2016年秋号
まなび遊山
東山東一条通の交差点から東につづく吉田神社参道の南側に京都大学が設立されてから、2017年で120年。約75万m2の敷地からなる吉田キャンパスでは、幾多の京大生がモラトリアムの時期をすごし、研究者たちが思索を練りあげてきた。周辺には学生・教員御用達の飲食店や銭湯、古本屋が軒をつらね、学生の変化や歴史の移り変わりを見守りつづけている。京都大学を舞台にした小説や、研究者たちのエッセイをひもときながら、キャンパスを飛びだして左京区吉田本町周辺にちらばる「京大こぼれ話」をひろい集めてみた
地図に表示しているように、吉田キャンパスの周辺を以下のの三つのエリアに分けて紹介します。
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正門から東一条を東に進んだところにある、標高102mの丘陵。この一帯は吉田神社の境内で古くから地元の人たちに親しまれている。吉田山周辺ではかつて、旧第三高等学校(現在の総合人間学部の前身)の学生むけに下宿をいとなむ家が多く点在し、帰省シーズンになると町はひっそりしたという。
京大事件をあつかった黒澤明監督の映画『わが青春に悔なし』には、作品のテーマである「自由」を象徴する場として吉田山が登場する。
吉田山山頂の公園にひっそりと建つ三校寮歌の歌碑。歌い出しの「紅もゆる丘の花」が刻まれている
少年時代の私は、しばしば友達と京の山々に登った。吉田山や大文字山は、散歩といえるぐらい楽だった
湯川秀樹『旅人』(朝日新聞社、1958年)
1969年に創業した大衆食堂。量が多く、おいしく、そのうえ財布にもやさしいメニューがずらりと並ぶ。お客さんの8割が京大生。
大将の中村憲治さんいわく、いまの京大生の舌は肥えているそう。むかしの学生は、ごはんだけを注文し、持参のふりかけをかけて食べることもめずらしくなかった。
「まずいものは食べさせられないから、おいしいものをつくらないといけない。毎日たいへん」とうれしそうに語ってくれた。定休日は土・日・祝。昼営業は11時半~14時半、夜営業は17時~21時。
メニューの前に置かれた紙に食べたいものと自分の名前を書いて、店に渡す。料理ができたら、名前を呼んでもらえる
一番人気は日替わりの「丸二定食」。580円!
銀閣寺から若王子神社までの約2kmにわたる疏水べりの小道。京都大学でマルクス経済学を研究した河上肇が眠る法然院などの名所古跡が点在し、地元の人たちの散歩コースとなっている。京都大学名誉教授の西田幾多郎が思索を練ったことでも知られる。
研究やレポートの執筆に疲れたら、ぜひ訪ねてみよう。机の前にいるより、よいアイデアが浮かんでくるかもしれない。
ひとりで歩くもよし、数人で歩くもよし。緑に囲まれて頭がさえ、疏水のそばだから夏は涼しい
西田幾多郎
『善の研究』で有名な西田幾多郎が、思索したといわれるところだが、実際に来てみると、疏水に沿った細い散歩道で哲学するより、恋でも語ったほうが似合いそうな場所だった。
西村京太郎『京都感情旅行殺人事件』(光文社、1984年)
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高野川と賀茂川の合流点、出町柳にある鴨川の三角州の通称。都心部にありながら、北山まで見渡せるのびやかな景色が人気。休日は学生や親子づれでにぎわう。近年はアニメや映画にも登場している。
橋の上からみた鴨川デルタ。飛び石には人が連なり、おたがいに道を譲りながら川を渡る姿が見られる
目的地はデルタ、賀茂大橋のすぐ下にある三角州だった。うちの大学を含め、近隣の学生の飲み会やバーベキューによく利用されていて、そこから鴨川に飛びこむ酔っぱらいも後を絶たない。
瀧羽麻子『左京区七夕通東入ル』(小学館、2009年)
エピソード
