京都大学のあゆみ

歴代総長の式辞で振り返る
西島 安則

昭和62年度 入学式式辞

西島 安則第21代総長

西島 安則

 1980年代後半には国鉄の民営化や初めての消費税導入、男女雇用機会均等法の施行など日本経済を支える社会構造に大きな変化が起こった。国立大学では第2次選抜試験の方法が変わり、1987年度入試からA・B日程の二つのグループに分かれて実施されるようになった。
 西島総長の1987年度入学式式辞では、新しい入試制度で入学した学生たちを前に「京大が諸君を選び、諸君が京大を選んで入学した」と歓迎の言葉を述べている。また、京都大学の恵まれた教育研究環境を活かし、学生生活、スポーツ、芸術、その他あらゆる活動を含めて楽しく充実した学生生活を送って欲しいと述べている。

昭和62年度 入学式

1987(昭和62)年4月11日

 入学生諸君、入学おめでとう。
 本日、ここに、名誉教授の先生方のご臨席をいただき、各部局長、教職員の皆様とともに、昭和62年度学部入学式を挙行し、2,802名の第1学年入学者、それに第3年次への編入者33名を加えると、2,835名のはつらつとした諸君を迎えることは、京都大学の最も大きな慶びであります。
 この度は、国立大学の入学試験制度が改革され、受験機会が複数化されたなかで、諸君もいろいろ悩み苦労も多かったと思います。大学も、昭和54年度に国立大学の共通第一次学力試験の実施とともに二次試験の試験期が一本化されて以来の大幅な入学者選抜方法の変革のために、未知の要素も多く、いろいろ苦心をしました。より個性的な高等教育の発展を目指したこの入試制度改革の趣旨が、社会の現実のなかでどれだけ生かされたかは、これから解析評価されるところであります。
 このような中で、諸君は京都大学に学ぶことを志し、努力を重ねてきました。そして、本学は諸君を共に学問をするのにふさわしい人物として選び、そして、諸君はこの京都大学をこれから学問をする大学として選んで入学したのです。本学が諸君を選び、諸君が本学を選び、ここに相まみえるこの意義深い出会いの場である今日の入学式、誠に感慨深いものがあります。
 京都大学は、諸君をこの大学の伝統の新しい力強い担い手として心から歓迎します。本学が諸君に期待するところは、大変大きいものがあります。そのような期待のあらわれとして、今日は数多くの名誉教授の先生方がこの晴れの入学式にお越しくださいました。
 諸君は今、これから始まる京都大学の学生としての日々に意欲を燃やしていることと思います。今日の日を心待ちにしつつ、これまでに諸君を育み励まして下さったご両親、ご家族の皆様、諸君に人生の大きな希望をもって自ら学ぶことを教えられた先生方、生き生きとした日々を楽しく実り多いものにしてくれた友人逹、そして陰になり日向になり諸君をいろいろの面で支えてこられた方々、これらの多くの方々に、諸君とともに改めて心からお礼を申し上げたいと思います。

 京都大学は、明治30年(1897)に創立されました。今年で創立90周年を迎えます。京都大学が創設された時期は、19世紀が終わり20世紀が始まろうとするときで、学問の歴史において大変大事なときでありました。それは、人文科学、社会科学そして自然科学のあらゆる分野において、奔流のような勢いで新しい学問の展開が始まろうとしているときでした。それから90年、今日までわが国のたどってきた道、そして世界の情勢は決して平坦なものではありませんでした。しかしそのなかで、京都大学はこの京都の地、日本文化の古い伝統を保ちつつ、そして常に新しい創造を育んできたこの恵まれた環境のなかで、大きく成長し、世界のなかの学問の府として発展してきたのです。
 諸君が京都大学の正門を入りますと、正面に時計台の建物が建っています。この建物は、当時京部帝国大学の工学部建築学科創設時の教授武田五一先生(明治5年~昭和13年、1872~1938)が中心になって設計され、大正14年(1925)に竣工したものです。この60余年、京都大学のシンボルとしての建物であるとともに、日本の近代建築史上、大事な時期を象徴する建物でもあります。正面に立つ樟をまわって時計台の正面玄関の石段を上がると、入口の上に大きなブロンズの浮彫りが飾られているのに気付くでしょう。それは、斎藤素巖(明治22年~昭和49年、1889~1974)という彫刻家の『空』と題された作品です。何時の頃からかこれは『雲』とも呼ばれています。流れるような雲のイメージのなかに、何人かの男女の像が浮き彫りにされています。若々しい、そして自由と風格とをそなえた作品です。その彫刻の原型は、時計台の西側に新築された附属図書館の一階の奥の壁に掛かっています。諸君もこれから図書館へ行ったときには静かに鑑賞してください。時計台正面のブロンズのレリーフは当時わが国の鋳造界の第一人者であった阿部整美によって鋳上げられたものです。この彫刻家斎藤素巖は、ロンドンのロイヤル・アカデミーで彫刻を学び、帰国して個性的な深い味わいのある作品を制作してこられました。若い頃、なかなか世に受け入れられず、苦しい生活の中でただ彫刻に打ち込んでおられました。この『空』あるいは『雲』と題する作品は、大正13年(1924)の作です。帝展に出品され、多くの人々の注目をあつめた名作です。時計台の建物の完成時に京都大学はこの彫刻を求め、正面玄関に飾ることになりました。当時の総長(第7代)は荒木寅三郎先生であります。大正14年5月14日の朝、2台の牛車がこの原型とブロンズで鋳造されたレリーフをそれぞれ積んで、京都大学に来ました。作者の斎籐素巖氏もその取り付けに立ち会っておられたという記事が、その頃の新聞に載っています(京部帝国大学新聞第3号、大正14年5月15日)。この作品は京都大学にふさわしい名作であります。そして、この60年余りの間、幾度かの嵐の時代を超えて、あの『空』の若々しい自由な美しさがこの京都大学の雰囲気のなかで大事に守られ、ひき継がれてきたことを嬉しく思うのです。

