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京大工学を掘り起こす 真理と独創の追究で人と社会を変えていく[後編]京大工学を掘り起こす 真理と独創の追究で人と社会を変えていく[後編]

 工学部6学科、工学研究科17専攻と、京都大学随一の規模を持つ工学。その大きさ、カバーする領域の幅広さを理解したうえでその伝統や独自性に迫りたいと、研究科長をはじめ様々な専門分野で活躍する研究者の声を集めた。研究教育理念とその特徴について概観した前編に続き、後編では京大工学における社会との結びつきにスポットを当てて見ていこう。

ソリューションをめざさない産学連携

 工学という学問と社会との結びつきといえば、まず思い浮かぶのが産学連携だろう。国立大学が組織として産学連携に取り組み始めたのは1980年代後半のこと。民間との共同研究を進めるための窓口や研究シーズ集など体制整備を行い、地域とのネットワークを構築していった。1990年代に入ると、科学技術立国を合言葉に国が産官学連携を主導し、経済政策の一環として積極的に推進するようになった。科学技術基本法、大学等技術移転促進法(TLO法)、産業技術力強化法などの法整備が進み、2000年代から大学発ベンチャー設立の動きも活性化した。

 京都大学はかつて産学連携の「嫌い」「苦手」な大学として通っており、それは社会に役に立つものづくり、エンジニアリングを追求する工学にあっても例外ではなかった。基本原理から究め、未開のフロンティアを追いかけることをよしとする学風は、結果とそのスピードのみを求めがちな産学連携となじまない部分も多かったからである。京都大学が民間との共同研究の窓口を担う組織をつくったのも2001年と遅かったが、そこからは産学連携が目的とするイノベーション創出をより促進する優れた手法の検討を進め、近年では組織連携やグローバル連携など大規模連携を含めて他をリードする成果をあげている。

 このうち大学と企業が「組織」対「組織」で向き合う組織連携は、ビジョンの共有や部局を超えた連携によるリソースの結集でイノベーションを加速させると期待されている手法だ。京都大学工学では、この組織連携を2005年という早い時期から取り入れた。次世代のセル生産を実現するロボット知能化技術について三菱電機株式会社と連携、機械系3専攻に加えて他研究科からも参加する横断型の共同研究を進め、様々な成果を上げながら現在もなお拡張を続けている。大学側の代表を務める工学研究科機械理工学専攻・椹木哲夫教授は、「成功の要因は、何を研究すべきかから産学が一緒に議論したことにある」と話す。議論から生まれたテーマに合わせ基礎研究から実用化にも結び付く発展型の研究が行われ、研究者が緩やかに結びついていることがパートナーシップのカギとなっている。椹木教授は現在、この共同研究から発展した、熟練者の暗黙知を伝える支援のためのAI基盤技術の研究に取り組んでいる。

三菱電機株式会社との産学連携を推する椹木哲夫教授イメージ

三菱電機株式会社との産学連携を推する椹木哲夫教授

 工学部長・工学研究科長の大嶋正裕教授は、今後の産学連携について次のように語る。「現実に何が問題になっているのかを知る意味でも、産学連携は工学にとって非常に重要です。ただし、大学がやるべきなのは、他ではできない『時間がかかること』。産学連携においても、近視眼的なソリューションではなく、根本原理を突き止めたり、体系化によって新たなものを生み出すという役割を担っていきたいと思います」

 このほか、2006年からキヤノン株式会社と連携し、医学、工学、情報学など分野を横断した10年にわたる長期プロジェクト「高次生体イメージング先端テクノハブ」では、工学研究科高等研究院に生体医工学研究部門を設置し、生体・医工融合コースの教育と結んだ人材育成を推進。京都大学における医工融合領域の充実・進化を後押しする事業となった。

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椹木哲夫教授の研究
共感し合うシステムで「機械と人間の共創」を実現

 椹木哲夫教授が進めているのは、ものづくりの現場などで行われる熟練技能の継承を機械が支援するシステムの開発である。製造技術の自動化は進展しても、複雑さが要求される、たとえば新幹線の先頭車両の流線型の部分など人の手でしかつくれない工程は残る。中小企業では匠の技と言われる技術を持つ人の高齢化が進み若い後継者も圧倒的に不足しており、人から人へOJTで技能を伝えていくことが難しくなっている。
 そこで、熟練者から若い世代へ技術を伝えていくために、人間ができる部分と機械ができる部分とをうまく組み合わせていこうというのが椹木教授らのアプローチだ。AIやITによって機械の知能化を進め、熟練技能者の伝える力、学習者の学ぶ力を拡張させるシステムを構築していく。熟練技能の見える化、モデル化はもちろんのこと、機械が真似をしているのを見ながら学習者自身が改善できる点を見つけ成長していくようなインタラクションのあり方、サイバー空間を活用した伝承と学びなど、機械が人間のパートナーとなって人を育てあげていくという発想で研究を進めている。
 AI技術が進んでも、最終的に人間の代わりをすることはできないと言われている。人間と機械は互いに置き換えられることなく、互いに協力し合ういい関係を保ち続けて共創することが求められていく。人と機械はどこまで共感し、協働を進めていけるのか。これからの挑戦が楽しみな分野である。