1981年にノーベル化学賞を受賞した福井謙一博士は、季節になると、研究室の学生を誘って賀茂川にウナギ釣りに出かけた。学生が賀茂川べりの待ちあわせ場所に行くと、博士は餌となるミミズを用意して朝早くから待っていたという。
ビートルズ好きの東山四郎さん・廣子さん夫婦が運営する銭湯。脱衣場やサウナでもロックンロールがかかり、どこか自由な雰囲気がただよう。「学生と話すと元気がもらえるんだよね。いつまでも若い気分でいられる」。ご夫婦にとって京大生は、お客さんを超えて、友だちのような存在だ。
ただ、最近の京大生のマナーには一言ある。体も拭かずに脱衣場に出てきてしまい、毎日床がびしょびしょになっているという。しかし、ご夫婦はけっして怒らない。「知らないなら一から教えてあげないといけないでしょ」と四郎さん。きょうも銭湯のマナーやタオルの絞り方を学生に教えているかもしれない。
常連さんには洗面器を置くことを許可している。条件はないが、希望の場合は要相談
脱衣場に置かれた「自由ノート」には京大生が思い思いに落書きやことばを連ねる。2009年ころに四郎さんがノートを実験的に置いた結果、京大生が自由に書きはじめたという
いまや京都大学の代名詞として親しまれている「百万遍」。今出川通と東大路通の交差点名だが、その名はすぐそばの知恩寺に由来する。
赤信号でふと顔を上げると、信号機の下に「百万遍」という案内プレートがくっついていた。(中略)ウチの大学じゃあまり見られない、攻撃的な色合いの看板がいくつも並んでるから、あれが京大なのかな(後略)
万城目 学(紅萠21号に掲載)『ホルモー六景』(角川書店、2007年)
店内の奥には谷崎潤一郎直筆の「春琴書店」の書が飾られている
谷崎潤一郎のもとで働いた、久保義治さん・一枝さん夫婦が昭和24年に創業した本屋。ご夫婦をかわいがった谷崎が、自身の著作『春琴抄』にちなみ「春琴堂書店」と名づけた。創業後も親交はつづき、谷崎からの手紙は100通をこえる。ご夫婦は20年ほど前に亡くなったが、いまも谷崎ゆかりの地としてファンがしばしば来店する。
「いまの京大生は本をあまり読まなくなった。どんなジャンルでもよいから活字にふれてほしい」と現店主の久保昭さんはつぶやく。授業が終わったら、足を運んで話を聞いてみよう。
晩年の谷崎が春琴堂書店に宛てた最後のはがき。利き手ではない左手で書いたため、字ははげしく歪んでいる
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百万遍交差点から今出川通を東に向かったところにある喫茶店。レトロな雰囲気で、京大生や教員が読書、レポートの執筆、討論など思い思いに時間をすごす憩いの場として定着している。
店内はほどよい静けさで自習もしやすい
京大裏門前のパン屋進々堂の名は、静子よりの手紙により小菅在獄中より聞き知り、一度そこのパンを食せんことを思ふこと久し
河上 肇『晩年の生活記録 上』(第一書林、1958年)
やがて私は喫茶「進々堂」までやってきました。
緊張しながら喫茶店の硝子扉を押し開けると、別世界のように温かくて柔らかい空気が私を包み込みました。
森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』(角川書店、2006年)
アメフト部(輝け!京大スピリットで紹介)御用達の定食屋。ごはん大盛りは無料。お昼どきには部員が1人はかならずいるという。
1936年のベルリンオリンピックの三段飛びで、京都大学卒業生の田島直人が金メダルを獲得。副賞として贈呈された苗木を京大グラウンドに植えた。初代は害虫に侵され、2008年に伐採されたが、2015年に初代の萌芽から採取し、育てられた2代目が新たに植樹された。
赤いのれんが目印の中華料理店。藤原辰史准教授(萌芽のきらめき・結実のときで紹介)は大学1回生のころから教員となった現在まで、約20年通いつづける。「白水は人生の学校でした。落ち込んだときには、店主やおかみさん、隣の客とたわいない話をして、元気をもらいました」