2023年春号
私を変えたあの人、あの言葉
三宅香帆さん
書評家/作家
図書館へ行くのが好きだった。昔から本が好きで、文学部に入った理由もたくさん本を読むことができそうだから。そんな私にとって、京大の図書館の多さは魅力以外の何物でもなかった。学部ごとに図書館があり、それ以外にも大きな附属図書館が真ん中に居座っている。構内に図書館があるということは、いつでも図書館で本が借り放題なわけで、なんて良い学校なんだろうと思っていた。
しかし実際に大学に入ってみると、小さな空間で起こる人間関係、サークルやバイトや授業といった少しの用事たちで時間が埋まる感覚があった。本や漫画はたくさん読んでいたけれど、それは無限の時間を舐めるような怠惰な読書だった。私の人生においてたぶんもう二度とない、怠惰で退屈な愉悦を味わうような読書だったのだ。
しかし私が21歳の頃だっただろうか。文学の研究をしている先生の授業で、こんな言葉を聞いた。
「僕は、図書館に行くと怖くなる」
先生いわく、図書館というのは、自分が読めていない本がまだこんなにあると意識させられる場所だというのである。自分はまだ小さくて、そして死ぬまで本を読んでもここのすべての本は読み切れない、そう図書館に行くたび思うのだと。
私が人生で初めて、若い読書―無限の時間を貪るような雑多な乱読のことだ―をやめよう、と思ったのはその言葉がきっかけだった。こんなことをしてる場合じゃない、と人生で初めて思った。図書館に行って、これから読める本の多さに嬉しくなっている場合じゃない。私は、もっと本気で人生の残り時間を使わなきゃいけない、と。
その時私は初めて、人生は有限で、自分が若くて体力があって元気がある時間は意外と短いんじゃないかと感じた。今思えばその時の自分はまだ十分若かった。それでもあの時痛切に「こんなことしてる場合じゃない」と思ったのは自分の転換点だった。図書館に行くといまだに嬉しくなるけれど、それでも残り時間に焦る自分も、確実に存在するのだった。
みやけ・かほ
1994年生まれ。高知県出身。京都大学文学部卒。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程中途退学。2017年大学院在学中に作家デビュー。会社員を経て、2022年独立。著書に『人生を狂わす名著50』、『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』、『それを読むたび思い出す』等8冊。