京都大学のあゆみ

歴代総長の式辞で振り返る
西島 安則

昭和60年度 卒業式式辞

西島 安則第21代総長

西島 安則

 高度経済成長を経て日本経済全体が発展を遂げると、1980年代には大学生の生活にも物質的豊かさが感じられるようになった。
 大学紛争以降、京大では一般教育のあり方を見直す全学的な議論の中で教養部改革の動きが本格化しはじめていた。1985年度卒業式の式辞では西島総長が時代が変換期にあることを説き、「『専門』とは、はたして何だろうか」と学生に問いかけている。大学改革の源流が見え始める時期でもあり、京都大学を取り巻く環境の変化を総長自身が強く意識している様子がうかがえる。

昭和60年度 卒業式

1986(昭和61)年3月25日

 卒業生諸君、おめでとうございます。
 本日ここに、名誉教授の先生方の御臨席を得て、部局長、並びに教職員の皆様と共に昭和60年度卒業式を挙行いたしました。ただ今、合格証書をお渡ししましたように、文学部199名、教育学部52名、法学部383名、経済学部204名、理学部286名、医学部119名、薬学部84名、工学部830名、農学部275名、合計2,432名の諸君がめでたく京都大学を卒業されたことは、京都大学の最も大きな慶びであります。
 今日、ここに新しい学士となられた諸君は、この最高学府を卒業するまでの勉学の道を思い起こし、そして京都大学で心ゆくまで学んだ日々を自ら顧みて、この門出に当たり、新たな決意を固めておられることと思います。
 諸君の、一人一人の今までの道程をこれまで支えてくださった御家族の皆様をはじめ、関係者の総ての方々に、今日のこの日に諸君と共に、改めて深く敬意と感謝の気持ちを表したいと存じます。

 諸君は、希望に燃えてこの京都大学の門をくぐってから、今日、学士号を得られるまで、京都大学の学風を味わい、身につけて、今日の日を迎えられました。京都大学の卒業生として、自信と誇りを持って第一歩を踏み出してください。諸君は今、ちょうど、硯に向かって墨を静かにすり終えて新しい紙に書を書こうとするときの、あの心の安らぎと、そして緊張感、それらが重なり合ったすばらしい気持ちでおられると思います。この気持ちは大変大事なことであり、いつまでも大切にしてほしいと思います。
 諸君の中にはこれから更に学問の道に進んで研究者になろうと志している方もおられますし、あるいは、これから社会の広い分野で、思いきり活躍しようと考えている方もおられます。しかし、たとえ研究者となるにしても、社会人として進むにしても、今までの学生時代とはずいぶん異なった人の集まり、あるいは組織の中で、諸君は新しい立場で仕事をすることになります。また、この中には、言葉や習慣の違った外国へ行って、これから仕事を始める人もおられるでしょう。諸君がこれから入って行く社会、これは今、何か大きな変換期にきていると言われております。諸君は、それぞれの学部において専門の教育を受け、学士試験に合格されました。この「専門」という言葉の意味が、ずいぶん変わりつつあるようにみえます。「専門」とは、はたして何だろうか。
 新しく、大きく変わりつつある社会へこれから巣立って行く諸君に、今日、「専門」とは何だろうか、そして、何を大切にしなければならないのかを考えてほしいと思います。私自身のことで恐縮ですが、私の専門は自然科学の中の、高分子と呼ばれている分野です。京都大学に入ってもう40年になりました。この高分子という巨大な分子は、ずいぶん長い間、物理学、化学、生物学といった自然科学のいろいろの分野で議論されてきたものです。最初に議論されたのは1850年代で、今から100年以上前になりますが、それまで考えられなかったような巨大な分子があるんだということを言い出した何人かの科学者がいました。しかし、昔から皆が信じている小さな分子でいいのではないか、それが集まって、あたかも、巨大な分子であるかのような振る舞いをするのだろう。別にそんな大きな分子を考える必要はなく、集まり方を考えればよいのだ、という考えが長い間大勢を占めていました。1920年頃から1940年頃までの間に、いろいろな研究方法で、それは、小さい分子が集合しているだけではなく、結合しているのだということが、段々にわかってきました。
 幸いなことに、ちょうどその頃、私は大学に入ってこの分野の勉強を始めたわけです。その頃は、高分子の専門分野はまだ生まれたばかりで、これからというときでした。私は指導教授から、その巨大な分子の形や姿を、もっとしっかり確かめる方法について研究するようにという、卒業論文のテーマを与えられました。それは簡単な、しかし大変大きなテーマでした。それで私は卒業後しばらくして、その頃高分子研究の中心であったアメリカのブルックリン工科大学の高分子研究所へ行くことにしました。そこには、世界の国々から研究者が集まっていました。そして、いわゆる専門もいろいろで、数学者も、物理学者も、化学者も、生物学者もいました。それぞれ違った学問的背景をもった研究者が、決して立派とはいえない古いレンガ造りの建物の中で、高分子の研究をしていました。毎週熱のこもったセミナーが開かれました。研究者達の年齢も、私のように大学を出て間もない若者もおれば老大家の先生もおられました。特別に、国際的とか、学際的とかいった意識は全くなく、国を超え、専門分野を超え、年代を超えて、一人一人が一人前の研究者としてお互いを尊敬し合えるすばらしい集団でした。やがて、高分子という専門領域が生まれました。それが今、この10年程の間に、また大きく変わってきています。高分子の研究者達は、いろいろの新しい学問の総合に深いかかわりをもちつつ大きく広がってきました。生命に関する科学の領域、あるいは、情報科学の分野、またエネルギーの研究分野、新しい材料の研究分野というように、100年程前にできたその小さな渦が、段々と大きくなって、今、その渦がまた次の新しい渦を生みながら、いわゆる「専門」というものがどんどんダイナミックに広がってきています。

