その時あなたはどうする?
世界を狂わせる不条理に迫る
「究極の選択」の研究。
文学研究科 研究員 大庭 弘継
京都大学中退後、海上自衛隊に8年間勤務。九州大学で国際政治を専攻し単位修得退学、博士(比較社会文化)。南山大学社会倫理研究所専任講師などを経て、2016年より現職。専門は国際政治学、応用哲学・倫理学。研究テーマは人道的介入、宇宙倫理、生命倫理など多岐にわたる。著書に『国際政治のモラル・アポリア』(共編著、ナカニシヤ出版)など。
自衛官として考えた「究極の選択」から研究の道へ。
私がおもに扱っているテーマのひとつに、紛争や重大な人権侵害が起こっている地域に国際社会が人道的見地から軍事介入する「人道的介入」の問題があります。
そもそも、人道のための軍事介入という表現は矛盾しているんです。数十万人を救うために数万人を巻き添えにしてしまうかもしれない。そうかと言って、放っておけば罪のない人たちがどんどん殺されてゆく。ここで難しいのは、どちらを選択しても非難は免れないということです。誰もが納得する正解が存在しない問題を、私は「究極の選択」と名づけて研究しています。
研究者になる前、私は海上自衛隊に8年間勤務していました。その中で、起こりうる様々な状況を想定し、どうするべきか悩むこともありました。たとえば、スピードを出したボートが自分達の艦に近づいてきたとします。どうするべきか。テロリストの自爆攻撃か、それとも単なる民間人の好奇心からか。何もせず、テロリストの攻撃だったら代償は自分たちの命。攻撃して、民間人だったら、国際法違反の虐殺。その判断が現場にのしかかります。命を秤にかけて正解のない選択をせざるを得ない、八方塞がりが隣り合わせです。
理想や建前と現実との乖離を実感して、実はこうした状況が至るところで世界を狂わせているのではないかと考えたのです。これをなんとかしたいと思い研究の道へ進むことを決めました。
正解のない問題をオープンに議論し、社会全体で向き合う。
国際社会が抱える正解のない問題を一般の方とも共有するために、「京都大学アカデミックデイ」でこれまで計3回、参加者と一緒に「究極の選択」について考えてきました。近年、研究者ではない人々でも研究成果にアクセスしたり、研究に参加したりすることができる「オープンサイエンス」という考え方が注目されていますが、「究極の選択」のような価値判断の問題がまさにその典型になりうると私は考えています。例えば原発を開発するのは科学者ですが、そのリスクを引き受けるのは一般住民ですよね。科学者が下す安全性の判断だけでなく、一般の人々の声を集める場が必要になります。アカデミックデイも、そうした一般の価値観を取り入れる研究の一環として活用しています。
異分野との共同研究にも積極的に取り組んでいます。例えば宇宙倫理の分野では、宇宙人に出会ったら政治的にどのように対応するか。医療分野では、ゲノム編集技術の発達を倫理的にどう見るか。最近はAIの発達がめざましいですが、AIに価値判断を委ねる際の問題点は何か。これから世の中を変えていくであろう先端分野の研究者の方々との交流を通して、近い将来に政治的・倫理的に大問題になるようなテーマが多数存在することがわかってきました。日々さまざまな問題を扱いながら抽象的な思考と実際とを往復し、現場まで届く哲学・倫理学をめざしています。
「究極の選択」研究も、その他の共同研究も、京都大学だからこそできることだと感じています。京都大学には世間と価値観がズレていても一向に気にしないという人が多いので、世の中では「トンデモ」と見られるような研究でも周囲の理解を得ることができ、「一緒に研究しよう」と声をかけていただけます。私の研究を認めてくれる貴重な場所ですね。
1994年にジェノサイドが起こったルワンダでの研究に力を入れている。現地のワークショップで「究極の選択」研究を紹介することも。
京都大学アカデミックデイで共同研究者との一枚。「《究極の選択》を考える」ポスター発表のキャッチコピーは、「学問的な『苦々しさ』のおすそ分け」。
世間一般の価値観に目もくれず、自分で敷いたレールを一直線に突き進む力