人間ができる部分と機械ができる部分とをうまく組み合わせていくことで、教示者の教える力や学習者の学ぶ力を拡張させていく。イメージ

人間ができる部分と機械ができる部分とをうまく組み合わせていくことで、教示者の教える力や学習者の学ぶ力を拡張させていく

社会に分け入って実践する工学

 社会そのものをよりよい姿へとエンジニアリングするのも、工学の役割である。京都大学工学の中でも、国や社会の構造をソフト・ハードの両面から検討する土木工学や社会工学、人の暮らしや地域・都市のあり方も含めてデザインする建築学などの分野では特に、より多層な人々との連携や共創によって社会にコミットする研究が行われている。工学研究科都市社会工学専攻・藤井聡教授は、「社会工学分野は道路、河川、橋梁、地盤、財源、業者など幅広い対象を研究するため、自分の専門分野だけでは完結しないことに早くから気づきます。学びながら様々な専門分野と協働する素養を身につけていけるのが強みです」と話す。

 2011年には工学研究科、人間・環境学研究科、防災研究所による部門を超えたレジリエンス研究ユニットを開設、甚大な自然災害や経済恐慌などの危機を乗り越えてしなやかに回復する地域や都市、国家の強靭さを研究してきた。それをベースに具体的な政策提言へとつなげた成果をふまえ、2016年にはレジリエンス実践ユニットとして再編成。研究成果を社会で実践するための幅広い活動を行っている。

 藤井教授は、「工学は人や社会の“役に立つ”学問。その目的のために、学問の融合や研究分野の広がり、アカデミズム以外の人々も含めたコミュニケーションが大切」だと語る。「アカデミズムは、やっていることをメディアが取り上げてくれるのに任せておかないで、社会への働きかけや問いかけをもっと積極的に行っていく必要があります。ソクラテスだって、辻に立って人々に語りかけ対話をしたじゃないですか。こちらからコミュニケーションを取っていくことで存在感を高め、役に立つ工学を社会で実践するための回路を作りたいと思っています」

藤井聡教授は、アカデミズムと社会をつなげる重要さを説くイメージ

藤井聡教授は、アカデミズムと社会をつなげる重要さを説く

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 一方、建築学の分野にも、研究と実践とを平行して探究する研究者が多い。著名な建築家で、その活動を通して建築設計理論の構築をめざす建築学専攻・平田晃久教授もその一人だ。京都大学らしい建築があるのかという問いに、平田教授は「あるかもしれない」と答える。「たとえば、黒川紀章先生、高松伸先生という京大出身のお二人の作品には強い個性が表れています。一見、標準的なものからの逸脱のように見えたとしても、長い時間が経ってからあれはこういうことだったのかと気づかされるような普遍性のある新しい考えのもとにつくられています。京大にある幅の広いものの考え方が、そうしたそれまでにないものを生み出す思考を育むのではないでしょうか」

 平田教授自身は、建築に「からまりしろ」という新たな概念を持ち込んだ。1本の木に鳥が巣をかけ、小動物がひそむことで自然の環境ができていくのと同じように、人間が様々にからまれる要素を建築の中に用意する。それによって、生きた人間が活動することで生き続けていく建築をめざしている。

京都大学出身の建築家に普遍性への志向を感じると平田晃久教授イメージ

京都大学出身の建築家に普遍性への志向を感じると平田晃久教授

藤井聡教授の研究
社会と学術を往復して練る「国土強靭化」研究

 藤井聡教授は、国土強靭化をテーマに幅広い研究を進めている。巨大災害対策の研究では、防災学、計量経済学の専門家と連携して南海トラフ地震の被害額の試算を行い、それまでの試算を大きく上回る被害金額とともに防災対策や強靭化対策案、それによる被害減少効果などを政府に提案した。国土強靭化対策に力を入れる政治的な流れをつくる、一つの科学的根拠となる研究だった。近年では、新型コロナウイルス対策についての提案も、ウイルス学・医学の専門家とともにまとめ公表している。強靭化対策を支える財政政策として現代貨幣理論の研究を海外の研究者と進めるほか、人々の危機への対応や政治意識についての心理学研究など基礎研究も行っている。
 その一方で、科学コミュニケーションにも力を注ぐ。実践政策学分野の学術論文集の編纂や言論誌の編集、ラジオやテレビなどで冠番組を持つなどマスコミにも積極的に登場して社会への発信を続けている。藤井教授が意図しているのは、学術の知を世の中に広げ、社会で実践するための回路をつくることだ。情報があふれかえる現代の世の中で学術情報の発信を続けるためには、今あるメディアにバトンを渡すだけでは限界がある。学術が社会との往復をすることで知を進化させていくことと同時に、直接発信する機会を増やすことによって社会への影響力を高めていくことをめざしている。人や社会のよい形での変容に向け、新たなアプローチが続いていく。

