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京大化学を掘り起こす 化学と諸科学の融合で新たな知を生み出す京大化学を掘り起こす 化学と諸科学の融合で新たな知を生み出す

物質の真理を究明する「多分野共同体」

 京都大学化学研究所(以下、化研)は、1926年に設立された京都大学初の附置研究所である。学問の専門分化が進む現代、設立時のまま「化学」だけを冠した名称はシンプルすぎるようにも感じられる。事実、過去には「漠然としすぎている」という指摘を受けることもあったという。しかし、化学とは、自然と人がつくりだす多種多様な物質を研究対象とし、他の自然科学と連携して生活や社会を支える学問。化学を原点に90年以上にわたって物質の真理を究明し、幅広い領域にわたる課題解決に貢献してきた化研の姿勢を、これ以上的確に表現する名称はないのかもしれない。

 設立にあたっては、理学、工学、農学、医学など各研究科に所属していた化学系教員が協力した。以来、化学だけでなく物理学や生物学、情報学など、多くの分野を取り込みながら「多分野共同体」として発展、現在にいたるまで、異なるコミュニティの個性的な研究が融合・共存し、幅広い研究分野を擁するのが化研の大きな特色の一つとなっている。

 また、設立理念「化学に関する特殊事項の学理及び応用の研究を掌る」には、「化学に関する特殊事項」つまり先駆的、先端的課題について、「学理及び応用の研究」つまり基礎研究を重視しながら応用研究も積極的に展開するという意志が表れている。大学で応用研究を手掛けること自体がまだ珍しかった当時、基礎研究の充実した成果を基盤にした戦略的な応用研究を志向するという新しい構想のもとに設置された化研では、化学に関する多様な課題に多分野が境界を越えて協力し自由闊達に研究することがめざされた。

 「大学と産業界との連携もそれほど密ではなかった時代に、その橋渡しとなって社会が求める先端的な開発研究を活発に行いました。開発された製品によって得られた利益で研究所の運営を支える、いわゆるベンチャーラボのような存在でもありました。応用のみの成果を求める研究とは一線を画し、しっかりとした基礎研究で土台を固めているからこそできる応用研究に向き合う姿勢は、当時から現在に至るまで一貫して受け継がれています」と所長・辻井敬亘教授は話す。

化学研究所の歴史を解説する辻井敬亘所長イメージ

化学研究所の歴史を解説する辻井敬亘所長

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ものづくりから遺伝子まで世界的な研究成果

 化研は、その長い歴史の中で、数多くの業績で学問と産業技術の発展に貢献してきた。戦前・戦中には、国産初の合成繊維ビニロンの開発、人造石油や合成ゴムの製法開発、高圧法ポリエチレンの製造、除虫菊成分の分析や合成などの成果があり、その多くは日本化学会が認定する化学遺産の認定を受けている。

化学研究所で製法が開発された「人造石油」イメージ

化学研究所で製法が開発された「人造石油」

 戦後も、日本のものづくりを支える研究成果が続々と生まれた。1959年に開始した結晶化ガラスの基礎研究から、IHクッキングヒーターのトッププレートに使われる結晶化ガラスが生まれ、のちにバイオセラミックス製人工骨の開発へと展開した。1963年に始まった酸化鉄微粒子研究からは、化粧品やオーディオ・ビデオテープ、磁気ヘッド、黒色トナー粉などが実用化された。以来、金属酸化物研究は対象物質、合成法とも多彩・高精密化が進み、色、磁性、超電導など多彩な分野で世界をリードしている。また、1980年代には、金属や酸化物などを人工的につくるための人工格子を世界に先駆けて作製し、その後、ハードディスクの読み取りに利用される巨大電気抵抗効果を示す人工格子の作製にも世界で初めて成功した。

 幅広い科学の進展に役立つ電子顕微鏡開発と応用研究でも大きな実績を上げている。1968年に超高圧電子顕微鏡を開発し分子の外形を撮影したのに続き、1974年には世界初の極低温超高分解能電子顕微鏡を開発、1979年には初めて分子構造を示す原子像の撮影に成功した。また、1989年に、さらに性能の高い電子線分光型超高分解能電子顕微鏡を世界に先駆けて開発した。2012年には従来困難とされていた有機分子中の炭素骨格の撮影にも成功した。

 遺伝子解析の分野では、1975年、DNA塩基配列の解析方法を日本で最初に導入し、1981年には遺伝子組み換え実験を専門に行う日本初の核酸情報解析施設を設置して研究をリードした。1992年にはスーパーコンピュータ・ラボラトリーを設置し、国のヒトゲノムプログラムの中でも重点領域となったゲノム情報、ゲノムネットの拠点地としてゲノム研究を展開。生命科学と情報科学の融合分野バイオインフォマティクス研究用に、遺伝子やタンパク質、分子間ネットワークに関する情報を統合した世界有数のデータベースKEGG(Kyoto Encyclopedia of Genes and Genomes)を構築した。2001年にはバイオインフォマティクスセンターを設置し世界的な研究拠点として認知されている。

