京都大学のあゆみ

歴代総長の式辞で振り返る
長尾 真

平成13年度 卒業式式辞

長尾 真第23代総長

長尾 真

 2001年、アメリカで同時多発テロ事件が発生し日本社会にも大きな衝撃を与えた。国内では中央省庁が再編され、小泉内閣のもと行政改革を主眼とした規制緩和が一段と進められていく。国立大学に関してはそれまでの行政改革の流れに大学改革の視点が加わり、法人化の議論が進んでいった。
 長尾総長の2001年度卒業式式辞では、教養人という概念がややもすると疎んじられ、専門家が尊重されるようになってきた世界的な流れの中で、社会正義や道徳に対する意識を備えた人格ある教養人を目指してもらいたい、という京都大学の学生への期待が述べられている。学内の情報化を背景として、学生証がプラスチック製のIDカードとなったのも2001年であった。

平成13年度 卒業式

2002(平成14)年3月26日

 今日京都大学を卒業される2,834名の皆さん、まことにおめでとうございます。元総長沢田先生ならびに名誉教授の方々のご列席のもとに、各学部長とともに皆さんの門出をお祝いできることは、私の最大の喜びであります。卒業式にご参列下さいました皆さんのご家族、関係者の方々にも心からお慶びを申し上げます。
 皆さんは小学校以来今日まで、16年間以上にわたって教育を受けて来たわけですが、今日の卒業式にのぞんで、京都大学での学生生活をどのようにふり返っているでしょうか。皆さんはどれだけのことを学び、どれだけのことが身についたものとなっているでしょうか。どのような楽しいこと、苦しいこと、悲しいことがあったでしょうか。
 そういった事を通じて、自分は人格的にどのように成長し、社会に出てゆこうとしているのかをよく考えてみていただきたいのであります。諸君は法律上も社会的にも、もう立派な大人と認められているわけですが、ほんとうに一人の独立した社会人として、自分でよく判断し正しく行動する自信をもっているでしょうか。
 皆さんは今日から社会人としての第一歩をふみ出すのであります。もちろん、まだまだ未熟であるわけですが、京都大学で得た知識、訓練した人格の力に支えられた勇気と自信をもって、皆さんを待ちかまえている未知の世界に出てゆかねばなりません。
 今日の世界、特に日本社会は大きな激変期に入って来ております。おそらく敗戦以後の最大の社会的変革の時期を迎えていると言って間違いありません。失業者が増え、また皆さんのような若い人達でさえ就職できない人が増加しています。デフレ経済で企業はどんどんと倒産してゆくという状況であり、何が起こっても不思議でないといった様相を呈していることは皆さんも十分認識していることであります。国際的に見ても、貧困から脱出できない国や飢饉にあえぐ人達が膨大に存在し、宗教的対立もからんで、世界各地で民族紛争が起こるといった状況であります。
 一方では、目ざましい科学技術の進歩があります。世界中がインターネットを介して即時につながり、またクローン動物が出来たり臓器移植が行われるといった、以前には考えられなかったようなことが実現されつつあります。しかし他方ではこの大きな地球がどんどんと汚染され、環境破壊されつつあるという事実もあるのであります。
 このように今日地球上では、目をおおうばかりの悲惨から、現代文明を支える人間知識の輝かしい成果といったことまで、あらゆる事が起こっております。このような状況を我々は一人の人間としてどのようにとらえ、どのように理解すればよいのでしょうか。
 我々は、人類の英知は無限に発展し、輝かしい未来があるのだという進歩の概念によってこれまで来たわけですが、これからは決してそうではないということがはっきりして来ました。まさに価値観の転換期を迎えているということであります。どのような価値観に変わって行くのかは、皆さんがそれぞれによく考えねばならないことであります。これからの複雑で激動する社会に入ってゆく皆さんは、よほどしっかりした人生観、物の見方をもっていなければ、目先のことに翻弄され、自分のやるべき事が見えなくなり、自分の人生を見うしなってしまうことになりかねません。
 ただ、自分の物の考え方、あるいは人生観といったものも固定されたものではなく、人生経験によって変化し成長してゆくものでありましょう。その成長が健全なものであり、立派な人格を身につけることになる基礎は、皆さんが大学で学んだ学問であり、青春時代のいろんな経験から形成した倫理観、道徳観であります。皆さんはこの大学時代に得た様々な事を生涯大切にし、これに磨きをかけていってもらいたいのであります。
