日時:2023年8月3日(木) 場所:京都大学 総長応接室
特集 巻頭鼎談
家次 恒(中央)
シスメックス株式会社 代表取締役会長 グループCEO
湊 長博(左)
第27代京都大学総長
野崎治子(右)
京都大学理事(広報担当)
湊● 先日の報道によると、家次会長が社長在任中にシスメックス社の時価総額が約32倍になったそうですね。ものすごい数字だと思います。しかも、会社はどんどんとグローバル化している。このような成果をあげられた秘訣は何だったのでしょうか。
家次●
私どもシスメックスは、血液検査に関する装置を開発・生産・販売する事業からスタートしていますが、血液検査は一人につき、一検体となりますので、マーケットの潜在能力は人口に比例する。世界規模で考えると現在は80億。しかし、日本の人口は減っていくなかで、成長を維持するには海外展開が必然でした。
もう一つは、お客様に製品を直接販売してきたことがよかった。ユーザーの視点は技術開発・改良に不可欠ですが、代理店を介するとお客様からのフィードバックも代理店経由になります。ですから、市場を世界に拡げるときも、直接販売するルート開拓に力を尽くしました。
企業がグローバル企業かどうかを分ける重要なマーケットがアメリカです。規制が厳しくシェアを伸ばすのは難しいのですが、様々な幸運が重なり、直接販売・サービスを展開できたことは、会社の成長の後押しになりました。それに、EUが誕生して経済圏がひとつになり、中国でも漢方薬などを使う東洋医学から西洋医学への転換が進むなどの流れに乗れたのも幸いでした。
野崎● 社内のダイバーシティ推進の戦略も素晴らしいですね。2009年には研究開発拠点に社内託児所を設置されていますし、博士号取得者や外国人の採用にも積極的に取り組んでこられました。
家次● バイオ系の分野は女性の従業員の割合が多いですから、当然といえば当然のなりゆきでした。結果的にグローバル化の方向性に合っていますね。
湊● 以前に私の研究室で、シスメックス社と免疫関連の共同研究を実施させていただきました。すると、開始早々ほんの1年ほどで、御社の若い研究者がもう論文を仕上げてこられました。内容もとてもロジカルで、ずいぶん優秀な研究者がおられるんだなあ、と感心したものです。
家次●
シスメックスは、医療機器の製造を手始めに血液検査やその解析、ゲノム医療などの分野に事業を展開してきました。転機となったのが、ライフサイエンスへの挑戦を目指した2000年の中央研究所の開設でした。このときに神戸大学学長を退任されたばかりの西塚泰美先生(故人)に、名誉顧問としてお越しいただきました。
西塚先生は京都大学医学部を卒業され、医学部助教授から神戸大学に移られていました。生命現象の調節機構やがん化機構を明らかにされた方です。こうしたつながりを契機に、医薬や生物学の研究者の関心を集めたことが大きかった。
野崎● 西塚先生は文化勲章を受章された医学界のビッグネーム。今日で言う、インフルエンサーですね。
家次● こう振り返ると、コツコツと取り組んできたことはもちろんですが、世の中のニーズと人材をうまく捉えてきたのでしょうね。
湊● とはいえ、誰でもがそういうチャンスを手にできるわけではありません。トップの力量が大きかったからでしょう。
家次● 私は、「おれはツイてるから大丈夫や」、「社員が心配しているときに、トップが不安そうな顔をしていてはいけない」と、よく言っている。
湊● 私が長年一緒に研究してきた本庶佑先生も、「おれは引きが強いから大丈夫だ」とよく言っておられました(笑)。そう言われると、周りは不思議と安心するものですね。
野崎● 厳しい環境のときほど明るく前向きでいるということは、組織やチームを率いるうえで大切なことだと思います。
家次● 私どもの事業にも本庶先生に関わっていただいていますし、京都大学元総長の井村裕夫先生には「神戸医療産業都市構想」*1の実現にご尽力いただきました。人と人との連携、研究成果と企業活動とが生み出す力に、助けられています。
湊● 御社に出資いただいて経営管理大学院で「シスメックス寄附講座」を開講できたように、大学と産業界の連携はいつも新しいパワーを生み出します。神戸医療産業都市構想では、大学、企業、医療機関などが組織を越えたクラスターを形成しています。そうすることで共通の課題が見つかり、分野横断的な研究がさらに活発になります。
家次●
日本の技術力や研究力は、他国に比べると弱まっています。国、都市、企業・大学、それぞれが自分たちの持つ強みをしっかりと考え、協働して世界に打ち出すことが重要です。
現代はオープンイノベーションの時代。全てを自分たちだけで取り組むのではなく、協働することで研究や開発のスピードを上げていこうということです。専門性を磨いて尖ったものを作り、自分たちだけの価値が生まれれば、協働したい人、働きたい人など、自ずと優秀な人が集まってくるはずです。
