認知神経科学
2024年秋号
巻頭特集
この世界で生きる誰しもが持つ「こころ」。にもかかわらず、「こころとは何か」の答えは難しい。「こころがどこにあるのか」すら分からないゆえか、こころの学問「心理学」が見据える射程は幅広いもの。同じ「心理学」といえども、こころをどこから考えるのか、どの切り口で見つめるのかは、学問領域によって大きく異なる。今号は京都大学で進められている「こころ」の研究の一部を取り上げて、捉えきれないこころの一端を垣間見てみよう。
あなたは、
どの心理学
を学ぶ?
京都大学に心理学を学べる学部は複数あります。特に総合人間学部、文学部、教育学部では、心理学やそれに関連する授業を履修できます。心理学に興味のあるあなたが、学部選びを迷うときに基準の一つとなるのは「心理学以外のどんな分野に関心があるのか?」です。心理学を専攻しても、卒業するには心理学以外の授業の履修も必要です。各学部の心理学以外の学問分野にも注目すると道が開けるかもしれません。
京都大学に所属している「こころ」の研究者たちの組織。2021年に発足。心理学、認知科学、神経科学、情報学をはじめ、いわゆる文理を超えた学際研究の発信、推進を目指す。約80名の研究者で構成される。
https://www.kokoro-unit.kyoto-u.ac.jp/
※ 写真をクリックするとそれぞれのインタビューに移動します。
こころは捉えどころがなく、見る人や状況で見え方も変わるもの。そんな曖昧な存在を、自分にとって腑に落ちる形で理解したくて研究をしています。私が心理に迫る鍵は、人間の脳機能。fMRIを使った脳活動の測定や、脳の損傷と認知機能の障害との関係を探りながら、こころの解明を目指します。
研究に使うのは、科学的で客観的なデータです。実験対象者が本当は何を考えているのかを知ることはとても難しく、脳機能の測定も一筋縄ではいきません。科学としての客観性を担保するために、正答率や反応時間といった行動データ、脈拍や呼吸といった生理指標、そして脳の活動など、測定可能なものを対象にするのが、実験系の心理学の基本的な考え方です。
着目するのは、人間の正直さ・不正直さ。例えば、悪行ばかりの人が家族には優しかったり、誰から見ても誠実な人が不正に手を染めたり、人間には善悪で切り分けられない多面性があります。他にも、利他的、協力的な振る舞いは人間関係においてポジティブに作用しますが、逆方向に作用すると「みんなのために」と不正を誘発してしまう。こうした心理のプロセスを、脳の機能から説明したいのです。人間の本性をより深く、科学的に理解し、善悪の判断を行うメカニズムに関する新しい視点や概念を提示したいと考えています。
そもそも脳は動物にしかありません。神経系のない植物との違いは、動けるかどうか。「脳は動くためのものだ」という意識を私は忘れないようにしています。記憶や感情、言語を司るのは脳ですが、歩いたり、手を動かしたりする「動作のための脳」という視点は心理学では疎かにされがち。脳とこころはイコールだとは言い切れませんが、こころの働きの多くは脳が規定している。脳内で生じているものがこころを形成している、とは言えるかもしれません。
fMRIで「コイントス課題」をする実験参加者の脳活動を撮像した結果*。参加者は、コインを投げる前に予測結果を報告する「(嘘をつく)機会なし」条件と、事前の報告を必要としない「(嘘をつく)機会あり」条件の下で課題に取り組み、予測が当たれば金銭的な報酬を得られる。「機会あり」条件では、予測が外れても嘘をつけば正解できる。嘘をつく割合と〈報酬〉を期待する側坐核(そくざかく)の活動との関係を見ると、側坐核の活動が高い人は嘘をつく割合が高く、活動が低い人は嘘をつく割合が低い。さらに、〈報酬〉をより期待する傾向のある人は、正直に振る舞うときに理性的な思考や行動の制御を担う前頭前野の活動が高い。正直に振る舞うときに理性や意志の力が必要だと示唆している。
*Abe & Greene, 2014, Journal of Neuroscienceに基づく
あべ・のぶひと