平田晃久教授の研究
人とともに生きている「生命論的建築」

 商業建築から集合住宅、公共建築まで、平田晃久教授の建築家としての守備範囲は広い。多様な作品群において一貫して追い続けているのは、生命論的建築というテーマである。人間の活動も生物が行う活動の一種として見るとき、建築は単なるモノではなく、その中で生きている人とともに生きている存在と考えることができる。そんな生命としての特徴を持った建築をどのようにつくっていけるのかを、実際の設計を通して考え続けてきた。
 公共性のある建築が生きたものになっていく設計の方法論として挑んだのが、京都大学をはじめ京都の大学で建築を学んでいる学生たちのシェアハウス「北大路ハウス」だ。学生たちは様々なアイデアを出して設計の一部を担当。つくって、住んで、レクチャーや展覧会も運営し、住み心地をよくするリフォームも行っている。集団の知性が小規模ながら公共性を持った建物にどのように反映されていくのか、一体化できるのかという実験でもある。
 さらに平田教授は、規模の大きな公共建築、群馬県太田市の美術館・図書館の設計でも、細かなポイントを市民とのワークショップの場に投げながら決めていくという試みを行った。市民や行政、図書館や美術館の専門家などが分け隔てなく議論する場にしたことで、様々な気づきにあふれた空間になった。からまりしろもその分たくさん見つかったという。
 生きていく建築をつくりだす方法論は一つではない。その都度、その場所にしか建たないものを見極め、特有の豊かさを生み出していく平田教授の建築に注目が集まっている。

地域に愛されるキャンパスに向けて

 京都大学工学には、現在、学部・研究科を合わせて全学生数の4分の1を超える6200人以上が学んでおり、全学で最も規模の大きな組織へと成長している。1999年、吉田キャンパスの狭さを解消するためにすでに大所帯となっていた工学に白羽の矢が立ち、京都市西京区西山山麓の丘陵地に新キャンパスを建設して工学研究科を移転する計画が持ち上がった。桂キャンパスと名付けられた新キャンパスは2003年化学系、電気系専攻の移転で開校し、以来10年かけて吉田キャンパスにあった専攻の移転を進め、残るは材料工学専攻のみになっている。甲子園球場の27倍の広さの構内には施設・設備が機能的に配置され、移転によって研究環境は大きく向上した。テクノサイエンスヒルという愛称もあるヒルキャンパスからの眺めは素晴らしく、京都市街の中心部も見渡せる。しかし、交通の不便さや福利厚生施設の不足など桂キャンパス特有の問題のほか、学部・研究科が桂・吉田・宇治の3キャンパスに分散していることによる物理的・心理的距離の遠さなど積み残された課題もあり、解決に向けた検討が進められている。

桂キャンパスBクラスターから臨む京都市街地イメージ

桂キャンパスBクラスターから臨む京都市街地

 2020年4月には桂キャンパス内に桂図書館が新築開館された。最終的には蔵書数50万冊を目標にする理工学系専門図書館としての充実を図りながら、一般向けの科学系の本も集めて科学との出会いを提供し、地域の人も利用できる図書館としての機能も高めている。主な利用者が研究者と大学院生のため、オープンラボ、リサーチコモンズ、グループ学習室など学外研究者や学生の協働の場と、ライティング支援、オープンアクセス支援などの人的サービスという両面からの研究支援も特長の一つだ。学外者に向けて京都大学工学の研究を発信する「桂の庭」展示など新しい試みも始まっている。

 20年近くの歴史の中で、桂キャンパスの存在は徐々に周辺地域となじんできた。近年はキャンパス内にあるホールを会場に、地元企業と連携してクリスマスコンサートを開催するなど、地域との結びつきを深めている。大嶋研究科長は、新図書館がさらに地域との協働を進化させるきっかけになると期待する。

 「西京区は高齢化も進んでおり、若い学生たちがいることによる活性化を期待する声もいただいています。今後、京都大学の西の拠点として、地域のみなさんと一緒に愛される大学を創造していきたいと思います」

 機能だけでなく芸術性や人間の情緒的な部分を取り入れた人に訴える技術、エネルギーや環境のことまで考えに入れたシステムとしての発想など、社会や人の未来を担う工学の挑戦は続く。大嶋研究科長は、「長期的なビジョンに基づいて、戦略的にフレキシブルに動けるような組織を実現していきたい」と京都大学工学のこれからを語る。真理・原理を究める伝統を強みに、新たな開拓者たちの活躍が期待されている。

京都大学桂図書館開館記念式典の様子イメージ

京都大学桂図書館開館記念式典の様子

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京大工学の発掘ポイントPOINT of DISCOVERY
  1. 組織連携など本格的な産学連携でイノベーションを加速
  2. 研究成果の社会実装や社会のコミュニケーションにも注力
  3. 新図書館を拠点に地域とともにあるキャンパスを創造
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