第26代総長 山極 壽一
本日、京都大学に入学された2,930名の皆さん、入学誠におめでとうございます。ご来賓の井村裕夫元総長、松本紘前総長、名誉教授、ご列席の副学長、学部長、部局長、および教職員とともに、皆さんの入学を心よりお祝い申し上げます。同時に、これまでの皆さんのご努力に敬意を表しますとともに、皆さんを支えてこられましたご家族や関係者の皆さまにお祝い申し上げます。
ここ京都は、三方を山に囲まれた盆地で、京都大学はその東の端に位置し、近くに吉田山や大文字山が望める風光明媚な場所にあります。この季節は、さまざまな木々が芽吹き、新緑が山々を彩ります。人々はこの鮮やかな色彩に心を躍らせ、新しい学びの場や職場でそれまでに蓄えてきた気力や体力を発揮して活動の舞台に臨むのです。本日入学式にお集まりいただいた皆さんも、この春の季節の明るい光とみずみずしい風に乗って、新しい活躍の舞台に上がろうとされているのだと思います。京都大学はそれを心から歓迎すると同時に、皆さんがこの京都大学で世界に向かって羽ばたく能力を磨いていただくことを願っています。
京都大学は1897年の創立以来、「自重自敬」の精神に基づき自由な学風を育み、創造的な学問の世界を切り開いてきました。地球社会の調和ある共存に貢献することも京都大学の重要な目標です。今、世界は20世紀には想像もしなかったような急激な変化を体験しつつあります。東西冷戦の終結によって解消するはずだった世界の対立構造は、民族間、宗教間の対立によってますます複雑に、過酷になり、地球環境の悪化は加速し、想定外の大規模な災害や致死性の感染症が各地で猛威をふるい、金融危機は国の経済や人々の生活を根本から揺さぶっています。その荒波の中で、京都大学が建学の精神に立ちつつ、どのようにこの国や社会の要請にこたえていけるかが問われていると思います。
京都大学は自学自習をモットーにして、常識にとらわれない、自由な学風の学問の都であり続けなければなりません。そのためにまず、京都大学は静謐な学究の場であるとともに、世界や社会に通じる窓としての役割を果たさねばならないと思います。そこで、私は「大学は窓」という標語をもとに、窓にちなんでWINDOW構想を立ち上げました。これは、大学は世界や社会に通じる窓であり、それを教職員と学生がいっしょになって開き、学生たちの背中をそっと押して送り出すことを全学の共通目標としたのです。それぞれのアルファベットを用いてWild and Wise、International and Innovative、Natural and Noble、Diverse and Dynamic、Original and Optimistic、Women and Wishを行動目標に掲げました。キャンパスは大学の構内だけではありません。京都大学は日本全国にたくさんの附置研究所や研究センターをもっており、世界にも50を超える研究拠点があります。これらの研究所や拠点で実験やフィールドワークに参加し、長い伝統と歴史を誇る京都の町で多くの人々と触れ合いながら能力を磨くことで、やがて世界の舞台で活躍できる人材に育つことになるのです。
さて、では常識にとらわれない自由な発想とはどういうことを言うのでしょうか。私が高校生だった1960年代に流行った歌があります。昨年ノーベル文学賞を受賞したボブディランの、
“ How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
人間として認められるのに、人はいったいどれだけ歩めばいいの?”
という問いで始まる歌です。そして、
“How many ears must one man have
Before he can hear people cry?
人々の悲しみを聞くために、人はいったいどれだけの耳をもたねばならないの?
How many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
あまりにも多くの人が死んだと気づくまで、どれだけの死が必要なの?”
