国立大学法人法が本年7月9日に成立し、平成16年4月を期して京都大学は自己責任において運営してゆく法人としての国立大学となることになった。この時にあたって、京都大学の法人化についての私の考え方を以下に述べ、京都大学構成員の皆様と理解を共有してゆきたいと考える。
1.国立大学の法人化
京都大学は創立以来百年あまり、自由の学風を標榜しつつ学問の発展に貢献し、有為の人材を多数育成して来た歴史を持つが、21世紀を迎えて、世界が直面している多種多様な課題の解決に挑戦し、地球社会の調和ある共存に貢献することを基本理念に据えた。この理念に沿って京都大学はこれまでの数年間に種々の教育研究組織を作り、研究を発展させて世界的に卓越した知の創造を行うとともに、社会との連携についても様々な活動をしてきた。学生の教育についても高等教育研究開発推進機構を設置し、一層の充実をはかりつつある。これからのグローバル化する世界において必要となる語学教育、情報リテラシー教育などにも力をそそぎ、留学生の学生生活についても改善の努力をしている。
このように京都大学は不断の努力によって大学の自己改革を行っているが、これまでは新しい組織や予算等については文部科学省(以下、文科省と略記)との間で時間のかかる複雑な折衝を必要としてきた。しかし、国立大学の法人化によって、たとえば学科レベル以下の組織の変更は大学独自の判断によって実現できるようになり、予算の執行の仕方をはじめ後に述べるような種々の面において大学の自由度が増え、独自性が発揮できることになる。法人化は国立大学が21世紀グローバル化時代を生きぬき、その存在価値を高めるための重要な改革であって、京都大学が飛躍的に発展するためのチャンスであると捉えるべきであろう。
国立大学の法人化の議論の過程で、なぜ国立大学が存在しなければならないか、国立大学を民営化し、私立大学と同じようにする方がよいのではないかという意見が存在した。したがって、国立大学が法人化後も基本的には国民の税金で運営される国立の大学でなければならないという理由をはっきりとさせ、広く国民の理解を得ることが大切であることは言うまでもなく、またその理由を証明できるだけの実績をあげてゆかねば、いつかは民営化という方向にいきかねないということをよく認識する必要があるだろう。我々は法人化を機会に、教育研究により一層の努力をしてゆかねばならない。
法人化後もこれらの大学を国の意志で国立大学として維持してゆかねばならない理由は少なくとも次のような所にあるのではないだろうか。
(1) 日本という国の活動を支え、国際社会の中でより良く発展してゆく原動力となる優れた人材は国の意志と責任によって育成する必要がある。これらの人材は国や地方公共団体、企業、その他あらゆる社会の活動における中枢に必要とされる人達である。
(2) 日本という国の活動を支え、国際社会の中でより良く発展してゆく原動力となる優れた研究成果、技術成果を国として確保しつづけてゆくこと、またそのための優れた研究者を国として養成してゆくことが必要である。
(3) 人類の文化・文明を正しく継承・発展させ、また新しい文化的創造を行ってゆく場、そのための長期にわたる基礎的な研究を推進してゆく場を国として確保し、そのための人材を養成してゆくことが必要である。
(4) 高等教育機関を全国的に均衡のとれた形で配置し、地域の教育・文化・産業の基盤を支えてゆくことが必要である。
(5) 以上の諸活動には相当程度の経費が必要であり、経費の大部分を学生納付金に頼っている私立大学で行うことは極めて困難である。この経費を国が責任をもって支出する以上、その大学の設置形態は国立とならざるをえない。特に一定数の才能のある有為の若人をできるだけ低廉な学費のもとに育成することは、国の最重要資源である優れた人材の確保という観点からも必須のことである。
国の行っている事業を民間に任せるためには、その方が効率がよいということのほかに、民間でそれが完全に代替できるという保障がなければならないとされているが、上記のいずれの項目についても、これを国として確実に保障してゆく必要がある以上、その経費を基本的に国が出す、いわゆる国立大学が一定数なければならないことは明らかである。国立大学が法人化されてもあくまでも国立のものであるということの必要性について、我々は国民とともに十分なる認識を持つ必要がある。
国立大学は以上のような理由から国民のコンセンサスを得て国によって設立され、国民の税金によって賄われているものであるが、その活動により大きな自主性をもたせて、より良くその目的を達成させるために国立大学法人とされるのである。したがって我々国立大学の教職員は上記の目的を国民から我々に付託された責務と考え、これに十分応えるべく最大限の努力をしなければならない。国立大学の行う教育研究活動を効果的に行い、国民に対して透明性の高いものとし、説明責任を負うのは当然であるし、それは国民の側からの評価に十分に耐えるものでなければならない。
