんなワガママな注文をしたところ、今回は特別に、探検初心者広報Bでも参加可能なライト企画をコーディネートしてくれました!

どんな企画かしら?とドキドキしていたところ、 「大学構内で植物を採取し、納豆づくりにトライします」 というメールが。

な、納豆・・・? 発酵食品というだけで既に一抹の不安がよぎる広報Bでしたが、その探検やいかに・・・?!

今回の企画参加メンバーはこちら!

(左から)山下耕(総人)現プレジデント、吉田裕史(農学)、天野玲(理学)

そもそも、なぜに「納豆ハイキング」ですか・・・?

今回の企画発案のきっかけは、発起人の山下部員が、民族自然誌研究会「アジア・ヒマラヤの納豆文化の広がり」を公聴したことから。このように、誰かが企画発案し、興味のある人がのってくる、というのが現探検部の主流です。

タイ、ラオス、ミャンマー、インド、ネパール、ブータンなど、アジアでは幅広い範囲で納豆が食されています。大豆を煮て40度前後の温度を保っておくと、空気中にある細菌の一種である納豆菌または枯草菌が繁殖して、納豆になります。ベースの作り方は大体同じ。

ですが、そのアレンジの仕方は各国さまざまだそう。

例えば、日本では納豆をわらで作りますが、諸外国ではシダやバナナ、イチジク科などの植物で納豆を作るらしい。新聞紙だけで作る方法もあるとか・・・。

そんな、世界中で食される納豆の作り方を調査・検証してみたい!
しかもそれを、大学構内の植物を使って再現してみよう!

果たして粘りや風味に違いはあるのか? 植物と枯草菌との対応関係があるのか? シダで作ると美味しい説は本当なのか? ・・・というか、そもそも食べられるのか・・・?!

・・・などなど、納豆にまつわる純粋なる学術的探究心からはじまった今回のツアー。さて、どんな探検になるのでしょうか!?

AM9:00 納豆ハイキングスタート!

STEP① まずは「植物の共有」から。

まずはそれぞれ、事前に調べてきたことを情報共有することからスタートします。

今回の発起人、山下部員。納豆に使う大豆はさすがにお店で購入したもの。本当なら豆も野外でゲットしたかったそうで・・・。

図書館で借りた植物関連の資料なども参考に、事前に植物を絞り込んでいきます。

京大のシンボル「クスノキ」でもやってみよう!という話に。「クスノキ納豆」が美味しかったら、大学グッズになるかも(笑)?

▼「植物の共有」で出た植物は以下のとおり。

◎ラオス地方では、「クズウコン科」「バナナ」「バショウ」などを使うらしい。
◎タイ、ミャンマーでは、「バナナ」「シダ」「チーク」「稲わら」「クワ科」などを使うらしい。
◎ネパール、インドでは、「シダ」「イチジク」「バナナ」「カンナ」「シャクナゲ」「竹の葉」などを使うらしい。
◎さらには「新聞紙」で作る国も・・・。


これらの植物を「大学構内」で採集するわけですが、「シダは北部のあそこにあった」「ビワはあそこにあるよね」など、みんな構内の植物事情をよく知ってる・・・! 理由は「単に興味があるから、常に観察している」らしい。さすが探検部!

STEP② ゲットする植物の絞り込みが出来たら、探検へ出発!(但し、大学構内)

「探検」にしてはだいぶラフなスタイルですが(笑)

採集する植物名を書いたプラスチック容器と、採った植物を入れるカゴをぶら下げて、まずは北部構内へ出発。

北部って・・・近すぎるやん!と思っていた広報Bでしたが、意外や意外。想像をはるかに超えるいろんな植物がありました!!!

狙った植物をぞくぞくゲット!

探検中は、京大生かつ探検部員らしく、さまざまな植物マメ知識も!

