わたしの京大力

No.016
金 賢得

「原子核の多様な個性」に着目した
全く新しい分子科学を創出し、
クリーンな水素社会を実現したい。

理学研究科 助教 金 賢得

Profile

京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。2004年、同 理学研究科助手。2007年より現職。2013年から2018年まで、科学技術振興機構「さきがけ」研究員。専門分野は粒子群の非平衡量子動力学。研究テーマとして水素系の量子分子動力学法の開発のほか、半導体をはじめとしたナノマテリアルの光励起ダイナミクスにも取り組む。京都大学創立125周年記念ファンド「くすのき・125」の2020年度採択者。採択テーマは「核の個性が顕在化する分子科学から水素社会の実現へ」。

2種類の水素を制することが、水素社会への鍵となる。

 私の専門は非平衡量子動力学法というもので、特に分子を構成する原子核と電子の振る舞いを「波」として表現する新しい計算手法「量子分子動力学法」を開発してきました。特に水素分子を研究することは基礎科学の進歩に資するだけでなく、カーボンニュートラルな水素社会を実現するためにもとても重要な役割を果たすと考えています。

 炭素燃料に代わるクリーンなエネルギー源として水素が注目されていますが、現在のエネルギーを代替するにはまだまだ課題があります。その大きな一つがパラ水素の純化生成です。

 水素分子には、パラ水素とオルソ水素(オルト水素)という水素核の性質の違いによる二つの種類が存在します。簡単に言えば、パラ水素は二つの水素核が回転しておらず、エネルギーが最も低い基底状態にあり、オルソ水素はその逆で、二つの水素核が回転していてエネルギーが高い核の励起状態にある水素分子です。

 通常、常温で水素を合成すると3:1の割合でオルソ水素が多く生成されます。その水素を冷やして液体水素として貯蔵すると、オルソ水素は時間が経つにつれ、より安定なパラ水素にゆっくりと化学転換していきます。このとき、放出されたエネルギーによって、せっかく冷却した液体水素が一気に高温化して蒸発してしまいます。これでは貯蔵や輸送を行う上で、とても安全とは言えません。そこで現在取られている方法は、一度生成した水素をひたすら冷やし続けることで急激な高温化や蒸発を防ぐというもので、実はこれが水素エネルギーの貯蔵・輸送コストを大きく引き上げる一因となっています。この一連の冷却のために、最初に作られた水素エネルギーの30%ほどが失われているとも言われています。つまり、安定なパラ水素のみを最初から純化精製する仕組みを作ることができれば、コストを劇的に下げることができ、水素社会の実現に大きく近づくというわけです。

 私の研究では、パラ水素とオルソ水素、両分子の違いを核と電子のミクロなレベルから量子分子動力学法によって解き明かすことで、パラ水素のみを純化精製する方法を開発することをめざしています。計算によって明らかになったパラ水素とオルソ水素の核励起の有無による性質の違いを最大限に利用して、パラ水素のみを選り分けることができるナノ構造をデザインし、パラ水素の純化精製につなげます。パラ水素とオルソ水素の混合物をナノ構造に流し込んで、ふるいにかけるようなイメージですね。

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多孔性ナノ空間を使ってパラ水素とオルソ水素を分離するイメージ。

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金先生の研究は、トヨタ・モビリティ基金による「水素社会構築に向けた革新研究助成」(2017年度)に選定された。写真は研究費の授与式の様子。

サイエンスと社会とのつながり、どちらも大切な「自分らしさ」。

 分子科学の世界では、これまでは電子の振る舞いこそがすべての物性や現象を決めていて、原子核は正電荷を帯びたただの点として扱われ、それほど重要ではないと考えられてきました。こうした認識に対して、私はパラ水素とオルソ水素の違いに代表されるような「原子核の個性」に着目した新しい分子科学を創っていきたいと考えています。核は大きさにするとわずか0.1オングストローム(1000億分の1m)という小さな量子波ですが、その違いに自然の多様さが現れ、社会までも変える可能性を秘めているというのは、非常にロマンがありますよね。

 これまでの枠におさまらない研究に取り組んでいるので、化学の人からは『こんなの化学じゃない』、物理の人からは『これは物理ではない』と言われてしまうこともあります。そんなときは少し落ち込みますが、「でもそれってオンリーワンということだな」と前向きに考えています。学部時代から長い時間を京都大学で過ごして、いい意味のマイペースさというか、周りに流されずに、周りと違うことをむしろ「自分らしさ」として楽しむ姿勢は、京都大学で培われたものかもしれません。

 一方で、マイペースながらも社会とのつながりを持ち続ける柔軟性も研究者には大切だと思います。私にとってはそれが水素社会の実現という目標に挑戦することでした。

 純粋なサイエンスとして研究を楽しんでいた私が社会に目を向ける転機になったのは、2011年の東日本大震災でした。地震と津波による被害や原発事故のニュースを日々目の当たりにして、その時に研究者としての圧倒的な無力感を感じたんです。あの時の無力感に対する自分なりの「答え」を研究者人生の中で探さなければいけないという使命感が、今も胸にあります。それからは、サイエンスの楽しさを追究すると同時に、さらにその先、どうやってそれを社会につなげていくかを常に頭の中で意識するようになりました。

 化学か物理か、サイエンスか社会貢献かといった線引きにとらわれずに、これからも自分らしく楽しいと思える研究に邁進していきたいですね。

わたしの京大力MY KYODAI-RYOKU

オンリーワンであることを楽しめるマイペースさと、それでも社会とのつながりを持ち続ける柔軟さ。

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