2.法人化に際しての考え方
京都大学の使命は明確である。それは、伝統的学問をしっかり継承し発展させること、基礎研究を重視し、新分野を切り拓いてゆくこと、また社会や世界が提起している深刻な問題の解決に向けて積極的に対応すること、そういったことの出来る優れた人材を育成することである。
京都大学はその使命についての自覚と今後果たすべき役割についての先見性に支えられて、いろいろと時宜をえた改革を行ってきた。数年前の京都大学と今日のそれとを比べてみればそれは明らかであろう。一歩一歩着実に京都大学の理念の実現に向けて歩んでいると確信する。それでは京都大学は法人化しなくても十分やっているからよいではないかという質問が出るかもしれない。確かに法人化は自ら望んだものではない。国や社会から要請されたものである。我々は、教育研究はあくまでも大学の自治の中のものであり、教員・研究者の自由な発想を尊重すべきものであるとして、国立大学法人法の作成過程において多くの意見を述べてきた。その中で受け入れられなかったものもあるが、一定の自主性・自律性を確保した法人となったことは評価できるだろう。
言うまでもなく、法人化は目的ではなく大学を良くしてゆくための手段である。これは大学の自主性・自律性を発揮するための制度的枠組であり、運用次第で大学は良くもなり悪くもなる。その意味で、文科省をはじめとする国は大学の教育研究という特質を十分踏まえて法律を運用すべきであり、一方国立大学はこの枠組を積極的に活用し、より良い大学を築いてゆく努力が求められているのである。京都大学の場合、大学の自主性をより良く確保する努力をすることによって、これまでよりも一段と京都大学の理念の実現に向けて力強く進んでゆくことができるようになるだろうし、またそうしなければならない。
国立大学の法人化については、2つのステージに分けて考えることが必要だろう。その第1のステージは移行期であり、ほぼ第1期中期計画の終了までの期間が考えられる。第2のステージは第2期中期計画を具体的に作り始める、今からいえば約5年後以降であり、国立大学法人のいちおうの完成された姿である。第2ステージのあり方については次節以降に論じることにして、ここでは目前に迫っている移行期についての考え方を述べよう。京都大学としての第1ステージでの私の基本的な考え方を一言でいえば、我々はこれまでも改革のための不断の努力をして来たのであり、これからも同様の努力を続けてゆくことが肝要であり、法人化されたからといって、これまでと全く違ったやり方をする必要はないし、またそうすべきではないだろうということである。いたずらに疑念と不安・混乱を醸成し、静かな教育研究の場であるべき環境を破壊することは極力避けなければならない。我々は右顧左眄せず、なすべきことをなしながら、着実に法人へ移行してゆくべきであると考える。
国立大学法人という全く新しい枠組のもとに国立大学が新しく出発するのであるが、それは全くの更地に作るものではない。これまでの大学構成員が継続し、長い伝統の上に築かれてきた組織を変えてゆくのである。だからこそ劇的なインパクトを与えて一挙に変えるべきだという意見もあろうが、それとは全く逆に、ゆっくりと変化しながら移行してゆくという方法もある。京都大学の場合は後者の方法をとるのがよいというのが私の考え方である。既に述べたように、これまでの数年間に京都大学は京都大学の本質を十分に維持しながら目ざましく変ってきた。毎年毎年は少しずつしか変っていないようだが、第1期中期計画が終了した時点で振り返ってみると、大きく変っていたというような変り方で進むのがよいと信ずる。
これは、我々は法人化に際して何もしないでよいということではない。法人化は京都大学として必要な改革を行う絶好のチャンスである。大学の責任体制、運営方式等が根本的に変るのである。それが具体的にどのような構造と機能をもつものであるべきか等について、部局長会議の下に数個のワーキンググループを作って現在鋭意検討中であるが、既に述べたように京都大学の良き伝統と特徴を失わず、教育を充実させ、創造的な研究がますます盛んになるような形態でなければならない。
法人化に際して最も大切なことは、京都大学が1つのまとまりのある有機体としてその使命を果たすために活動することである。京都大学の全ての構成員がこのことをよく認識することが必要である。個々人が自分の職分を全うする自己改革の努力をするとともに、新しいことに前向きに挑戦してゆく気持を持ち、大学全体のためによく協力するということに十分な意を用いていただくことをお願いしたい。
3.学長のリーダシップについて