(左)「イヌビワ」(イチジク科):実はお菓子にもなるそう。実の中に「イチジクコバチ」という蜂がいて、実の中で受粉するそうです。
(中央・右)「ムラサキツユクサ」:紫色のお花は有名ですが、この葉を切った透明の部分は、実験でよく使う・・・など、研究あるあるも。

探検部の基本行動。とりあえず、「におう」「食べる」。

桜の葉を一斉に匂って、「これはニオイがイマイチ。部のBOX近くの桜のほうがニオイが強くていい」など、香りにはこだわるほうです。

ユズみたいな香りのする果実を発見。これは何だろう。とりあえずかじってみて無害とわかり、葉をゲット。

巨大なバショウの葉っぱの茎の部分を切ると、きゅうりのにおいが。思わずかじる(笑)。「これ、きゅうりのおひたしにしたら美味しいね」という広報Bの冗談に全員賛同。

STEP③ 採集が終わったら、部室に戻り「同定作業」へ。

図書館から借りてきた図鑑などの資料とにらめっこしながら、採集した植物の同定作業を行います。図鑑でわからない時はスマホでささっと検索するところは現代の探検部ですね~。

シダ類の植物を2種類採集したものの、数百種もあるシダ類の同定に超苦戦・・・。

葉の形、葉脈、葉の裏側の模様、胞子の形、自生の仕方などから、「ヒメシダ」と「イヌワラビ」の可能性大だと同定。

余談ですが、京大のシンボル「クスノキ」の葉の裏には、「ダニ部屋」と呼ばれるダニが出入りする小さな穴があるそうです・・・。

全ての植物の同定が完了したら、納豆づくりの作業について整理します。

「どうやって培養する?」「菌が混じらないように、どうやって区別する?」「葉っぱの煮沸はどうやってする?」

・・・など、あれこれアイデアが行き交い、最終的に、マチ有りの袋に区別して入れて仕込むことに。

大学構内で採集した植物による、「探検納豆」全ラインナップはこれだ!
ヒメシダ、カジノキ、イヌビワ、クスノキ、ビワ、バショウ(下にある大きな葉)、
タイミンチク(竹の葉)、イチョウ、クズ、ミカン科、イヌワラビの全11種類。

STEP④ 「探検納豆」仕込みスタート!

材料が揃ったら、いよいよ納豆仕込みに着手! 部のBOX脇にある階段下を調理場に構え、クッキングスタート。ここで、心強い女子部員(大石奈々野・経済)も参戦。

まさか、こんなところで構内の葉っぱやら藁を鍋で茹でているとは、それで納豆を作ろうとしているとは、きっと誰も知るまい。

手作り探検納豆の仕込みかた

①すべての葉を煮沸消毒します。

同じ鍋で煮沸は意味ないやろ、ということで小さな鍋に小分けして煮沸。煮沸後は袋へ。まるでパスタのようですが、藁です。

②吸水させた大豆は、茹でた後、圧力鍋で蒸します。

たっぷり水をふくませた大豆を茹でた後に圧力鍋へ。爆発の恐れがあるとの判断で、鍋は部室入り口に設置。そして・・・見込みどおり、最後は若干爆発(笑)。周囲が水浸しになるアクシデントもありつつ、豆はふっくら蒸し上がりました~。

③それぞれの葉が入った袋に大豆を入れて軽く混ぜたら完成! カゴに入れて上からつるして完了。

葉の入った袋に豆を入れて軽くもみもみ。バショウの葉でくるむパターンや、藁で包む王道も作ってみました。最後は上からつるして保管。

袋の中を匂ってみると、イヌビワは甘いマンゴー系のお菓子のにおい。カジノキはモロヘイヤみたいな青臭いにおい。クスノキは薬品みたいなにおい。クズは何だかすっぱいにおい・・・など、既に独特のかおりがしました。

探検納豆、完成!