 今、私は、学問研究におけるダイナミックな総合の姿を、私の経験を通して、自然科学のごく一部の面から見ましたが、これは、人文科学、社会科学の分野でも同じことが言えると思います。そして文科系と理科系というような、分類は適当でなくなりつつあります。
 それらを総て包含した自然と人間との関わりについての新しい見方も今、生まれつつありますが、こういう時に大切なことは何でしょうか。私は今こそ、京都大学の学風とか、味わいとかいうものを身につけた諸君が、本当に活躍してくれる時だと、大きな期待を持っております。基礎のしっかりしていない者がいくら集まっても、それは本当の意味のダイナミックな総合にはなりません。そのような集まりの力は直ぐに減衰してしまいます。それから、もう一つ大切なことは、一人一人の自由な発想がないと、これもダイナミックな総合にはならないのです。しっかりした基礎的な力と自由で活き活きとした発想、この両者が必要です。
 さらに、私が諸君と同じ歳ぐらいの頃に経験した、小さな研究所ですばらしいと思いましたのは、皆、バックグランドが違うのですが、お互いがお互いを本当に尊敬し合い、それぞれの専門を尊重し、年代を超え、分野を超えて、同じ目的で取り組む喜びを、素直に分かち合う心のふれ合いとでも言える雰囲気が自然とできていたことです。基礎をしっかりすること、伸び伸びとした、活き活きとした、自由な発想を持つこと、そして、お互いを一人の人間として尊敬し、素直に心を開き合うこと、これらの三つが揃ってこそ学問の大きな渦を作るような最初の渦になるダイナミックな総合ができるのです。これはそのまま、先程申しましたとおり、京都大学が伝統的に誇りとしている学風であります。そして京都大学ではそういう伝統的な学風が大切にされて、これを次の時代に伝えて行こうとしているのです。
 諸君がこれから、ダイナミックな総合の時代、ダイナミックな変換の時代にいろいろな分野で活躍されるに当たって、諸君が学部で学んだ基礎学問は、本当に重要なものです。これは、いつまでも、ますます磨いてください。もうこれで済んだというようなものではありません。基礎はますます深め、そしてそれがもっと大きな広がりの中で、どんな位置を持っているのかということをよく考え、学問の歴史に踏み込んで、自分の基礎の位置付けをしっかりと固めてほしいと思います。

 これから諸君の出て行く社会は厳しい社会であると言われます。このごろよく“Scrap and build" というようなことが言われております。あたかもこれが、何か進歩の前提でもあるかのように使われていることがあります。学問の世界で“Scrap and build"を標語にするような風潮が広がることに、私は深い危惧の念をもっています。学問の広がりと進歩は、今、言いましたような学問の歴史の中で渦が渦を呼び、新しい総合を創りながら今日まできたのです。決して短かい時間尺度で、これは役に立つ、これは役に立たないと振り分けて、片方をスクラップして、またビルドするというようなやり方で先祖から受け継ぎ、今日の人間の文化が形成されてきたのではありません。厳しい社会と言われている中で、諸君はこれから決して“Scrap and bulid" というような安易な考え方で物事を進めることはしないでほしいと思います。本当の進歩とは何かをじっくりと考えてほしいと思います。これは学問の世界だけではありません。今の一歩が人類の将来のための正しい道に進むものであり真の意味での人類の進歩につながるものでなければなりません。諸君は、これまで学んだ基礎を踏まえて、自由な開かれた社会と人類のためになるような時代を造るために進んでほしいと思います。
 京都大学は、諸君と共に、いつまでもこの重要な間題に一所懸命取り組んでいこうと考えております。これからいろいろな分野で活躍される諸君が、これからもいつでもこの母校を訪れ、先輩や後輩と共に語り合いそれが大学の中に、また新しい活気を生み出して行くことを願っています。

 今日は、昨日までの春の嵐がやんで、すばらしい天気となりました。天が諸君の卒業を祝っているかのようです。本当におめでとうございます。元気でしっかりやってください。

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