2017年春号
京都大学をささえる人びと
中内彩香さん
iPS細胞研究所 国際広報室
iPS細胞の開発が発表されてから10年。その研究の進展は、私たち人類の未来を大きく変えるかもしれない。しかし、将来、その恩恵を享受するかもしれない私たちは、iPS細胞のことをどのくらい知っているだろうか。むずかしそうなことは専門家に任せておけばよいのだろうか。山中伸弥所長を先頭にフロントランナーとして走りつづけるiPS細胞研究所(CiRA)。新たな10年のスタートラインから見えるのは、どんな未来だろう
iPS細胞をつかってできた治療法や薬を患者さんが利用できる。そんな未来にむかって日々研究がすすめられているが、技術、倫理、制度もふくめて、その道のりはまだ遠く険しい。
多くの患者さんにつかえるような治療となるまでには、ヒトを対象として安全性と有効性を検証するステップをへる必要がある。その過程では、患者さんにリスクを負って参加してもらうことになる。
「参加されるかどうか納得できる判断をしていただくために、iPS細胞のことを正しく知ってもらうことはだいじ。そして、みなさんにいまの研究の立ち位置を正確にお伝えすることも重要です。私たち広報担当者は〈未来〉をみすえて、〈いま〉を発信しています」。力強く語るのは、CiRAの内と外をつなぐ要、サイエンスコミュニケーターの中内彩香さん。
国際広報室には、生物系の基礎知識をもち、研究や広報関連の経験のある四人のサイエンスコミュニケーターがいる。それぞれの知識や経験をいかし、イベントの企画・運営、ニュースレターやパンフレットの発行、最新の研究成果のプレスリリースなどをとおして、iPS細胞研究の最前線を発信しつづけている。
どんな情報を伝えるにもたいせつなこと。それは、「専門家でない方にも誤解なく理解してもらうには、どんな方法と表現で伝えればよいのか、謙虚に模索する姿勢。そして、情報がどう受け取られうるのか、相手がどんな感情をもちうるのかを想像すること」だという。
一般の人たちには、「(細胞の)初期化」、「幹細胞」などの専門用語がハードルとなり、理解を阻むことがある。「新しい治療法の確立を待ちわびる患者さんやそのご家族にとっては重要な情報。伝え方にはこまやかな配慮が欠かせません。また、多くの方にiPS細胞やそれがもつ可能性を知ってほしい。専門用語をつかいすぎると、『先生たちは患者のことを見ていない』、『私たちには関係ない』と敬遠されるかもしれません。かといって、たとえば、『二~三年で臨床研究へ』など、具体的な数字をうかつにつかうのも避けたいところです」。
実用化には多くの関門があり、研究が計画どおりにすすむともかぎらない。「話題性をねらって安易に発信すれば、患者さんたちの切実な思いを裏切る結果を招くかもしれない。私たちの役わりは、一般の方がたと研究者との橋渡し。研究者の立場も理解したうえで、情報を受けとる人たちの目線をいつも意識しています」。
大学院時代に人類遺伝学を専攻した中内さん。生物学の基礎知識はあったが、ゲノムとiPS細胞とでは、研究・実験の手法はずいぶん違う。iPS細胞をふくむ幹細胞研究に頻出する『分化誘導』ということばが理解できず、いちから勉強しなおしたという。「いま思うと、『わからない経験』は私の財産です。このことばで伝わるかな、どうお話しすれば興味をもってもらえるかなと、あのころの自分を思い出し、問いかけています。背伸びせずに、たしかな情報をていねいに伝えること。そうした積み重ねがiPS細胞研究やCiRAへの信頼を高め、その結果として、研究への支援の輪が拡がると信じています」。
なかうち・あやか
1986年に高知県に生まれ、香川県で育つ。2014年に東京大学大学院医学系研究科で博士号(保健学)を取得。2014年から現職。