大学が法人として一体的に活動するための方法として、学長のリーダシップ、あるいはトップダウン的なやり方ということがよく言われ、国立大学法人法にもそれが可能なように規定されているが、京都大学においては、これまでも民主的な方法で物事を決定し運営してゆく方法をとり、多くの改革をしてきたのであり、法人となった後もこの考え方を尊重した運営がなされるべきであろう。大学構成員が全ていきいきとして教育研究に携り、事務その他の職分を全うし、前向きに種々の新しい企画を立案し実行に移してゆけるような雰囲気・環境を作り出すことに学長は腐心すべきであって、ことさらトップダウン的な形のリーダシップを発揮する必要のない運営をこそ理想とすべきであろう。
大学が自主性・自律性を持った独立した法人として国や社会に対応するのは当然であるが、学内については決して企業や官庁の組織論のようにやるべきではない。大学における教員・研究者は組織の人となっては意味がないからである。もっと極端な言い方をすれば、研究者が大学のために貢献するのは教育の分野においてであって、研究の分野においては基本的には研究者の自由であるべきである。大学側は研究者に自由に活躍してもらって大学の名声を高めてもらえるようにするとともに、皆のコンセンサスの下に大学の将来を考えた新しい分野を積極的に開拓する等の努力をすべきものと考える。
国立大学は法人化後かなりの自治をもち、大学の中の多くのことは大学自身が決定することになるが、これは国民から見て納得できるものでなければならない。国民が国立大学の存在意義を認め、ぼう大な税金を投入するのは、国立大学の自治、自主性・自律性を尊重することによって大学の使命が最もよく達成されるからであり、また最も大きな成果を期待できるからである。したがって国民の京都大学に対する期待に応え、その評価に十分耐えられるよう努力することは大学の当然の義務であることを大学構成員全てがよく認識しなければならない。
そういった意味で、大学の自治が直ちに学部の全面的な自治・独立性といったことに直結するわけではない。部局の自主性を踏まえながら大学全体としての目標や方向性に基づいたバランスのとれた運営が必要である。大学としての発展を期するために、場合によっては部局を越えた組織の改変もありうるわけで、そうすることによって大学全体として最善の成果を出すことができるようにしなければならない。したがって学長には今まで以上に微妙な舵取りが要求されることになる。学長のリーダシップとはそういったものであり、トップダウン的に物事を決めて指示するといったことではない。いずれにしても大学内の運営が社会から厳しく見られていることを忘れてはならないだろう。
4.教職員にとっての法人化
法人化後の国立大学は国からも、また社会からも、いろんな観点で評価されることになる。これは必然的に大学間の競争を誘発し、年を追って激しいものとなってゆくことは目に見えている。これは同様な形の大学改革を行った先輩国イギリスを見ても十分想像できることである。外部から大きな研究費を獲得できる優れた研究者の取り合いが起こるだろうし、そのために業績給の方向に教員の給与体系がかなり変ってゆくことになるだろう。教員の任用には広く世界中から公募し、外部のその分野の専門家の意見を聞いて最良の人を選ぶという透明性の高い人事採用方式を取り、優秀な教員を積極的に採用するべきである。また一方では若手研究者に任期制を導入し、実力のある人のみを助教授・教授に選ぶというプロセスを今まで以上に厳格にしてゆくことになるだろう。そうしなければ数年先には競争的資金の取得額等において他大学に追い抜かれ、決定的なダメージを受けることになり、大学は活力を失ってゆく危険性がある。研究者世界、研究費環境が既にこのようなところに変ってしまっていることに対する我々の認識は不足しており、危機感が欠如していると言わざるをえない。
大学で行われている地味で息の長い研究、必ずしも時流に乗らない分野の研究、学術文化の継承等に関する分野などをどのようにしてゆくかが、これからの大きな課題となるだろう。特に京都大学においてはこのような性格をもった分野が相当な割合を占め、これが京都大学の大きな特徴をなしていることをよく認識し、大学全体のコンセンサスを得て発展させてゆかねばならない。具体的には大学の予算配分においてそういった分野のことを十分に配慮するとともに、外部資金からのオーバーヘッドを活用して、地味な基礎的学問を振興するのは当然のこととなるだろう。研究の世界が厳しい競争的なものとなればなるほど、京都大学のようなしっかりとした懐の深い大学においては、いろんなところに余裕を持たせて、他の大学には真似の出来ない所に資金を配分し、個性をますます輝かしてゆけるようにしなければならない。研究者は自分のことだけでなく、京都大学の他の研究分野の大切さについてよく理解し、相互協力をしなければ総合大学であることの意味がない。