 京都大学の学風は「自ら学ぶ」ことにあります。それは、一人ひとりの個性の尊重であります。そしてお互いに個性を尊重しあうこの学問の府には、おのずから自由の気がみなぎっております。この学問の自由も、そして、それを確かなものにする大学の自治も、学問の質の高さによってこそ真に保たれるものであります。
 京都大学は、教育と研究の一体性を重んじてきました。教官と学生が学問をすることのよろこびを共にする気風が学問の府としての本学の特色であり、また活力でもあります。ここでは常に学問の基礎を重視し、個性的で先導的な学問を展開しています。

 彫刻家の本郷 新(明治38年~昭和55年、1905~1980 が次のように書いています。「石と木と粘土とを素材として比べてみると、誰しも石を彫ることは一番難儀だと考える。ところが、彫刻する側からいうと、石が一番楽で、それから木、粘土が一番むつかしい。石も固ければ固いほど相手にしやすい。固ければ固いほど、石の抵抗は強い。その抵抗があればあるほど、石は人に向かって、ここを彫れ、ここを刻め、ここを削れ、と石の方から教えてくれる。石の方に自由(主張)が存分に与えられて、彫る人間には自由を微量にしか与えられない。その不足分は、石の方で責任を負ってくれる。即ち、彫りすぎることなく、彫った分だけ、その素材の抵抗の勝利を石は目の前で誇示する。だから、石の彫刻の完成度は、この抵抗力によって早められる。少なくとも、いつでも完成の姿体を示すことができる。彫刻家が、石が一番楽だというのはこの意味である。
 これに引きかえ、粘土をもって形を造る方は、粘土という抵抗のない素材の故に、自由は作者の側に存分にある。大きさも形も自由自在である。だから、抵抗力は造る側の人間の内部に積り積って、一切が作者の責任となる。抑制も、誇張も、勇断も、逡巡も、意識も、無意識も、すべて形のなかに証明されて、作者は責任を問われるのである。」(『彫刻の美』)
 学問との取組み方に照らして、大変味わい深い言葉であると思いました。
 私は、以前に、フランスのロダン美術館へ何度も通ったことがありますが、そこには、粘土による数えきれないほど多くの人物の習作がありました。そのひとつひとつのなかに、彼の制作の苦悩、混乱、苦闘を見て、この芸術家の人間性にじかに触れる思いをしたものです。
 これから諸君が京都大学で「自ら学ぶ」ということのなかには、大きな固い岩のような対象もあるでしょう。また、美しい木目をもった木のような素材もあるでしょう。あるいは、粘土のような材料をもって何かを創り出す場合もあるでしょう。これは決して学問分野による違いのことをいっているのではないのです。それぞれの分野で、学間と相対するなかで自覚される自分の状態のことです。学問も芸術も、そこにあるのは人間であります。

 諸君はこれからいよいよ諸君自身の「とき」をもつのです。ある時には巨大な岩壁に思い切って垂直に力強く鑿を打ち込んでください。またある時には美しい木の肌を心いくまで愛でるのもよいでしょう。またある時には、柔らかい粘土を前にしてじっと黙って考えるのもよいでしょう。京都大学とは、そのような所です。
 この学問の府には、11,000人以上の学部学生と、4,000人近くの大学院学生、それに、5,500人を超える教職員がいます。そして、世界の諸国から京都大学へ研究、勉学に来ておられる学者、研究者、留学生を合わせると、1,000人を超えます。学問のあらゆる分野で最高水準の教育研究がなされています。こんなに恵まれた出会いの場、こんなに素晴らしい自分を磨く場、そして、自由に自分を見つめることのできる場は今日の世界のなかでも数少ないものと思います。これからの学生生活、スポーツも芸術も、その他あらゆる活動を含めて、京都大学での楽しく充実した日々を送ってください。学生生活は諸君の人生のこの次の「とき」のための準備ではないのです。京都大学で諸君自身が何を得るかが問題なのです。思い切り自分を磨いてください。

 悠久の大河のごとき、人類の知的遺産の継承と発展ということをじっくりと考え、しっかり自分を見つめ、また語り合える友を得て、この京都大学で大きく育ってください。そのことが、京都大学の伝統をさらに輝かしいものにすることになるのであります。

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