「バイオインフォマティクスセンター」は、計算機による生命科学知識の蓄積・獲得のためのバイオインフォマティクス(生命情報科学)の世界的研究拠点イメージ

「バイオインフォマティクスセンター」は、計算機による生命科学知識の蓄積・獲得のためのバイオインフォマティクス(生命情報科学)の世界的研究拠点

5研究系と3センターで幅広い分野をカバー

 近年注目されている研究としては、有機電子デバイスの高性能化に取り組む分子集合解析研究領域による、次世代太陽電池の開発がある。ペロブスカイトと呼ばれる結晶構造を持つ半導体材料を光吸収層に用いるペロブスカイト太陽電池は、材料を基板やフィルムに塗る印刷技術によって作製できるため、製造コストを大幅に低減することができる。エネルギー変換効率も高い期待の新技術だ。化研では、このペロブスカイト太陽電池の高性能化に向けて多くの課題をクリアし、他に先駆けて20%を超えるエネルギー変換効率を達成した。2018年には京都大学発のベンチャー企業、株式会社エネコートテクノロジーズを設立し、太陽電池をはじめとするデバイスの社会実装を進めている。

 「こうした展開は、化研がこれまでに積み重ねてきたナノサイエンス、スピントロニクス、量子技術などの成果ともつながりが深いものです。その他にも、元素戦略や計測分野など、常にいくつもの特色ある基礎研究が継続されています。それぞれの分野が融合して時代の先端をいく新たな成果を生み出しているところが化研の強みです」(辻井所長)

京都大学化学研究所では、エネルギー変換効率の高い「ペロブスカイト太陽電池」の研究を進めているイメージ

京都大学化学研究所では、エネルギー変換効率の高い「ペロブスカイト太陽電池」の研究を進めている

 強みをより発揮できるよう、研究体制の構築にも心を砕いてきた。教授、准教授、助教がチームで研究を行う研究領域制を採用し、現在、30の研究領域を5つの研究系と3つのセンターに組織化している。5つの研究系で機能材料、ナノ材料、バイオ、環境、新基盤と幅広い分野をカバー、異なる専門分野の研究領域を結びつけて融合・連携を活発に進め、境界領域で新たな研究分野の開拓をめざしている。

 また、3つのセンターは、基幹領域の最先端研究アプローチが発展して生まれ、それぞれに化研を特徴づけている個性的な存在となっている。先端ビームナノ科学センターでは、高機能電子顕微鏡群や超高強度極短パルスレーザー、独自の加速器など高品質な最先端機器を自前で持つことでこれらを自在に扱える技術を開発し、物質内の世界を探索して科学に貢献している。元素科学国際研究センターは、元素の新しい特性を見極め、それを生かしたものづくりを進めている。バイオインフォマティクスセンターは、生命科学情報解析用スーパーコンピュータを用いて、ゲノムの情報から疾患や医薬品に関する知見を得るための新しいデータベース開発へと進化を続けている。

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国際ハブ機能を高め発信力を強化

 このような融合を促進し先進的な研究を生み出す環境づくりに一役買っているのが、共同研究の推進である。以前から国内外との共同研究に積極的に取り組んできたが、2010年に共同利用・共同研究拠点に認定されたことで年間の共同研究件数が拡大、そうした実績が評価されて海外からも共同研究拠点としての認知が広がった。2018年には国際共同利用・共同研究拠点に認定され、国際共同研究件数がさらに飛躍的に増加している。辻井所長は「我々のような100人程度の規模でこれだけの分野をカバーし、各専門分野でも存在感を示しているところは世界でも珍しい」と、化研が世界から評価されているポイントを指摘する。

 共同研究先もアジア圏から北米、ヨーロッパへと広がりを見せている。「今後は国際共同研究ステーションとして、各研究機関を結びつけ、異分野との連携・融合を拡大・深化させる、2方向のハブ機能を高めていきたいと思っています。国内外の研究連携を促進して新たな学際分野を開き、世界へ向けた発信力を強化することで研究所としてもう一段階の飛躍につなげていきたい」と今後への意欲を示す。国際シンポジウムや研究会を継続的に開催するのをはじめ、上海の復旦大学内に「京都大学上海ラボ」を設置して最先端の化学研究を展開し連携強化を図るなど、国際ハブ環境充実へ向けた活動も推進中だ。また、アジア圏を中心に優秀な留学生の発掘と受け入れも進めており、募集には手ごたえを感じているという。