現在もそうであるが、法人化後は特に優れた学生を集め、優れた教育を施し、国際社会に出て活躍できる人材に育てるということが、大学の将来の地位に最も大きな影響を及ぼすということを我々は改めてよく認識する必要がある。つまり学生の面倒をよくみ、しっかり教育をしてくれる大学であるという評判を得ることが大切なのである。現在は京都大学のこれまでの名声によって優れた学生が集まっているが、もし他の大学の方がもっとていねいに学生に接し、良質の教育を提供しているということになれば、優れた学生はそちらに移ってゆくことは明らかである。
良い学生を集めようとする工夫は、入学試験の仕方、高大連携、教育内容の広報、世界的な研究者がいて優れた研究をしているといった形でのPRなど、いろんな形で既に始まっており、競争はますます激しくなってゆきつつある。法人化されれば自己資金で奨学金を学生に与えたり、海外留学制度を作ったり、また学生宿舎・食堂、その他の施設を充実し、学生に対して魅力のあるキャンパスを提供するといった努力が各大学でいろいろと行われるだろう。また学外からいろんな人達を呼び講演会や文化的な催しを頻繁に開催したり、就職などについてのガイダンスに力を入れるなどのことも、これまで以上の課題となるだろう。
以上に述べて来た学生に対する教育や様々なサービスは大学当局が本格的な努力をするとともに、各教員がよく自覚し、どこまで自分の時間を講義の準備や学生のためにさく気持ちになるかどうかにかかっている。さらに将来は学生の教育に特化した教員、国際関係を含む対外関係の対応に特化した教職員、あるいは大学活動の基盤を支える各種のシステムの運営とその発展に特化した教職員、といった種々のタイプの教職員が必要となる可能性についても十分な検討が必要となる。
国立大学の教職員は法人化によって国家公務員ではないことになる。その雇用関係は原則的に一般企業の場合と同じになる。ただ一挙に全てを変えることはできず、移行期は実質的に現在とあまり変らないだろう。しかし第1期中期目標期間の終り頃にはかなり変っているだろうし、またそうでなければ法人化の意味がない。したがって教員だけでなく事務職員や技術職員、その他の職員にとっても、これからは大きく職場の変化が起こるだろう。職場が徐々に専門職能化してゆくとともに、各部門での企画力と実行力が問われることになってゆく。近隣の国立大学との間での人事交流は将来とも適当な形で行われるだろうが、常に職務に対する能力と熱意が問われることになる。大学の教育研究や医療を支える多様な業務のうち、一定の定型化した仕事については外注にするのが良いかどうかを経営的立場から考えることになるだろう。職員はそれぞれに不断に自己研修に努め、仕事の効率化その他について実績をあげ、事務機構等についての改革を進める必要がある。
5.学生諸君にとっての法人化
以上に述べてきたことから明らかなように、法人化によって学生諸君に対する教育は現在より以上に充実し、また学生生活全般にわたってきめの細かいサービスを提供することになることは間違いない。学生諸君の最大関心事である授業料等については、国がその標準額を示し、各大学はこれを参考にして決定することとされている。 京都大学の場合、授業料をこの標準額より高く設定することはせず、学生諸君の負担を増加させないよう努力するつもりである。
京都大学は、これまでどちらかというと研究中心で施設・設備の整備を行ってきたことは事実である。これからは学生の教育をはじめ学生が自ら学び、交流し、課外活動を楽しむことのできる、豊かで文化的なキャンパス環境を創出する方向の努力もしなければならない。このような考え方のもとに、とくにここ数年間この方向で努力をしてきたが、法人化はその方向性を強化し、学生諸君に対する教育と福利厚生の充実を図るよい機会であると考えている。その方向は概ね次の通りである。
(1) 学生の学習意欲を高め、能力を伸ばすための教育内容と教育システムの提供について一層の工夫をする。学生による授業評価等を導入して授業の質の向上をはかるとともに、各科目の成績評価の基準・方法を明らかにし、成績についての客観性を高める。
(2) 国際的視野をもって活躍できる人材を育成するために外国語教育や教養教育の充実を図る。
(3) 優れた資質をもつ留学生を受入れるとともに、京都大学の学生を積極的に海外に送り出し、国際的な場で成長するチャンスを拡大する。
(4) 教育に必要な設備、図書館、情報ネットワーク等の整備充実を図る。
(5) 教職員と学生の交流・対話を可能とするパブリックスペースや課外活動の場の整備などを行い、キャンパスアメニティを高める。
(6) カウンセリングセンターや保健管理センターなどをさらに充実し、学生の各種の相談に応じるとともに、キャリアサポートセンターによる卒業後の進路相談等をさらに積極的に行うなど、学生諸君が学生生活を安心して送れるようにする。
(7) 日本育英会の奨学金のほかに、各種の奨学金制度の拡充等に努めるとともに、学生に対する経済的支援についての相談機能を充実する。
