京都大学を選んだのは
かるたに熱中するためだった
2021.04.15 THU
漫画を原作に実写化された映画を機に、競技の面白さや魅力が広く知られるようになった競技かるた。その頂上を決めるのが、毎年1月に滋賀県・近江神宮で開催される「名人位・クイーン位決定戦」です。競技かるた日本一を決める同大会で、2020年度のクイーン位(第65期)に輝いた、山添百合さんをインタビュー。幼少期から京都大学時代、母校の国語教諭として働く現在までの軌跡をたどります。
京都府宇治市出身。9歳のときに地元の競技かるた団体・京都小倉かるた会(旧京都府かるた協会)に入会し、競技かるた選手として頭角を現す。2009年京都大学文学部に入学し、京都大学の競技かるた学生組織である京都大学かるた会のメンバーとなり、京都大学を団体戦初優勝へと導き黄金期を築く。京都大学を卒業した2013年より母校の洛南高等学校国語科教諭に着任し、教壇に立つとともに社会人選手として活動。2021年1月に開催された競技かるた日本一決定戦にて第65期クイーンに輝いた。
今回のインタビューは、かるた名人であり、京都大学かるた会の後輩である粂原圭太郎さんと一緒に行われました。実は2020年度の競技かるた名人位・クイーン位は、粂原さんと山添さんという京大卒業生が占める快挙だったのです。二人の絆をより深く感じる、名人・粂原さんのインタビューはこちらから。学生時代の山添さんの強さについても紹介されています。
負けず嫌いの完璧主義
かるたが育んだ女王の気質
幼い頃の私は、歌の歌詞を片っ端から覚えるのが好きな子どもでした。なんとなく覚えているのは、浦島太郎の童謡をまわりに歌って聞かせていたことです。浦島太郎の歌といえば、助けた亀に連れられて竜宮城に行くまでを歌った一番の歌詞が有名ですが、実は玉手箱を開けてお爺さんになってしまう五番まで歌詞があるんです。ご存知でしたか?
小倉百人一首をすべて暗記したのは7歳のときです。当時、好きな百人一首歌を披露するのが友達のあいだで流行ったので、「私も好きな歌を決めたいな」と選んだのが、伊勢大輔が詠んだ『いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな』という一首です。理由は単純で、私が1月24日生まれなのを「いにし(124)への」にかけたんですね(笑)。駄洒落みたいなきっかけでしたが、今も好きな歌です。
本格的に競技かるたを始めたのは、9歳、小学3年生のときです。京都府かるた協会(現京都小倉かるた会)に入会して、毎週日曜日になると中高生や大学生、大人と一緒にかるたの練習に励んでいました。競技かるたの面白さは、強さに性差や年齢は関係ないこと。小学生ながら大人に勝ててしまうというのが楽しくて、ますますかるたに夢中になりました。
中学までは協会の練習を中心に活動して、高校は競技かるた部がある洛南高等学校に進学。大学も京都大学かるた会に入るのが目的で選びました。協会の練習には、洛南高校や京都大学の学生さんがよく来られていたんです。だから私にとって、両校に進むのは自然な選択でした。
かるた強者との切磋琢磨で
チームとしての勝利に貢献
京都大学、そして京都大学かるた会での日々はとても楽しいものでした。高校までは個人戦が中心でしたので、京大というチームで勝利をめざすことがとても楽しくて、時間さえあれば仲間とかるたの試合をしていましたね。大会にもたくさん出場しました。
京都大学かるた会は、一人ひとりが自分の信じるかるたを磨いていく傾向がありました。チームでの戦略などを考えない訳ではないのですが、他大学ほどは重要視してなかったんじゃないかな。私が入学した当初はそれほど強豪というわけではありませんでした。
流れが変わったのは私が2年生のとき、後にかるた名人となる粂原圭太郎さんが入学してきたのがきっかけです。粂原くんは多才な方なので、なかなかかるたに集中してくれなくてやきもきしましたね(笑)。でも私が3年生、彼が2年生になる頃から一緒に大会に出ることが増えていき、卒業までの2年間に好成績をおさめることができました。個人戦はもちろんのこと、4回生だった2012年には、大学かるた会の2大イベントである「全国日本大学かるた選手権」と「全国職域学生かるた大会」それぞれで京都大学が団体戦初優勝。京都大学かるた会の黄金期を築くことができました。
