恋愛関係から芸術作品の「美」まで、
こころが感じる世界を
心理実験と脳の働きから実証する。
人と社会の未来研究院 助教 上田 竜平
2019年、京都大学大学院文学研究科博士課程修了。国立研究開発法人情報通信研究機構 脳情報通信融合研究センター特別研究員を経て、2021年より現職。専門は認知神経科学。恋愛関係の構築と維持に関わる認知・神経機構の働きについて、心理実験と脳機能イメージング手法を用いて研究している。京都大学創立125周年記念ファンド「くすのき・125」の2021年度採択者。採択テーマは「美を体験するこころと脳—実証的人文科学の確立」。
こころという主観的な対象を、客観的なデータでとらえる。
私の専門は認知神経科学という分野で、『ひとのこころの働き』という主観的な現象を、心理実験や脳の働きの解析によって客観的に解き明かすことをめざしています。
主に研究しているのは、多様な対人関係の中でも特に親密な関係である、恋愛関係がどのように構築され、長期間持続するのかというテーマです。具体的には、実際に交際関係を結んでおられる方々に実験に参加していただいて、日常生活の様子を再現したような心理実験を行い、その時の脳の活動を計測して解析するという方法で取り組んでいます。
脳に関する先行研究では、熱愛中のひとが恋人のことを考えているとき、一夫一妻制を築くネズミなどの動物と同じ脳領域の活動が活発になることなどがわかっています。私の研究ではさらに視野を広げ、パートナーとの関係維持をおびやかす『浮気』的関心の抑制や、あるいは忌避の対象となる一方で成功すればパートナーを得られる可能性もある『略奪愛』行動に関わる認知・神経メカニズムの検討を行ってきました。
現在のテーマで研究を始めるまでには紆余曲折がありました。実は、高校生の頃はデザイナーになりたいと思っていたのですが、突き詰めて考えているうちに「人はなぜ美を感じるのか」という理論の方に興味が湧いてきて、美学や芸術学を勉強するために京都大学の文学部に進学したんです。大学ではこころの働きを科学的に実証する研究へと興味が発展して、実験心理学を勉強し、卒業研究では「どういった視覚的特徴をもつ顔が魅力的と判断されるのか」というテーマに取り組みました。
文学研究科の修士課程に進学する頃に、京都大学こころの未来研究センター(2022年度より京都大学人と社会の未来研究院に改組)で実験のアシスタントとして脳の働きをモニタリングできる研究用のMRIを使用する機会がありました。このことがきっかけで、自分の研究にも脳の働きという視点を取り入れたい、研究テーマも応用的なものにしたいと考え、行き着いたのが恋愛関係というテーマです。当時としては前例が少なく難しいテーマでしたが、一対一で時間をかけて指導してくださった指導教員の阿部修士先生(京都大学人と社会の未来研究院 准教授)、蘆田宏先生(京都大学大学院文学研究科 教授)のおかげで、現在まで研究を続けてこられたと思います。
学会でポスター発表に立つ上田先生(当時は大学院生)。
心理学や神経科学はもちろん、数理統計に哲学、現代美術と幅広い専門書が並ぶ上田先生の本棚。
芸術作品の「美」にまつわる人文知の理論を実証する。
この度、学内ファンド「くすのき・125」に採択いただき、高校生の時からずっと温めていたテーマに取り組む機会をいただきました。それが、ひとが芸術の美的価値を感じる際の脳とこころの仕組みの研究です。
「ひとはどんな時に、どんな物に対して美しさを感じるのか」について、美学や哲学で古くから議論され、さまざまな理論が提唱されてきたものの、科学的に立証しようとする研究はほとんどありませんでした。そこで私は、近代哲学で論じられてきた『無関心の関心』という理論に焦点を当てて、心理実験や脳の働きの計測といった再現性のある手法に落とし込んで検証することに挑戦したいと考えています。『無関心の関心』とは、食べ物や金銭などを前にした時に感じる実利的な関心とは対照的に、芸術作品を前にした時などに感じる具体的な利害を伴わない関心のことを指します。
実験の手法としては、まず実験の参加者にMRIに入ってもらい、MRIの内部にあるモニターにさまざまな画像を映し出し、画像を見た瞬間の脳の働きを測定します。実験が一通り終わったら脳の働きのデータを解析し、美しい絵画作品の画像を見たときと、美味しそうな料理など自分の利害に関係した画像を見たときとで、活性化する脳の領域に違いがあるかどうかなどを比較します。このように実験とデータ解析とを積み重ねて、利害関係を伴う関心とは明らかに異なる点が見つかれば、それこそが『無関心の関心』に特有の脳の働き、つまり美的価値を感じる際の脳の働きであると言えるのではないかという仮説を立てています。
この研究を通して、美学や哲学といった歴史ある人文知の体系と最先端の認知科学を結びつける新しい思考の枠組みを世の中に提示したいと考えています。さまざまな学問領域を統合してものごとを捉える視点こそが、コロナ禍をはじめ数々の地球規模の問題を抱える現代において、未来を切り拓く鍵になるのではないでしょうか。
経験則や主観ではなく客観的な情報を集め、道筋を立てて難問に取り組む論理的思考力。