 京都大学の創立者、第一代総長の木下廣次先生は「自重自敬を旨として自立独立を期す」と言っておられます。これは「自由の学風」という概念とともに京都大学の理念となっていますが、自分が自分の責任において事にあたってゆくという意味が込められていると考えられます。皆さんはこの困難な世界に出てゆくにあたって、この「自重自敬」という言葉をよくかみしめ、ことあるごとにこの言葉を思い出していただきたいと存じます。「政治が悪い、社会が悪い、会社の上司が悪い」などと言って、他人に責任を押しつけていても、何も良くはならないのです。どうすれば良くなるか、自分の力で出来ることは何かを考え、時間がかかっても忍耐強くやってゆくことが必要であります。
 21世紀の京都大学の努力すべき目標として昨年末に定めた京都大学の基本理念の中で、
 「教養が豊かで人間性が高く、責任を重んじ、地球社会の調和ある共存に寄与する優れた研究者と高度の専門能力をもつ人材を育成する」
 と述べています。これからは他人や他の生物・無生物を犠牲にして科学技術を無理矢理に押し進めたり、自分の企業だけが競争に勝つために手段を選ばないといった過度の競争、他を犠牲にした独善的な発展といったことは否定されるべきであり、あらゆるものとの調和ある共存を目ざすべきであります。
 「共存」という言葉は「共生」という言葉と置き換えてもよいでしょう。この「共生」は生態学において「寄生」に対する対概念として定義されているものであり、そこには対等の立場での存在という意味が込められているのであります。京都大学の基本理念における「共存」には、当然その意味が込められております。多民族・多文化の共存、先進国と途上国との共存など、社会学、政治学の世界はもちろんのこと、さらに広く動物の生存の権利や自然環境そのものの存在の権利、あるいはその存在の価値の尊重といったことまでも含んでいると解すべきであります。
 特に我々現代の人間が将来世代の人々のことを考えずに地球資源を消費しつくしてしまうといったことは、現代世代と将来世代との利害衝突と考えることが出来るでしょう。このような場合は、一方は権利主張を出来るが、他方は権利主張する主体が現時点で存在しないという場合であります。さらに人間以外の生物・無生物は権利主張する手段を持たぬ主体であります。権利という概念は意志のあるところのみに存在するという古典的な定義や解釈を越えて、権利主体をもっと広くとらえることが必要であり、また今日の権利概念はそのような方向に行きつつあると考えられます。これは新しい価値観の時代に入って来つつあることを示しており、京都大学の基本理念はそういったところに作られているのであります。
 森羅万象との共生、共存という概念は、東洋において古くから存在したものであります。人間、あるいは自己は宇宙・自然の中の一員であり、自分は他の全てのものと同列にあるという考え方であります。自分が大切な存在であれば、自分の隣にいる人達、自分をとりまく事物もまた全て同じく大切なのであり、自己に魂があるとすれば、他の全ての存在にも霊魂が宿っていると観る見方であります。日本古来の思想はその色彩が特に強く、自然と人間との共生、共存ということが何らの不自然さもなく今日にまで引き継がれて来ております。
 こういった全てのものの共存の概念の社会において、我々はこれまでのようにほとんど無制限な権利や自由を主張し、またそれを享受することはできません。地球世界の全てのものが共生・共存してゆくためには、全てのものが自分のエゴを押さえ、それぞれが他者の立場に立ち、一定の犠牲をはらい、忍耐することが必要であります。
 我々は今日、このような考え方、すなわち人間が地球上の他の生物、また無生物とも適切な形で共存してゆくという覚悟をしなければ、21世紀の社会が直面しているエネルギー問題や地球環境問題を始めとする数多くの深刻な問題の真の意味での解決を得ることは困難でしょう。
 したがって、これから益々グローバル化されてゆく国際社会において、我々はこの日本古来の精神に立ち帰って、これを世界の人達に広めてゆく努力をする必要があると考えます。全てが競争であり、全てが金銭的価値で計られるという今日の社会を変革し、京都大学の基本理念が述べている「調和ある共存」という新しい価値観が広く受入れられる社会に向って、我々は力を尽くしてゆかねばなりません。
 今日卒業される皆さんはこういったことをよく考え、皆さんのこれからの幸い多い人生を通じて全てのものの調和ある共存に向って努力して行っていただくことを期待し、私のお祝いの言葉といたします。

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