湊●先般、主要国の大学学長と意見交換を行う会議に参加しました。そこでユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの学長が、国際的な競争力が求められる大学にとって重要な課題と武器は「アイデンティティをいかにはっきりと示すかだ」と話しておられました。
家次●いわゆる「ブランド力」をどう示せるかだと思うのですね。技術力はもちろん、デザイン力や広報力も重要な要素です。自分たちの強みを明確に示して他との差別化をはかることができれば、他社や他機関との連携も生まれやすい。
湊●自分たちで、「うちのここがすごい」と思っているだけでは、先には進めません。それを社会に伝わるよう発信することが必須です。
広報という点では、広報担当の野崎理事は京都大学を卒業後、企業で活躍してこられましたが、常勤理事を企業からお迎えするのは、野崎理事が初めてでした。
野崎●総長から求められているのは、「大学に違和感を覚える」ことだと理解しています。
湊●「大学内の常識が、世間では非常識」、そういう事例はたくさんあります。けれども、内部にいるとそのことになかなか気がつかない。
野崎●私の仕事は、大学に「なぜ?」と問いかけること。それに、当たり前すぎて見逃されている「良さ」を再発見すること。よそ者の視点でこれらを見つけることだと思っています。
例えば、京都大学は、研究者はもちろんですが、優秀な職員が多くいます。最初は縦割り意識や前例踏襲なども目に付きましたが、だんだんと良いところが見えてきます。彼らが持つ仕事への誠実さ、潜在能力に、「大学経営」の視点が加われば、もっと力を発揮できると思うのです。今は、各部局を回って管理職に人材育成での課題や取組事例を伺い、良い事例を全学でシェアする仕組みづくりを進めています。
家次●「大学経営」という言葉が出ましたので言葉を濁さずに言うと、基本的に国からの交付金でやり繰りする日本の大学のビジネスモデルは明治時代から変わっていない。DX化や人手不足などの問題が加速するなかで、時代遅れとも言える部分をどうアップデートしていくのか。これは企業が今、頭を抱えている問題です。
湊●仰るとおりです。旧制帝国大学から新制国立大学に変わってから既に70年余り、この間の大学の仕組みは驚くほど変わっていません。
家次●一つ思うのは、大学は自主財源をもっと確保すべきだということです。予算が下りるのを待つのではなく、自ら調達することで、独創的な研究もさらに活発になるはずです。
湊●大学と経営を同列に考えることは、これまであまり歓迎されてこなかったと思います。しかし、自分たちが大学に本当に必要だと考える資金は自分で調達するという視点も必要でしょう。研究や教育にもっと自由に取り組むには外部資金の更なる確保が必要です。このことは私も言い続けています。
自主財源という意味では基金の獲得も一つです。例えば、iPS細胞研究基金にしても、少額からの寄付が可能で、たくさんのご支援をいただいております。技術の強みを社会に伝えて支援を集め、社会に還元していく、というプロセスを確立していきたい。
組織そのものの変革も必要です。それなしでは、この先の大学運営は立ち行かなくなると思っています。
野崎●総長の危機感に、私も共感しています。母校の変革期に当事者の一員として参画できるのは名誉なことであり、自分なりに貢献したいと思います。
湊●高等研究院には、家次会長が代表理事を務めておられる中谷医工計測技術振興財団*2から研究助成を受けて、「医学物理・医工計測グローバル拠点」を設置しています。財団に、物理学と臨床医学の融合研究というテーマに興味を持っていただいたのがきっかけでした。
家次●財団は、2024年に設立40周年を迎えます。日本の技術力や開発力の向上に寄与し、もっとイノベーションが生まれる土壌を育むために一石を投じて、ひいては日本が元気を取り戻すことを願って「神戸賞」を創設しました。神戸賞の特徴は、バイオメディカル・エンジニアリング分野の若手日本人研究者を表彰することです。ただし、賞金を渡して終わりにするのではなく、研究の発展に欠かせない継続的なサポートとして、研究資金を5年にわたって助成します。若い研究者の励みとなる賞に成長することを理想としています。
湊●国内の研究者の成長をどう担保するかは、優秀な人材を社会に輩出する使命を担う大学にとって大きな課題です。企業ではどのようにして若手のモチベーションを向上させておられますか。
家次●先端的な取り組みにチャレンジする姿勢を、若い人たちに見せることでしょう。また、企業での働き甲斐の一つは、お客様の喜ぶ姿が見えること。これらが大きなエネルギーになると思います。
湊●ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は、「労働の本質は自分の仕事を他者に認めてもらうこと、そして敬意を払ってもらうことだ」と言っておられます。自分のやっていることが、人々から必要とされていると実感できることが、欠かせないと思います。