今回仕込んだ納豆は、11種類の植物に加えて、藁、新聞紙の計13種類。
常温で数日間保存しないといけないため、2日後のミーティングでは部室中が納豆臭に・・・

部室に入ると、既に何とも言えぬかおりが。

STEP⑤ 定例ミーティングで、納豆ハイキングの報告会

後日の定例ミーティングで、納豆ハイキングの実施報告。作成した報告資料をパソコンにうつしながら、先日のツアー内容やこの企画の目的などをひとしきり報告します。

部員からは、「納豆って、失敗したら何になるのか?」など、いろいろと質問が飛び交います。その後も、納豆に関する闊達な議論が行き交いました。

そして、結果を観察すべく、仕込みから2日間経過した納豆を恐る恐るオープン。

袋を開くと、なんだかさまざまなニオイが・・・。

一つずつ袋を開けて、ニオイを嗅ぎます。中には、思わず顔をしかめてしまうものも。

見た目は納豆っぽくなってはいますが、安易な判断で食すのは危険と判断。

さまざまなニオイに部員も一喜一憂。そんな中、藁で作った納豆はそれなりに「納豆らしい」ニオイ。やっぱりすごい、先人の知恵。

そして、観察・検討の結果・・・

部員みんなで、植物別の納豆のニオイや、見た目をひとしきり観察。見た目には納豆らしくなってはいるものの、やはり自分たちだけの知識だけで食べるのは危険と判断・・・。今回は試食は断念することになりました。

しかし!すでに部員でver2企画をやろうという話になっており、他の部員のアドバイスも受けつつ、よりよい植物捜しも既に始めているそうです。

・・・ということで、部員たちの納豆への探究心はまだまだ続きます!

時に思ったとおりの結果に至らないこともある。それでも、その経験から学んだことが、未領域世界を知るさらなる一歩となるのです。

そう、それこそが探検の意義なのです!

部員に聞きました! 「探検部あるある!」

  • 常に地図を持ち歩いている。
  • 他人の旅話へのコメントが厳しくなってしまう。(自分ではそんなつもりは無いが、厳しく思われてしまう・・・)
  • 基本、縛られるのが嫌だ。
  • 探検部では新歓でも、店で飲み会などはせずに、部室で手作り料理をふるまう。(新入生に調理を手伝ってもらうこともしばしば)

探検部部長(顧問) 重田眞義先生にインタビュー!

Q:探検部の「部長」はどのような役目を担っているのですか?

前任の末原達郎さん(龍谷大学農学部長)のあとを引き継いで昨年度から「部長」をつとめています。通常のクラブ活動でつかわれる顧問という呼び名と比べて部長というのは一風変わっています。しかし、これは現役の学生諸君のリーダーを「プレジデント」と呼んで主体的な活動を現役が責任をもっておこなう決意のあらわれだと思っています。部長は、かつては寄付を集めたり、推薦書や依頼状を用意したりするのが役目でした。最近では活動計画書をあずかって、万一に備えるのが大きな仕事です。

Q:重田先生の探検部時代はどのような活動をしていたのでしょう?

私が探検部員としてきちんと活動した期間は2年間もありません。ちょうど、探検部が創立時に山岳部と一線を画して独立したように、私たち(吉田憲司 国立民族博物館教授、栗本英世 大阪大学教授)は別に「野外科学研究会」というクラブをつくって、スーダン南部に人類学的なフィールドワークにでかけました。そのほうが、計画をすすめるうえでいろいろと都合がよかったからです。 そんな便宜的な独立をすすめてくださったのは、探検部の初代プレジデントで、当時は部長をされていた高谷好一先生でした。高谷さんのアドバイスがなけれ ば、私たちはすんなりとアフリカには行けなかったし、今の職にはついていなかったと思っています。

Q:現探検部員たちへメッセージをお願いします!

今の探検部員のみなさんには、これまでにも増して、自由にさまざまな「世界」を探検してくれることを期待しています。そのためには、あらゆる既存の枠組みを乗り越えて、発想を広げていってほしいと思っています。かつて私が経験したように、探検部という組織や名前も「探検」のためであれば横に置いてもかまわないでしょう。そういうことができることが、探検部という場の魅力であり、いつまでも活動が続いているひとつの理由だと考えます。
いざ「探検」へ!
◆ ◆ ◆

「京大探検部の実は!」 、いかがでしたか?

京大には、戦前から探検や登山の伝統が息づいています。探検部だけではなく、探検活動の原点ともなった旅行部、創設から100年を迎えた山岳部、今もなお精力的に活動を続けるAACKなど、それらに通ずる、創造的に未領域世界へと飛び込む「パイオニアワークの精神」が、京大の研究スタイルに脈々と受け継がれていることは言うまでもありません。

これからも、伝統ある「探検大学」として、京大は未領域へと果敢に挑み続けます。そこに探検心があるかぎり!

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