と続きます。それは、
“The answer, my friend, is blowin’ in the wind
The answer is blowin’ in the wind
友よ、答えは風に吹かれている ”
という言葉で終わるのです。
これはボブディランが21歳のときに作った歌で、「答えは風に吹かれている」というのは、「答えは本にも載っていないし、テレビの知識人の討論でも得られない。風の中にあって、それが地上に落ちてきても、誰もつかもうとしないから、また飛んでいってしまう」という気持ちを表したものなのです。彼はこうも歌います。
“ How many times can a man turn his head
And pretend that he just doesn’t see? ”
そう、この歌は、誤りを知っていながら、その誤りから目をそらす人を強く非難しているのです。これは、1960年代に起こったアメリカの公民権運動の賛歌で、日本でも多くの若者が口ずさんだものです。
大学には、答えのまだない問いが満ちています。しかし、その問いに気づくためには、利己的な考えを脱ぎ捨てて、この世界を新しい目でながめる必要があります。常識にとらわれない発想とは、これまで当たり前と思われてきた考えに疑いを抱いたとき、それに目をそらさず、真実を追究しようとする態度から生まれます。どんな反発があろうと、とっぴな考えと嘲笑されようと、風に舞う答えを、勇気を出してつかみとらねばならないのです。これまで京都大学は、この精神のもとに多くの新しい発見や独創的な考えを世に出してきました。日本初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹先生は、京都大学教官研究集会で、「私たちの生きている、この世界に内在する真理を探究し、真理を発見し、学生たちに、後進の人たちに、そして学外の人たちにも、真理を伝達することが、大学の本来の使命である」と述べています。そこには、大学の知は私的な利益追求のためにあるのではなく、常に公共のため、社会のためにあるという矜持があると私は思います。
現代は国際化の時代といわれます。皆さんの将来活躍する舞台も、日本という国を大きく越えて世界に広がっています。地球社会の調和ある共存のために、解決すべき課題がたくさんあります。自然資源に乏しいわが国は先端的な科学技術で人々の暮らしを豊かにする機器を開発し、次々にそれを世界へと送り出してきました。海外へと進出する日本の企業や、海外で働く日本人は近年急激に増加し、日本の企業や日本で働く外国人の数もうなぎのぼりに増加しています。皆さんがその流れに身を投じる日がやがてやってくると思います。そのためには、日本はもちろんのこと、諸外国の自然や文化の歴史に通じ、相手に応じて自在に話題を展開できる広い教養を身につけておかねばなりません。理系の学問を修めて技術畑に就職しても、国際的な交渉のなかで多様な文系の知識が必要になりますし、文系の職に理系の知識が必要な場合も多々あります。世界や日本の歴史にも通じ、有識者たりうる質の高い知識を持っていなければ、国際的な舞台でリーダーシップを発揮できません。京都大学は、全学の教員の協力のもと質の高い基礎・教養教育の実践システムを組み上げてきました。学問の多様性や階層性に配慮し、クラス配当科目やコース・ツリーなどを考案し、教員との対話や実践を重視したセミナーや少人数ゼミを配置しています。外国人教員の数も大幅に増やし、学部の講義や実習も英語で実施する科目を配置しました。博士の学位を取得して、世界で実践的な力を振るえるように、五つのリーディング大学院プログラムを走らせています。昨年4月には先端的な学術ハブとして高等研究院を立ち上げ、京都大学の学問を通して全世界にネットワークを広げることにしました。また、昨年から既存の留学コースに加え、自分自身で企画し実行する「おもろチャレンジ」という体験型の留学を新設しました。大学の学びだけではない、海外の文化や自然を自ら体得するフィールドワーク的な企画です。海外の多様な人々との対話を通じて、新しい学びの場で世界に貢献できる独創的な能力を育てていこうと思っています。
最後に、皆さんに私の大好きな詩を贈ろうと思います。自分がもっとも美しかった青春時代を、戦時中の学徒動員と敗戦のがれきのなかで過ごした茨木のり子の「6月」という詩です。
‘ どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろをした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる ’
茨木のり子の探していた美しい村や街を、私は大学に作りたいと思います。京都大学は第二次世界大戦で4,500名に上る学生を学徒出陣に送り出し、確認されているだけでも260名の学生を戦没者として失いました。二度とこのような過ちを繰り返してはならない。地球社会の調和ある共存を実現するために、まず大学を誰もが生きる楽しさを分かち合える美しい場所にしなければならないと思います。昨年の公職選挙法の改正により、これまで20歳以上の国民に与えられていた選挙権が18歳まで引き下げられました。京都大学に入学された皆さんのすべてが、選挙に参加できるようになったのです。茨木のり子の時代、選挙権は25歳以上の男子と定められており、多くの大学生には政治に参加する資格が与えられていませんでした。学徒出陣に参加した学生たちは自分たちの意思ではなく、上の世代の決定によって戦争に駆り出されていたのです。今、皆さんは自分の置かれている環境に対し、その是非について、その政治的判断について、自ら票を投じて参加できるようになったのです。それをぜひ、心に留めていただきたいと思います。
京都大学を美しい場所にするために、私たちは教育・研究活動をより充実させ、学生の皆さんが安心して充実した生活を送ることができるよう努めてまいります。そのための支援策として京都大学基金を設立しています。本日も、ご家族の皆さまのお手元には、この基金のご案内を配布させていただいておりますが、ご入学を記念して特別な企画も行っております。ぜひ、お手元の資料をご覧いただき、ご協力をいただければ幸いです。
皆さんが京都大学で対話を駆使しながら多くの学友たちとつながり、未知の世界に遊び、楽しまれることを願ってやみません。
ご入学、誠におめでとうございます。
(“ ”は、Bob Dylan氏の「blowin' in the wind」より引用)
( ‘ ’は、茨木のり子氏の『見えない配達夫』(飯塚書店、1958年)より引用)