家次●若い人たちには潜在能力があります。これからの労働は、AIへの代替が進むと思います。しかし、その一方で、人間にはどんな良さがあるのか、それをどう磨くのかという視点を忘れてはいけません。
野崎●AIに使われるのではなく、使いこなせないといけませんね。
家次●新しい技術の誕生は、若者にとって新たな挑戦の機会を与えてくれます。知的ハングリーの精神を育て、もっと存在感を出してほしいですね。
湊●家次会長が京都大学に入学された頃は、大学紛争の真っ只中でしたか。
家次●そうです、ストライキで授業がなかった。だから、友人たちとたくさん議論しましたね。
湊●私も同じ時期です。本を読んだり、友人とどこかで一日中話したりしていました。
家次●本を読んでいなければ議論できませんから、読書もたくさんしましたね。
湊●そうです、吉田界隈全体が、そのような雰囲気でした。
家次●学期の途中から、北白川で下宿を始めました。北白川周辺には理学部の学生が多くいました。また、大学紛争で東京大学の入試が中止になった影響で、関東の学生も多かった。下宿を通して出会った多様な人とのつながりは、人生の宝になりました。
湊●京都大学卒の経営者やリーダーのお話を伺うと、勉学以上に友人との思い出を語る人が多いですね。私もそういった方々とのつながりがこの齢になっても続いています。ですから、お話は実感としてよく分かります。
野崎●私は、アメリカンフットボール部のマネージャーをしていました。監督は、「マネージャーの仕事は、ユニフォームの洗濯ではない。選手が自分で洗濯するように環境を整えることだ」と仰った。それで、全自動洗濯機を調達すべく、OBに寄付を募ったりしたものです。
湊●学生日本一に輝く、黄金期前夜ですね。
野崎●アメリカンフットボール部を日本一に導いた水野彌一さんが監督に就任したばかりでした。将来に向けての新入部員のリクルートや施設の整備、コーチングスタッフの育成など、将来に向けた人づくりと組織づくりに走り出した頃でした。先輩や後輩との関係は今も続いていて、偉い立場の人になっていても、あの頃の感覚で呼びあえる(笑)。
卒業して就職した先は京都大学のOBが学生時代に創業した会社で、社是は「おもしろおかしく」。この精神のもと、どうすれば社員と企業との信頼関係を深められるか、人の気持ちと多様な能力を生かす組織や仕組みはどうあるべきかという仕事をしてきましたが、その原点は、大学時代にあったのだと思います。
家次●私も、「このことは、あの人に聞いたら分かるかもしれない」と思える人たちにたくさん出会えましたね。
野崎●大学には「エースで4番バッター」とでもいうべき優秀で尖った、ちょっと風変わりな人が多くいました。自分にはない発想をする人や才能豊かな人たちと交流することで、「こんな人もいるんだ」とつながっていく。そうして、他人をリスペクトしながら、自分の良さを振り返ることもできる。
この頃の若い人たちは横並び意識が強く、自信がないといわれますが、ちょっとしたきっかけで大きく変わります。研究テーマのディスカッションや将来のキャリアの相談相手となって背中を押してくれる先輩や先生、仲間たちとたくさん出会える京都大学であればよいですね。
湊●京都大学には、学生を型にはめないという伝統があります。それが結果的に、面白い多様な人材が育つ土壌になってきたと思います。
野崎●「京大生にロール・モデルはいらない」、「自分にとって自分自身がロール・モデル」というのが私の持論です(笑)。
家次●経営とはゴールの設定ではないかと考えています。どこにゴールを設定して、そこまでどうやってたどり着くのかを若い人たちに考えてもらいたいと思っています。
変化の大きな時代には、常に複数の流れがあります。どの流れにどう乗るか、その潮流を見極めるのも経営の仕事です。上手く流れに乗れば、自分で舵をとるよりもずっと速く進む。だけど、下手をすれば逆流してしまう。
湊●とても論理的ですね。会長専任になって視点は変わられましたか。
家次●現代は、政治的にも複雑な時代です。その中で企業をどう存続させ、どう成長させるのか。これを考えると止まらない(笑)。
湊●これまでの大学の目標と言えば「世界に輝く」など修辞的なものを掲げがちでした。ですが、家次会長が仰るようにもっと具体的に考えていくことが必要ですね。一朝一夕に変化は起こせません。例えば10年後にどこを目指すのか。10年かけてどのように組織を変えるのか。そのために必要な資金はどれだけか。このように具体化して検討すれば、「歩み方も変わるはずだ」と信じています。
本日はお忙しいなか、ありがとうございました。これからも折に触れてご助言いただければありがたく思います。
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