2017年春号
私を変えた あの人・あの言葉
平野啓一郎さん
作家
私の京都大学での恩師は、もう退任された西洋政治思想史の小野紀明先生で、京大に行って、色々と良いことはあったが、私にとっては、とにかく先生との出会いに尽きると思う。
恩師とはいっても私は学士に過ぎないので、大学院で日常的に先生の謦咳(けいがい)に接していた本当のお弟子さんたちとは違って、せいぜい、講義を聴き、ゼミでお世話になっただけである。しかし、卒業後、個人的におつきあいさせていただいていることも含めて、私にとっては文字通り、人生を変えた大きな存在だった。
思い出話をし出すときりがないが、先生の講義に衝撃を受けて、これはなんとしてもと既にかなりの人気だったゼミに滑り込み、多分、二回目か三回目かのことだったと思う。その年の課題図書は、プラトンの『ソクラテスの弁明』とルソーの『孤独な散歩者の夢想』で、話題が「自然」観に及び、先生に意見を求められた時だった。
私は何も準備をしていなかったが、「自然というのは、いわば〈暴力〉だと思うんです。……」と、手短に思うところを語った。先生は最初、どういうことかなという表情をされていたが、最後まで聴き終えると、やっぱりそういうことかというふうに、何とも言えない〈苦微笑〉を湛えられて、「バタイユだな。」と一言だけ言われた。――そう、私はその当時、ジョルジュ・バタイユに凝っていて、『エロティシズム』の中に出てくるその自然についての一節を、特にバタイユの名も挙げずに、ほとんどそのままパラフレーズしていたのだった。私は決して、心にもなくそう言ったのではなく、事実、バタイユの思想に共感していたから口にしたのだったが、先生のその一言で、何とも言えず恥ずかしくなり、本当に、穴があったら入りたい気分だった。
今でも私は、あんな大変な碩学(せきがく)を前にして、図々しいというのか、単なる馬鹿なのか、得々と他人の思想を語っていた自分を想像すると気が滅入るが、これは私にとって、大きな教訓となった。
思想を語る、というのは、そんなことではいけないのだと、二十歳やそこらの私は、その時につくづく感じた。もっと自分の実存の根底から、自分の頭で考え抜いた言葉でなければならないと肝に銘じたのである。勿論、先生ほど勉強熱心な研究者はいなかったから、私は他方で、自分はもっと、もっと、もっと(!)勉強しなければならないと痛感したのだったが。
その後、在学中に小説家としてデビューし、以後二十年近く、大してスランプもなく仕事を続けられているのは、あの時のことがあったからかなと思うことがある。結局、人が私の言葉のなにがしかを面白いと感じているのは、説得力の補強手段のような他人の言葉の引用部分ではなく、やはり不洗練でも私が自分で、実感と共に練り上げた言葉の部分なのである。
ひらの・けいいちろう
1975年に愛知県に生まれ、福岡県で育つ。京都大学法学部を卒業。1999年、在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』で第120回芥川賞を受賞。以後、数かずの作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。美術、音楽にも造詣が深く、幅広いジャンルの批評を執筆。近著に『マチネの終わりに』がある。
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