2020.05.14 THU
知のコミュニティが育てる人文学
京都大学の人文科学研究は、その草創期から、ドイツ式の研究中心主義を導入して学生を一人前の研究者として育てた。これによって、優れた弟子が知を受け継ぎ発展させていく「学派」ができたことが、京都大学人文学の特色となった。研究中心主義の導入と、学派の代表例である西田幾多郎と京都学派については、こちらで詳しく述べた。
西田の弟子、下村寅太郎は、東京と比べて「京都には密度の濃い結びつきがあった」と述べている。それを可能にしたのは、ユニバーシティタウンにふさわしい京都の手ごろなサイズ感だった。距離の近いコミュニティによって、研究者同士がより深い関係を構築することができた。京都大学・藤田正勝名誉教授は、京都学派のあり方から、プラトンの書簡のなかにある次の言葉を思い起こすという。
「(教える者と学ぶ者とが)生活を共にしながら、その問題の事柄を直接に取り上げて、数多く話し合いを重ねてゆくうちに、そこから、突如として、いわば飛び火によって点ぜられた燈火のように、(学ぶ者の)魂のうちに生じ、以降は、生じたそれ自身がそれ自体を養い育ててゆく」
京都学派の独自性を指摘する藤田正勝先生
哲学以外の領域でも、量的な広がりや質の深浅に差があるにせよ、同じような知の共有と発展を担う知的ネットワークが生まれた。その中でも、独特の進化を遂げたのが、生態学者・今西錦司たちのグループである。
今西は学生時代から登山、探検を好み、戦前から京都大学学士山岳会、京都探検地理学会を母体として学術探検を行っている。それは、地理学者、動物学者や植物学者などさまざまな領域の研究者が加わって大きなチームで多角的にアプローチする、探検スタイルのフィールドワークである。動物生態学者の森下正明、植物学者の中尾佐助、日本の文化人類学の先駆者となった梅棹忠夫などが参加した。
京都大学学士山岳会は、今も活動を続けている。写真は、ベースキャンプでチョゴリザを眺める桑原武夫(後ろ姿)
- LINK京都大学学士山岳会
独自の共同研究が開花
登山や探検、あるいはそれを通した中学・高校時代からの結びつきを持っていた人たちを含めた今西の同僚や弟子たちのネットワークは、1949年、戦前からあった3つの研究所が統合してできた新しい人文科学研究所(人文研)を拠点に先駆的な「共同研究」として開花した。人文研で共同研究のシステム構築を推進したフランス文学者・桑原武夫も登山家であり、1958年の京都大学学士山岳会チョゴリザ遠征隊に隊長として参加している。
- LINK人文科学研究所
京都大学大学院文学研究科・出口康夫教授は、人文研で行われていた共同研究を「探検型フィールドワークの手法を文献研究に置き換えたもの」と話す。「戦後、欧米でインターディシプリナリーなどと呼ばれ、さまざまな領域の研究者が協力し合う研究アプローチが流行します。京都大学の共同研究は、それを移入したものではなく、戦前のスタイルを独自に発展させたものでした」
このような共同研究の伝統は様々な成果を生み出す。その一つは、伝統的な文献学とフィールド学を融合させる取り組みである。梅棹が企画し、そして桑原らヨーロッパ文学研究者を中心にして行われた文化人類学的研究もその一つ。近年、世界でも哲学、歴史学、文学などの文献研究中心の分野にもフィールド調査の手法を持ち込む動きが起こっているが、京都大学ではそのような発想によるプロジェクトがいち早く試みられていた。
もう一つは、地域研究分野の発展である。1963年に東南アジア研究センター(現・東南アジア地域研究研究所)を設置。社会科学だけでなく農学や土壌学など自然科学系を含む幅広い研究領域を取り入れる独自の手法によって、生態や環境に関する多くの研究成果をあげた。欧米の地域研究になかったこのような手法は、日本において、また世界において地域研究のモデルの一つとなった。
東南アジア地域研究研究所
- LINK東南アジア地域研究研究所
アジア人文学の可能性
このような人文学の伝統を背景に、これから、京都大学の人文学はどのような針路を取るのか。その前提となるのは、人文学が社会に果たす重要な役割だろう。
藤田先生は、人文学が果たしてきた役割を、「自分自身の文化の枠組みの中では見えないもの、自分と異なるものの見方や世界観に目を向けさせてきた」点に見る。グローバル化が進む世界で、経済格差による対立や軋轢がますます激化している状況を打開するには、それぞれの文化がそれぞれの歴史を担って発展してきたことを互いに認め、謙虚な姿勢で対話し、相互に理解し合うことを通して新たな発展の道を探っていくほかにはない。それこそが今日、人文学に求められていると強調する。
一方、出口先生は、人文科学が生き方や社会をつくる提案であることに目を向ける。たとえば「人権」という言葉が生まれることで社会が変わってきたように、人文科学がもたらした知は、新しいものをつくる際に必要なコンセプトやものの考え方を提供する。今後、AI、ロボット、電子情報技術など生き方を変え得る技術を社会に展開するのに必要な、これまでにある価値観とのすり合わせやよりよい価値観の提案の役割も期待されているという。
このような、未来に向けた人文・社会科学のあり方を世界に向けて発信しようという取り組みが、今、京都大学で行われている。2017年に指定国立大学法人に指定されたことを契機に、2018年10月に人文・社会科学系の幅広い分野の研究者が参加する「人社未来形発信ユニット」が始動した。
松野文部科学大臣(当時)から指定書を受け取る山極総長
人社未来形発信ユニットがその活動の主眼に置いているのは、アジア的な観点から、世界に通用するような人文知や社会知の構築を支援し、その成果を広く世界へ発信することである。アジアに産業・経済の中心がシフトしていく、これからの世界。西欧はもちろん中国でも、アジアの歴史、文化、思考、価値観を知ろうとする動きが活発化してきている。一方で現代のアジアには、今なお政治権力やナショナリズムの影響を受けざるを得ないという側面がある。日本は比較的それらの影響から距離を取ることができる。特に、京都が首都・東京から離れている点もそのメリットを補強するだろう。人社未来型発信ユニット長を務める出口先生は、次のように語る。
「京都学派を中心に、京都大学には人文学の卓越した伝統がある。それを生かすことで、京都大学が次の世代を担うアジアの若手研究者が往来し世界へと還流するハブとなり、アジアや世界全体を風通しのよい状況に変えていければと思っています」
西洋一極に集中する形で発展してきた学問は、今あらゆるところにそのほころびが見え始めた。科学技術の発展にしても、従来のような世界や自然の西洋的な捉え方だけでこの先、未曽有の領域に分け入っていくことはできない。アジアを含めた非西洋の知的伝統から、西洋的な学問の限界を越えた人間、社会、環境、自然の総合的な理解につながる、これからの多元的な世界にふさわしい新たな人文知・社会知を構築することが求められている。
パイオニア的な存在としてアジアの人文知を牽引してきた京都大学には、これからの世界を創造しその営みに新たな価値を生み出す大きな役割が期待されている。
およそ500名が来場した人社未来形発信ユニットによる第1回全学シンポジウムで、出口康夫先生は座長を務めた
- ユニバーシティタウン、京都で生まれる距離の近いコミュニティ
- 京都大学で生まれ独自に発達した先駆的な共同研究
- 多元的な世界の創造・発展に貢献するアジア人文学を構築
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