京都大学の新輝点

安福 良直

10 数字パズルを世界の誰もが楽しめるエンターテインメントに変えていく(パズル作家・編集者/株式会社ニコリ代表 安福 良直)10 数字パズルを世界の誰もが楽しめるエンターテインメントに変えていく(パズル作家・編集者/株式会社ニコリ代表 安福 良直)

 中学生の頃に出会った数字パズルに魅せられ、京都大学時代に2万桁にも及ぶ虫食い算を編み出し、パズル作家・編集者の道を歩み始めた安福さん。幼少期の原体験から、編集長時代に起こった数独ブームの裏事情、パズルの世界を真摯に遊びつくしたからこそ実感しているパズルの魅力まで、広くお話しいただきました。

安福 良直 Yoshinao Anpuku

1967年広島県生まれ大阪府育ち。1986年に京都大学に入学し理学部にて学ぶ。1990年に株式会社ニコリに入社し、パズル関係の出版物や、数独をはじめとするパズルの制作にたずさわる。1999年から2018年まで雑誌『パズル通信ニコリ』編集長を務める。その後、副社長を経て、2021年8月1日に創業者である鍜治真起の退任にともない社長に就任する。

時刻表から約数へ
数字の世界に魅せられる

 物心がついた頃から数字が好きで、幼稚園時代はよく時刻表を眺めていました。列車が好きなのもありましたが、時刻という数字の羅列を眺めるのが楽しかったんですね。小学生になってからは、算数で最大公約数などについて学んだのをきっかけに約数に興味を持ちました。数学が好きな人は約数が少ない素数に魅力を感じることが多いのですが、僕の場合は約数が多い数字に魅力を感じるようになりました。例えば「8なら1と2と4と8が約数だ」といった具合に、約数が多い数字ほど「かっこいい!」と喜んでいたんですね。そこから約数がたくさんある数を探すことに夢中になり、三桁の数字では840が最も約数が多い数字だということを独力で発見したりしていました。

解き方を試行錯誤する
パズルの面白さにはまりこむ

 数字好きがさらに高じるきっかけとなったのが、中学時代に出会ったパズルです。パズルには数字を扱うものが多く、なかでも虫食い算に興味を持つようになりました。ただ当時は数字パズルの本が少なくて、親にねだって買ってもらってもすぐに解いてしまうので後がない。ならば自分でつくろうと、高校時代から本格的に虫食い算の制作に取り組むようになりました。年賀状に虫食い算のパズルを載せて、友達に送ったりもしていましたね。

 数字パズルの魅力は、解き方を探していくところにあると思います。学校の試験問題だと、解き方が決まっていてそこを間違えなければ正解にたどり着けます。でもパズルだとそうはいかない。解き方から考え、解けないと思ったら立ち止まり、試行錯誤して違う切り口を見つけながら進まなければいけません。そこに私は面白さを感じ、次第に大きく難解な虫食い算づくりに挑戦していくようになりました。

安福 良直

虫食い算の一例。

全長200mにもなる
巨大な虫食い算を制作

 数学者になりたいという夢があり、進学先は京都大学理学部を選びました。京都大学に入ったら、自分が思うままに勉強や研究に取り組もうと考えていたんです。でもいざ京大に入ると、周りには自分なんか足元にも及ばない素晴らしい才能の持ち主がたくさんいました。情けない話ですが現実を知り、夢はすっかり萎んでしまいました。

 一方で膨らみ続けたのがパズルへの情熱です。高校時代から「完全虫食い算」という、全てが空欄で数字が一つもない虫食い算に取り組んでいたのですが、次第に「巨大な完全虫食い算をつくりたい!」という想いに取り憑かれるようになりました。講義の合間や、電車通学の時間を利用して、ひたすら虫食い算の研究に取り組み、学部1年生の頃についに作り方を確立しました。ですがそこから実際の問題をつくるのが大変な作業で、大判の方眼紙を何冊も買い込み、ひたすら計算を続けました。いつ完成するのかゴールが見えないままの作業でしたが、数年をかけてようやく、小数点以下2万桁を超えて答えが決まる完全虫食い算が完成。全長200mにもなる大作で、いわばこれが、私の大学生活をかけた研究成果となりました。この虫食い算の発表先として選んだのが、その後自分が編集長を務めることになる雑誌『パズル通信ニコリ』でした。

ニコリ先代社長に直談判
パズル作家への道へ

 『パズル通信ニコリ』は、私が中学生だった1980年に創刊されたパズル雑誌です。同誌では読者からのパズル投稿を受け付けており、私も虫食い算に熱中する合間にも色々なタイプのパズルをつくって投稿していました。当時はサブカルチャー全盛期で、読者と雑誌編集部の距離が近かったんですね。私も東京までニコリ編集部に遊びにいったり、手紙のやりとりをしたり、ニコリが新聞に掲載するパズル制作を手伝ったりしていました。そういう関係があったところに、完成した2万桁超えの虫食い算を送ったわけです。

 ただし問題を送っただけでは向こうも困ってしまうでしょうから、つくろうと考えた経緯や制作方法をどう編み出したかをノートに記して一緒に送りました。すると当時の社長であった鍜治真起さんが「面白い!」と興味を持ってくれたんです。それで『パズル通信ニコリ』の誌面に200mのボリュームの問題全てを掲載するのは難しかったため、経緯の方を紹介いただだくことになりました。

 この頃には私自身も、パズル作家として食べていけるのではないかという自負が芽生えていました。そこでパズル制作会社としても成長しつつあったニコリに就職を打診。しかし最初は反対されました。喫茶店で鍛治さんとコーヒーを飲みながら「やめておけよ」と言われたのを憶えています。当時のニコリは社員が数名しかいない小さな会社でしたので、京大生の就職先としてもったいないと思われたようです。ですが「自分は役に立てるはずだ」という想いがあり、頼み込んで採用していただきました。

安福 良直

(左)2万桁超えの虫食い算の解説が載った『パズル通信ニコリ』。(右) 2万桁超えの虫食い算の開発秘話は書籍にもなった。

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