2018年に国際共同利用・共同研究拠点に認定されたことを機に、国際共同研究数が大幅に増加したイメージ

2018年に国際共同利用・共同研究拠点に認定されたことを機に、国際共同研究数が大幅に増加した

特色を生かす人材育成と社会への発信

 研究と並んで、教育・人材育成と社会的活動も化研の重要な柱である。教育については、大学院生はもちろん、ポスドクや企業研究者など若手研究者も積極的に受け入れている。多分野を行き来するうちに学際的な視点が育ち、理学、工学、農学、薬学、医学、情報学の6研究科11専攻から学生が集まるため学生同士のネットワークも広範囲に築くことができるのは、幅広い分野をカバーする化研ならではのメリットである。所内の研究者が最新研究成果を発表する「化学研究所研究発表会」、大学院生が自主的に運営する「ICR-Dセミナー」など交流機会も多い。「サイエンスのバックグラウンドが違い、個性豊かなメンバー同士が互いに交わることができる附置研ならではの恵まれた環境を、有効に活用してもらいたいと思っています」と辻井所長は語る。

 活躍が期待される若手研究者と大学院生を表彰する京大化研奨励賞、京大化研学生研究賞の授与、海外派遣制度などを設けて組織的にサポートし、化研で業績を積んだ優秀な人材が国外も含む外部の大学・研究機関へと採用されることも増えた。「研究者の泉源」として評価されるのと同時に、外部との人事交流が研究所の活性化にもつながっている。

所内の研究者の交流の場ともなっている「化学研究所研究発表会」イメージ

所内の研究者の交流の場ともなっている「化学研究所研究発表会」

 社会に向けた発信には、いち早く本格的に取り組んできた。1993年度に初めて公開講演会を実施したのを皮切りに、翌年度には京都大学各部局に先駆けて広報専門部署を設置、研究内容をわかりやすく発信する広報誌『黄檗』を創刊した。紀要のような硬い研究報告の域を超えて、他分野の研究者や学生、サイエンスに関心のある一般読者にも興味を持ってもらえる読み物を心掛けている。

 ユニークなアウトリーチ活動としては、90周年記念事業の一環として2016年から利用を開始した「碧水舎」がある。化研のある京都大学宇治キャンパスの一角にある、旧陸軍の火薬庫として建設され講義棟にも使われたレンガ造りのレトロ建築を、化研の沿革と研究業績がわかる歴史展示室を設置した多目的集会施設として蘇らせた。

京都大学化学研究所の90周年記念事業で整備された「碧水舎」。レンガ造りの外観が美しいイメージ

京都大学化学研究所の90周年記念事業で整備された「碧水舎」。レンガ造りの外観が美しい

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 一方、産学連携については、宇治キャンパス全体で地域とのつながりを深め、さまざまな課題を共有している。キャンパス内にあるエネルギー理工学研究所、生存圏研究所、防災研究所との合同で年に4回、京都府南部の企業を招いて「宇治キャンパス産学交流会」を開催。また、2018年には、宇治地区インキュベーション支援室を立ち上げた。宇治キャンパスの研究者やベンチャー企業が、化研が持つ装置など多様なリソースを共同で利用できるよう整備し、研究成果の実用化・事業化支援を行っている。

「宇治キャンパス産学交流会」は、研究者と企業をつなぐ貴重な場イメージ

「宇治キャンパス産学交流会」は、研究者と企業をつなぐ貴重な場

「化研らしさ」で世界を変えていく

 2004年、化研は部局としての個性を強く打ち出そうと、独自事業「化研らしい融合的・開拓的研究」プロジェクトをスタートした。研究分野の多様性を生かした融合的先端研究がより活発化するよう、40歳未満の若手研究者を対象として所内での異分野融合を奨励する取り組みだ。2012年度からは外国人枠を設け、海外の研究者との融合的研究によって国際的視野をもった若手の育成と研究アクティビティの向上を図っている。

 自分の分野だけでなく、隣の分野、少し離れた関連分野にまで視野を広げ、新しいことを考え出していくのが、化研らしさである。たとえば、現在立ち上げを計画している、マテリアルズ・インフォマティクスもその一つである。化学は有機であれ無機であれ反応がベースになる。所内や共同研究で行われているさまざまな反応について、バイオインフォマティクスで培った技術や情報学の知見を生かしてデータベースを構築し、ものづくりに生かそうというアイデアだ。

 「化学は、物質や現象の本質的な解明をめざす基礎研究に重きを置くことで、ものづくりからそれを使った社会システムの変革さえも可能にします。化研の高いアクティビティと多様性、連携・融合研究の伝統を基盤に、新たな学術分野の開拓、未踏科学への挑戦に向けて踏み出していきたいと思います」(辻井所長)

 時代の要請に柔軟に、積極的に対応して未知の領域を開拓し、地球社会の課題解決に貢献することをめざして。世界的レベルの研究を推進し、今後も新たな知への挑戦を続けていくことが、化研の使命である。

京大化学の発掘ポイントPOINT of DISCOVERY
  1. 物質や現象の本質的な解明をめざす基礎研究を重視
  2. 化学を中心に幅広い学問分野と連携する「多分野共同体」
  3. 異分野融合で新たな学術分野を開拓し地球社会の課題を解決
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