当時の京都大学かるた会のメンバーたち。前段左から二人目が山添さん。
かるた愛を深めてくれた
勅撰和歌集の講義
かるたに集中していた大学時代でしたが、1・2年生の頃は授業も熱心に履修していました。当時は年間履修登録数に制限がなかったので、面白そうだと思った授業は、時間割が許す限り詰め込んでいました。
当時の授業で印象に残っているのが、島崎健先生による勅撰和歌集の講義でした。一首ずつ黒板に歌を書き、小さなお声で解説されるのですが、どの和歌に対してもその眼目や表現の良さ、素晴らしさについて語られた最後に、「はーっ」と実感のこもった調子で嘆息されるんです。で、さっと板書を消して、次の歌の解説に移り、また「はーっ」と嘆息して終わる。それがなんだか面白くて好きな授業でした。
正直なところ、私は子どもの頃から競技かるたをやってきたとはいえ、百人一首を歌として見つめたことはなかったんです。だから、とても新鮮で「先生は本当に和歌を愛してるんだな」と尊敬の念を覚えつつ受講していました。
私も現在、教師として高校で古典を教えている身です。当時の先生のようにはいきませんが、「和歌って五七五七七という制限された文字数のなかで、こんなに工夫を凝らして詠んでるねん。おもしろいやろ?」みたいなことはよく授業で言っています。ほとんどの生徒にはポカーンとされてしまうのですが、でも何人かの生徒は「確かに」と感じ入ってくれます。文法の説明をするときも、百人一首を例にあげることが多いですね。なんだかんだいって、自然と出てきてしまうのが百人一首なんです。
勉強でも、それ以外でも、
京大は熱中を許す素敵な場所
大学卒業後、母校の国語科教師として働きながら、クイーン位を獲ることを一つの目標に選手を続けてきました。実は社会人1年目・2年目も決勝には進んだのですが、クイーンの壁は厚く破れてしまいました。就職時に覚悟はしていましたが、教師とは生徒を預かる責任ある仕事です。少ない練習時間で上手に頭を切り替えていこうと思っていても、クイーン戦は1月に開催されるため、受験学年の担任になるとかるたばかりに集中するわけにはいきません。だからこそ、今年三度目の挑戦でようやくクイーン位を獲ることができてとても嬉しいです。
競技かるたは私の人生そのものなので、これからも選手としての活動は続けていくつもりです。ただし今後は、かるたと教師の両方で成長できればと考えています。学生時代にかるたに熱中しつつも、京大進学や教師の道を迷いなく選択できたのは、高校の先生方のサポートや、京都大学の自由な環境に支えられたことが大きかったと思うからです。
大学時代の私は、勉強の面では決して優等生ではありませんでした。でも京都大学はそれを許してくれる自由な大学でしたし、特に私が在籍していた文学部は変わり者の学生が多かったように思います。文学オタクとでも言うような研究熱心な学生がいる一方で、奇抜な格好で授業に出席してくる人もいましたし、私のように勉強以外の何かに夢中の学生も多かったですが、先生方は何も言わずに見守ってくださいました。
高校教師として、生徒から「京都大学ってどんな大学?」と聞かれることが多いのですが、「勉強でもそれ以外のことでもなんでもいいんだけれど、大学の間になにかしたいことがあるのであれば、おすすめだよ」と話しています。学生の意思や主体性を尊重する学風こそ京大の魅力ですし、今後も変わらずあり続けてほしいところです。
2021年1月9日に開催された「クイーン位決定戦」に勝利し、第65期クイーンとなった。
山添 百合さんが学んだ京都大学では、創立125周年を機に国際競争力強化、研究力強化、社会連携推進の3事業を展開するための寄付を募っています。ぜひともご支援を賜りますようお願い申し上げます。