京都大学の新輝点

上田 久美子

05 面白さを求めて、熱湯に飛び込むような生き方こそ、京大流(宝塚歌劇団演出家 上田 久美子)05 面白さを求めて、熱湯に飛び込むような生き方こそ、京大流(宝塚歌劇団演出家 上田 久美子)

 宝塚歌劇団の演出家として助手時代から多くの作品に携わってきた上田さん。さらに脚本も手掛けた演出家デビュー作からは、「生きる上での幸福とは何か。生きるとはどういうことか」など、観客を本質的な問いへと導く力がある物語を一貫して紡いできました。そんな彼女のクリエイティブな能力や思考はどのように育まれたのか。幼少期からさかのぼってうかがいました。

上田 久美子 Kumiko Ueda

奈良県天理市出身。2004年、京都大学文学部(フランス語学フランス文学専修)卒業後、2年間の製薬会社勤務を経て、2006年に宝塚歌劇団に演出助手として入団。2013年『月雲の皇子 -衣通姫伝説より-』で演出家デビュー。2014年に上演された『翼ある人びと - ブラームスとクララ・シューマン -』が、第18回鶴屋南北戯曲賞の最終候補に残る。2015年に大劇場デビュー作の『星逢一夜』で第23回読売演劇大賞・優秀演出家賞を受賞。2019年、1963年の初演以来幾度となく再演されてきた宝塚の名作『霧深きエルベのほとり』の潤色・演出を担当。

「私は“幸せ”を求めてはいない」
と気づいた新社会人時代

 京大に入ってから次第に世の中の一般的な価値観に疑問を感じるようになっていきましたが、就職活動の時期にはまだそれを捨てきれずにいました。「大学を卒業したからには、口に糊していかなければ」という思いが強く、「ここに行けたら就活の勝ち組だ」という企業ばかりにエントリーしていたんです。当時は就職氷河期でしたし、私が変なタイミングに留学したため秋採用での就職活動となり、より厳しい状況に焦りを感じていたのもあります。結果、製薬会社に就職することができ、事務職として2年間働きました。そこはとてもよい会社だったのですが、それが逆にぬるま湯に感じられてしまって。もちろんいろいろな社員がいましたし、たくさんの人間模様を見たことが今の仕事にも役立っています。でも、そこだと私は生きている実感がしなくて、「なぜこれでみんな平気なの!?」とすごく不思議に感じてしまったんです。そこで、はたと気づいたのが、「私は一般的な“幸せ”を求めて生きてはいないんだ!」ということです。それでまだ若かったこともあって、ダメ元で興味のあった劇場に関わる仕事に挑戦することを決めました。

劇場に関わって生きたいと
宝塚歌劇団に入団

 劇場関係の仕事に応募する中で宝塚への採用が決まり、演出助手として働くことになりました。宝塚では一つの作品に演出助手が一人しか付きません。演出助手は、テレビのADさんのような現場の仕事に加え、スケジュール管理などの事務方の仕事も含まれるのでとても忙しく、それこそ修行時代は夜中まで残業が続いたり、調べものをしていて朝を迎えたりする日々でした。でも私は、「ここで本当に生き延びられるかどうかが試されている!」と面白がっていました。きっと京大時代に、いろんな体験をすることや感じることが面白い、嫌なことだろうが幸せなことだろうが、「何かを感じる」ってことが一番価値があるんだと信じるようになったからだと思います。「自分が何のために生きているのか」を考え、感じることが。

 演出助手時代はひたすら目の前のことを吸収して走り続けていました。何しろ舞台の経験もないまま宝塚に入団したので、何をどうしたらいいのかがさっぱりわかりません。自分が何も知らないことを自覚した上で、ひたすら先輩の演出を見て学ぶ日々でした。

 一番いい助手というのは、演出家が何をしたいのか、どういうことを舞台で具現化したいのかを想像しながら、言われる前に手を回しておける存在なんです。だから私も先輩方が音楽や照明のタイミングについてあれこれ言うのを見聞きしながら、「この先輩はこれを見せたいんだな、ちょっとでも曲が遅いとこう感じるんだな」と意図や好みを把握するよう努めました。またそうしていくと、曲や照明のタイミングというのが私にもだんだんとわかってくる。それがすごく勉強になりました。

 その後、入団8年目の2013年に『月雲の皇子 -衣通姫伝説より-』という和物の作品で演出家デビューし、それからは宝塚のオーダーに応えながらさまざまなタイプの作品を演出しています。2018年にはショー・レビュー作品に挑戦し、2019年には大好きな菊田一夫先生の作品『霧深きエルベのほとり』を演出させてもらいました。

上田 久美子
京大のリベラルな教育が
物語を生む力につながった

 ただ劇場関係の仕事がしたいという理由での転職で、本当はプロデュースや劇場運営のような仕事を探していたのに、作り手側である演出助手に採用されて。何かを書ける気はまったくしませんでしたが、物語を書くことが意外にも性に合っていました。

 「『面白い』と思わせる何かがある。不思議だね」というようなことを、言われることがあります。作品のカラーが違っても、何かしら上田久美子なりの面白さがあると。それの「何か」が何なのかは、自分でもよくわかっていません。ただ演出や脚本を考えるときには、私自身が生理的に面白いとワクワクすることを取り入れるようにしています。それがありがたいことに、不特定多数の方に共感していただけるものになっているようです。

 宝塚の演出家というキャリアは、京都大学卒業生としては変わり種です。転職当時は周囲に、芸能の仕事への偏見もありました。でも私はキャリアを人生の最重要事項とは感じていないんです。私にとっては、一般に考えられる幸せや成功、つまりは安定したエリート人生は、あくまで社会が設定した幸福でしかない。私は京大のリベラルな教育のおかげで、それが誰もに合うわけじゃないということに早い段階で気づかせてもらいました。

 生まれてしまったからには、課せられた命をどうまっとうするか。真に生きるとはどういうことなのかを、いつも考えながら生きる。それが多分、私が京大に教えてもらったことだと思います。おかげで苦労をいとわず、むしろそれを人生の味わいだと楽しむことができるようになり、結果、少しは本質的なものに目が向き、物語を紡ぐスキルが身についたのだと思うのです。

人間が均質化する今の時代、
京大は最後の牙城であるべき

 京大の後輩たちに期待するのは、雇用条件やブランド性にとらわれず仕事を選び、自分にとって最良の人生を生きることを求めること。またその中で、苦労や人との摩擦が、自分の物語を豊かにすることにつながっていると気付くことです。

 京大は学生それぞれが自由であることが、多分日本のどこよりも許されている場所だと私は思っています。イノベーティブな発想は、遊び心や自由さから生まれるものです。今はどんどん人間が均質化しているので、京大は最大限「変」であってほしいし、京大生ぐらいはラディカルで本質を見抜こうとする部分があってほしいと思っています。京大生までが安寧をめざして生きたのでは、日本はさらに凋落するでしょう。「どれだけ変なことをしてやろうか」というぐらいの心意気がある人が育つ場所、京大がその最後の牙城だと私は思っているので、ぜひ頑張ってほしいです。

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