老舗の使命 × 京大での日々
違いが響きあい世界が広がった
2019.10.03 THU
京都の老舗、聖護院八ッ橋総本店の一人娘として生まれた鈴鹿可奈子さんは、2011年に新ブランド「nikiniki(ニキニキ)」を立ち上げるなど、300年以上続く老舗に新風を吹き込む次期経営者です。家業だけでなく文化活動にも精力的な鈴鹿さんに、京都大学時代の思い出や今のお仕事に影響を与えたエピソード、老舗後継者としての想いを語っていただきました。
1982年京都府生まれ。京都大学経済学部在学中にカリフォルニア大学サンディエゴ校エクステンションに留学しPre-MBAを取得。2005年に京都大学を卒業、信用調査会社勤務を経て家業へ。2011年専務取締役に就任。
新ブランド『nikiniki(ニキニキ)』は
八ッ橋を次の100年につなぐ挑戦
京都大学卒業後、1年間の会社勤めを経験してから聖護院八ッ橋総本店に入社。雑務から始まり部署を移りながら改善策を提案していきました。うちは昔ながらの小さな会社なので人事評価制度が明文化されていなかったのですが、この10年で取り組みがようやく形になってきたのを感じています。
一方、商品開発での挑戦の一つが、2011年から始めた新ブランド『nikiniki(ニキニキ)』です。ブランドを立ち上げた理由は、地元の方にもっと八ッ橋を味わってもらいたいというのが一番でした。京都大学在学中に、他府県の友人たちから八ッ橋をよく食べていると聞いた一方で、ずっと京都で過ごしていた友人たちがあまり食べていないという事実を知ったこと、また食べる機会があれば、これまで食べてきていなくても美味しさに好きになってくれると自信を持ったのがきっかけです。
八ッ橋は300年以上続くお菓子で、そのパワーはひとえに美味しいということ。とはいえ味を知ってもらう機会がなければ次の100年続くとは限りません。ニキニキをきっかけに、一人でも多くの方に、特に地元の若い方々に八ッ橋の美味しさを知ってもらいたかったのです。
メディアにも頻繁に取り上げられるニキニキのお店。現在は河原町店と京都駅店の2店舗がある。
京都の老舗として
京都や日本のためにできることを
ニキニキの「季節の生菓子」では、月に一度訪れる方にも見たことが無い形のお菓子が並んでいるというのを守っています。生八ッ橋で様々な形を象った商品で、その多くは季節の自然や行事をモチーフにしています。春の桜はもちろん、夏は紫陽花や祇園まもり、撫子など。行事としてはハロウィンやクリスマスなど今の方々に馴染みのあるものから、重陽や節分といった古来のものまで。大寒や啓蟄といった節季もテーマにします。こうした知識が失われてしまわないよう、作るスタッフとお客様の両方に季節感を商品を見て感じ取っていただければと取り組んでいます。
ハロウィンをモチーフにしたニキニキの生菓子。かわらいしく色鮮やかな姿は、まさに芸術品。
こうした文化の継承こそが私たちの役目と考えていますので、一見家業には直接関わりがないと思われることでも、京都や日本を紹介するようなお役は積極的に受けるようにしています。一昨年は、世界141の国と地域から3000人を超える博物館の専門家が集まる『ICOM(国際博物館会議)』の第25回大会を京都に誘致するお役目をいただき、パリでのプレゼンテーションに祖母の振袖を着て臨みました。こうした活動こそが企業の役目であるというのは祖父からの教えで、父も多くのお役をしています。京都で長くお商売をさせていただいているので、何か京都のためにというのは当たり前のことと言われてきました。
世界を相手にしても急がない
大切なのは本質を見失わず「続けること」
祖父から父へ、父から私へと伝わっている中で一番大切なことが「本質を見失わない」ということです。何をするにしても考えるのは目先の変化や利益だけではなく、続けること。そのため、現代の急な変化においては時にゆっくりと思われる判断を下すこともあります。当初は私も気が急いてしまうことがありましたが、その判断は「続けること」が目的だからこそ。もちろんそのため、急な変化や大きな変化を求められることもありますが、このときも焦らず、先を見据えての決断となります。
お商売では「本業が何か」をとても大切にしており、それこそが信頼に繋がります。例えば京都の年配の方が「あそこはいろんなことしてはって何屋さんかわからへん」と言うのは、実はけなし言葉である場合が多い。結局何が本業なのか、何を芯に持っているのか。業種によっては時代の変化とともに商品形態が変わらざるを得ないところもあるでしょうが、その場合も核となる会社の本質や思いは変えてはならないのです。
当社では八ッ橋というお菓子を伝え続けるのが根幹。お菓子ですから、そのためには美味しいことが大前提、だからこそ300年以上続いてきました。海外進出なども含めいろいろなお話がありますが、続けるのに必要と思えば行いますし、それが続けることへの妨げとなると考えれば行いません。八ッ橋の定義は米粉と砂糖、そしてシナモンですので、これらの原材料を追求していくのもまた、お菓子を後世に残すことに繋がるでしょう。
京都大学も125年続いていますが、教育研究機関という形態が変わることはないですものね。会社もそれと同じで、それぞれに持つ本質とアイデンティティを崩してはいけないと考えています。
300年以上の歴史を誇る、聖護院八ッ橋。シナモンが効いた、ほのかな甘みは今も昔も多くの人に愛されている。
自由とは何かを学べる場
京都大学らしさを残して欲しい
京都大学に期待するのは、これからも変わらず京都大学らしさを残して欲しいということです。多様性があり、自由があり、規律正しくないからこそ「自由とは案外怖いものだ」と気づける環境は他の大学にはないもの。全て自己責任だという覚悟で、人との縁を繋ぎながら自分を見つけることができる場所だと思います。それに加え、もちろん高レベルの研究陣が揃っていること。だからこそ自由の中で様々な方面に挑戦し、応えてくれる場があるのでしょうね。
私自身も振り返ってみれば、京都大学に行ったことで、自分の世界がパッと広がったなという実感があります。家業や京都の伝統の中で育ち、京都大学で出身地域も思想も何もかもが多様な人たちと繋がったことで、今のようにアイデアを広げることができる私になったのだと思います。
鈴鹿可奈子さんが学んだ京都大学経済学部では、100周年を機に教育と研究の環境を整えるために寄付を募っています。ぜひともご支援を賜りますようお願い申し上げます。