2018年秋号
追憶の京大逍遥
村上憲郎さん
株式会社村上憲郎事務所 代表取締役
1965年の4月に京都大学に入学した。中学校の修学旅行で京都に来て、観光バスの窓越しに観た京大に「一目惚れ」しての入学だった。大分県立佐伯鶴城高等学校から受験した3名が、全員無事に合格して、その3名が揃って新設の熊野寮に入寮した。実は、4月の入学時には、熊野寮はまだ完成しておらず、仕方なく受験のときに泊まらせていただいた銀閣寺近くの高校の先輩の下宿に再度泊めていただいた。取りあえず一番奥のA棟と食堂、事務室が完成したということで入寮したのは、4月の半ばを過ぎていたと思う。
入寮したのは、我々のような新入りの1回生に加えて、ちょうど廃寮となった宇治寮の上級生達も一緒だった。ついひと月前まで「純朴」が学生服を着て歩いているような田舎の高校生だった我々の度肝を抜くような上級生達であった。
その上級生達によると、「宇治寮の最後の頃は、隣の部屋に行くのに廊下を通らないでも行けた。というか、行けるようにした」。キョトンとする我々に、「どうせ取り壊すんだから、隣の部屋との壁に穴を開けて、行けるように改造したんよ」と、事も無げに言い放った。
そして、さらに重大なことを我々に告げた。「宇治寮の寮費は、ひと月100円であった。しかしながらこの度、『この熊野寮の寮費は300円だ』と、学生課から一方的な通知を受けた。甚だけしからんので、寮費不払い運動を開始する。ついては、君達一回生にも当然、参加してもらうから、よろしく!」。ニヤリとしながらの宣告は、有無を言わせぬ迫力があって、我々は、思わずコックリと頷くだけであった。
その心中を見透かしたように上級生達は続けた。「勿論、ことは民主的な手続きを踏まねばならない。ついては、近日中に創設される熊野寮寮生自治会に於いて、寮費値上げ反対を決議し、寮費不払いを開始する。不払いと言っても、従来の寮費100円まで支払わないと言っているわけではないので、100円は供託するものとする」。その時は「きょうたく」という音が聞こえただけで何のことやらチンプンカンプンであったが、事態は結局そのように進んだ。
そうこうしているうちに、「寮生コンパ」と称する大宴会が開催された。酔いが回るに連れて、「紅萠ゆる」に始まり、「琵琶湖周航の歌」、各寮生の出身地の民謡、あらゆる軍歌の大合唱へと宴は続いた。結果として、京都新聞の一面に「不夜城京大熊野寮。連夜の大宴会。近隣住民、大迷惑。」の活字が踊ることになったが、「連夜ではないよ」、「近隣住民様お望みとあらば、連夜でも」と、1回生を含む寮生の誰一人として意に介さなかった。
以上のこととは直接の関係はないが、ベトナム反戦運動で私は二回生の時に逮捕された。その翌年、ちょうど50年前の3回生の時に封切られた映画『2001年宇宙の旅』を観て、コンピュータへの道を志し、「極左暴力学生」から足を洗うことになるわけであるが、その経緯は、また別の機会にということで、今回は、これまでとさせていただこう。
むらかみ・のりお
1947年に大分県佐伯市に生まれる。1970年に工学部資源工学科を卒業。日立電子のエンジニアとしてキャリアをスタート。米国DEC・AI技術センターに5年勤務後、ノーテル・ネットワークス日本法人CEOなどを歴任。2003年4月にGoogle米国本社副社長兼Google Japan代表取締役社長としてGoogleに入社。日本におけるGoogle全業務の責任者を務める。2009年に日本法人の名誉会長になり、2011年に退任。