こういったことは従来の国立大学のままでは簡単には出来なかったことであり、法人化された大学においてこそ独自の努力によって実現できるのである。国立大学の法人化はそういった意味でも学生諸君にとってメリットのあるものであり、またそうなるように大学は努力するつもりである。
ただ学生諸君に対しては次の事を言っておきたい。それは大学が全力を注入して学生の教育を行うのであるから、学生諸君はそれに応えて今まで以上によく勉強をしてもらいたいということである。大学が学生の教育に対して責任をもつということは、卒業生の質について大学は社会に責任を負うということであり、京都大学として認定する基準を満たした学生のみを社会に送り出すということを意味する。そうでなければ京都大学は社会の信用を失うことになりかねない。したがって試験は厳正に行い、達成度の低い学生は卒業させないという方向に移ってゆくことは間違いない。学内において学生の自由は最大限尊重するが、社会一般に通じる倫理・道徳基準は当然守られるべきであり、学生としてあるまじき行為をした場合には、その責任を明確化しなければならなくなる。そうしなければ大学が社会から非難される可能性も出てくるわけで、これからは学生に対する曖昧な対応の仕方は許されなくなってゆくのである。
6.法人化作業における基本的方向
これから来年4月までになすべきことは多い。これらは全て大学運営の根幹にかかわるものであり、従来から行ってきたように十分な議論をし、相互理解の上に決定してゆくべきものである。残された時間は限られているが最大限の努力をしたい。現在部局長会議の下に幾つかのワーキンググループを作り、法人化への作業を進めているが、そこでの基本的な方向は以上述べてきたような考え方に沿ったものであると理解しており、次のように要約することができるだろう。
1. 学費の値上げは極力避け、学生の教育の充実にさらなる努力をする。また種々の観点からキャンパス環境を整備し、魅力を高める努力をする。
2. 学問の自由を守るために教育公務員特例法の精神を学内規則に反映させる。
3. 大学全体の発展のための戦略とこれを実現するための学長のリーダシップを各部局の意思との間で調和させるために、部局長会議を重視し、役員会と部局長会議との意思疎通がはかれるよう工夫する。
4. 自由意志に基づく基礎的・萌芽的研究が安定的に行われるように、研究分野にかかわらず一定水準の基盤的研究費を保証する一方、大学として支持すべき分野に弾力的に研究費を配分できる方法を工夫する。
5. 学問の進展に応じ、また社会の要請に応えるためにも、新しい教育研究組織等を弾力的に作り出してゆけるメカニズムの工夫をする。
6. 経営協議会や役員、あるいは職員などへの学外者の登用については、真に京都大学のために献身してくれる人を選ぶ。
7. 大学運営がさらに円滑かつ効率よく行える事務組織の改善を図るとともに、事務職員の資質向上を図るための研修の充実を図る。
8. 大学の社会貢献、産学連携、情報発信などの活動をさらに展開し、国際社会における京都大学の存在価値をいっそう高める努力をする。
9. 教職員が安心して、またそれぞれの能力を十分に発揮して活動できる就業規則を定め、安全管理の行き届いたより良い職場環境を作ってゆく。
7.おわりに
国立大学の法人化は京都大学が世界の大学へと飛躍してゆく大きなチャンスであり、この機会になすべき改革を大胆に実行することが必要である。それには大学構成員それぞれが現在の京都大学のおかれている状況をよく認識し、改革の意義とその目ざすべき方向を理解するとともに、それぞれの意識改革への努力を行うことが不可欠である。この大学改革には第1期中期目標期間の終り頃までの数年が必要となるだろうが、この期間が京都大学の50年後、100年後にとって最も大切な期間となることは間違いない。
どのような改革を行ってゆくべきかについて上記したことはあくまでも私個人の考え方であり、京都大学のどこかの会議で承認されたというものではない。しかし現在幾つかのワーキンググループに分れて法人化について行われている各種の検討は、おおむねここに述べたような観点からのものであると私は理解している。それは秋には具体的な形となってくるであろう。本年12月16日に就任する次期総長は法人化後の初代学長となるわけで、この総長が選出された後は、その総長の考え方を反映した検討が再度なされるべきであろう。
これからは今まで以上に厳しい大学間競争の時代に入ってゆくことになるが、我々は新しい総長の下にお互いに一致協力し、21世紀の国際社会や日本の発展に貢献してゆく卓越した大学に京都大学をしてゆかねばならない。そのためにも大学構成員の皆様の法人化についてのより良き理解と意識改革を心からお願いするものである。
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