東北大学大学院医学系研究科博士後期課程 修了。京都大学こころの未来研究センター 准教授などを経て、2024年から現職。
キーワード臨床心理学/心理療法/カウンセリング/青年心理/こころの健康
問題や悩みを抱えるクライエントと向き合い、こころにアプローチする心理療法。その土台となるのが臨床心理学です。いつも自分とともにあるのに、自分でも分からないのがこころ。自分でも分からない自分のこころを通して、相手のこころを理解しようとするわけですから、そこには、どう転んでも不完全さや曖昧さが付きまといます。
言葉や行動として表現されていないようなクライエントのこころを、自らの感覚を頼りに受け取ります。目の前の人の言葉、振る舞いから「わたし」はどんな印象を受けるのか。ここには、カウンセラーの個性が表れる。クライエントのこころの理解において、カウンセラーである「わたし」の存在と影響は無視できません。生理学や行動科学などの科学的なこころの知識は必須です。でも、科学の知はあくまで平均値。目の前の「個人」を自分のこころを通して見つめることがおもしろさであり、難しさです。
時代が変われば、人の悩みも変わる。かつては、安定して働き、結婚して家庭を持って自立することが「大人」とされました。でも、雇用が流動化し、家庭を持たない人生も珍しくない現代、「大人」が変わりました。すると、子どもと「大人」の間である青年期の成長のあり方が変わる。そうして、相談内容にも変化が起こるのです。しかし、内容は違えど、変わらないのは青年期のこころが大人になっていく苦闘の中でそれぞれに「つらさ」を感じていること。時代に合わせて、悩みの内容も、解決の道筋も変わりますが、「つらさ」を感じる過程を理解しようとする営みの本質は今も昔も変わりません。
京大の臨床心理学は、こころの問題の表面の形よりも深い根っこを見つめていく傾向が強い。対症療法で現代社会に適応させるのではなく、こころの奥深くの扉を開いて、問題の根本を捉えようとします。すごく個人の内面重視のようですが、実はこうした視点は地球規模の課題の解決にとっても重要なもの。社会がどんどん便利で豊かになっても、幸せは実感できず、幸せを求めていっそう努力する中でかえって問題を悪化させてしまっています。そんな社会課題も、幸せを求める個人の小さな選択の積み重ねの結果です。こころの問題の深い根っこを追究する京大の臨床心理学は、社会の課題に寄与できる可能性を秘めていると思います。
学生相談部門では、学内5か所に相談室を置いています。大学生活上で抱える対人関係などの悩みや、学業、進路の悩み、精神的な不調などについて、困っていることは何でも相談できます。
https://www.assdr.kyoto-u.ac.jp/ssc/about/access/
すぎはら・やすし
京都大学大学院教育学研究科修士課程修了。博士(教育学)。京都大学カウンセリングセンター講師、教授などを経て、2022年から現職。
キーワード教育心理学/発達心理学/性格/個性/ビッグファイブ理論/質問紙調査/データサイエンス
私が専門とする教育心理学は、基礎研究に近い面もありますが、「教育」心理学である以上、教育現場への貢献は欠かせません。調査をしたい教育や発達に関するテーマについて質問紙調査を実施し、回答を統計的に分析することでこころの姿に迫ります。学校ではどんなことが起こり、何が問題となっていて、原因はどこにあるのか。人間の認知・行動をデータサイエンスで紐解きつつ、現場にも足を運び、児童生徒の顔を思い浮かべながら研究しています。
質問紙調査は、大量のデータを簡便に得られるのがなによりの強み。たくさんの人から集めたデータや何年も継続して蓄積したデータだからこそ、見えてくるこころの姿があります。平均値に加えて重要なのはデータの示すばらつき。このばらつきは統計的には「分散」ですが、社会に置き換えると人々の個性、多様性に他なりません。こころの在り方は十人十色。データサイエンスの知見を駆使して人々のこころの分布を正確に捉えることで、個性に寄り添ったサポートを実現できます。
データからこころに迫る際に私が特に着目しているのが「性格」です。ビッグファイブ理論では、誰しもが「神経症傾向」、「外向性」、「開放性」、「調和性」、「勤勉性」という5つの特性を備えていると考えます。性格は固定的と思われがちですが、青年期から老年期までの日本人10万人を対象とした調査データを分析すると、平均的には年齢を重ねるごとに社会的な適応が高まっていました。一方、「AさんはBさんより協調的だ」という順序関係(相関関係)は変化しづらかった。性格は時系列的にみれば変わるようにみえるし、一方でその順序関係は変わりにくいというダイナミックなものです。こうした知見をもとに、子どもたちの学校や社会への適応や心理的な健康に性格がどのように関連するかを解明したいと考えています。
コロナ禍が引き起こした教育現場の課題の一つに、不登校の生徒の激増がある。ある地域の小中学生1,200人を対象に調査を実施した。「何時に起床したか」、「調子はどうか」などの質問に、学校で配布されているタブレット端末を利用して毎日回答してもらい、児童生徒の心理状態の変化を追跡した。50日分のデータを時系列に沿ってグラフにすると、安定して元気なグループ、日によって振れ幅が大きいグループなど、心理状態の変動は6つのパターンで捉えることができた。統計学的に気分の落ち込みが大きいと判別される児童生徒がいれば担当教員のタブレット端末に通知を出す仕組みを構築中。不登校になる前に、児童生徒そして教員をサポートしたい。
たかはし・ゆうすけ
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。京都大学白眉センター特定准教授などを経て、2020年から現職。
キーワード知覚心理学/心理物理学/視覚/運動視/錯視/感覚間相互作用/VR/fMRI
文学部の心理学は実験に基づく基礎研究が特徴です。私はそのなかの「知覚心理学」、とくに「視覚」について研究しています。例えば図1は動いて見える錯視の例ですが、どのように動いて見えるかには個人差があります。実験を通して錯視を数値やグラフとして定量化することで、錯視がなぜ生じるのかを説明できる理論を探究しています。
実験は自分自身の目で真理を確かめられるのがなによりの醍醐味ですが、同時に条件やアプローチ次第で幾通りもの真理がありうることも実感できます。こころは多面的で捉えどころのないもの。自分にとっての切り口を見つけることが重要です。
「錯視を研究している」と言うと、「それも心理学なんですね」とよく驚かれます。ですが、誰かと会話している場面を考えても、目で相手を見て耳で声を聞いていますよね。心理的な活動はまず見たり聞いたりしないと始まらない。知覚心理学は心理学の中心、とまでは言いませんが、その基礎を支えている分野です。
さきほどの錯視の例では、全く動いて見えない人もいます。視覚にも個性があり、同じ見え方の人はいない。考え方や意見の違いも、見ている世界が違うから生まれるのかもしれません。視覚の個性を理解することは、心的活動全般を紐解く鍵になる可能性を秘めています。
錯覚にはラバーハンド錯覚のような視覚と身体感覚があわさって生じるものもあり、人間の知覚の奥深さを実感します。こうした知覚の理解は技術開発にも応用できるもの。私も自動車の自動運転技術のシミュレータの改良などに携わっています。従来の技術開発は平均的な知覚が基準でしたが、知覚の多様性が徐々に重視され始めている。よりいっそう基礎と応用との橋渡しに力を注ぎたいと思います。
片手を箱の中に入れ、視界から隠す。机の上に置いたゴム手袋を見ている状態で、生身の手とゴム手袋に同時に筆で触れ続けると、ゴム手袋が自分の手になったかのような錯覚が生じる。(Kaneno & Ashida, 2023, Frontiers in Human Neuroscienceの図を元に作成)
あしだ・ひろし
京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。立命館大学文学部助教授、情報通信研究機構客員研究員などを経て、2015年から現職。