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京都大学の宇宙学を掘り起こす 京大宇宙学のルーツを訪ねて京都大学の宇宙学を掘り起こす 京大宇宙学のルーツを訪ねて

ユニークな京大宇宙学

 「宇宙学」という確立した学問分野があるわけではないが、京都大学では「宇宙」に関するさまざまな研究が行われている。宇宙の成り立ちや地球を含めたさまざまな天体についての研究や、宇宙にモノや人を運んで宇宙空間を利用する研究、また、宇宙における生命や医学、人工衛星のデータを駆使した防災やフィールドワークの研究。さらには、宇宙に関する哲学、宗教学、倫理学、人類学、科学史など人文社会系からのアプローチも行われている。

 このフィールドの広さに加え、宇宙に関連した各分野の研究者が連携して新しい学問分野「宇宙総合学」を生み出そうとしているところに京大宇宙学のユニークさがある。ではこれは、どのような土壌から生まれたのか、ルーツを訪ねてみることにしよう。

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宇宙物理学教室の誕生

 京都大学における宇宙研究のスタートは、100年以上前に遡る。第8代総長も務めた新城新蔵先生が、1918年に物理学科の中に宇宙物理学講座をつくったことに始まる。新城先生がドイツに留学して、天文学に物理学的な考え方を導入した新しい学問、アストロフィジクスと出会い、日本に持ち帰ったのだ。

 「新城先生は、東大とは違うことがしたかった」と言うのは、前 京都大学大学院理学研究科附属天文台長・柴田一成教授だ。1878年に東京大学につくられた東京天文台は、日本の天文学の中心であると同時に、江戸幕府天文方の仕事を引き継いで暦編纂を手掛けていた。天体気象の観測も暦づくりも古くから政治の仕事である。「東大で行われていた権威の象徴としての学問とは一線を画したくて、『宇宙物理学』というそれまでにない名前を付けたのです。京大では設立当初から、すぐには役に立たない純粋学問、基礎学問に重点が置かれていました。宇宙物理学講座もこの精神に満ちていたのでしょう」

京大宇宙学の成り立ちを解説する柴田一成先生イメージ

京大宇宙学の成り立ちを解説する柴田一成先生

アマチュア天文学の聖地

 新城先生は、1929年、東山連峰の一角、宇治郡山科町(現 京都市山科区)に、当時は日本一の大きさだった屈折望遠鏡を擁する花山天文台を設置した。花山天文台を盛り立てたのが、新城先生の最初の弟子、山本一清先生である。「星はたくさんあって、とても少数の天文学者だけでは観測できない。市民の協力が不可欠」との考えから、アマチュア天文学の普及に熱心に取り組んだ。そのおかげで、花山天文台は「アマチュア天文学の聖地」として、今なお多くの市井の天文学者たちに愛されている。

アマチュア天文家たちに愛される花山天文台イメージ

アマチュア天文家たちに愛される花山天文台

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世界的業績を挙げた京都大学

 新城先生、山本先生の教えを受け継ぎ、のちに第3代天文台長となった宮本正太郎先生は、1943年、太陽のコロナが100万度であることを世界で初めて正確に算出した。当時は太平洋戦争中だったため、日本語での発表だった。戦後に英語の論文に書き直して発表したところ、世界中の天文学者が驚いた。

 さらに、1956年には火星の偏東風を発見し、これが世界的に見ても火星気象学のはじまりの一つとなった。そんな偉業が、研究費がなくて火星を目で見てスケッチするというアマチュア的な方法で達成されたというのだからびっくりだ。宮本先生は、やっぱり望遠鏡は大きいほうがいいと30㎝だった望遠鏡を自ら45㎝に改造し、20年間、晴れていれば毎日欠かすことなく観測し続けた。宮本先生の功績を称え、火星には「Miyamoto」と名付けられたクレーターがある。「アメリカの火星探査機オポチュニティがこのクレーターの周辺に着陸して走り回ったおかげで、『Miyamoto crater』ってインターネットで検索するとたくさん出てきます。京大の人間としては、ちょっとうれしいですね」と柴田先生。

 一方、物理学教室には、素粒子・原子核物理学を応用して星の誕生と進化の過程を解明・記述する研究で世界にその名を知られた林忠四郎先生がいる。「林フェイズ」「林トラック」など、星の進化に関する専門用語に発見者としてその名を残す。太陽系の誕生と惑星の形成に関するモデル(京都モデル)を提唱し、この分野の研究の礎となった。数々の業績によって京都賞や文化勲章などを受章。京都賞の賞金の一部を日本天文学会に寄付したことで、1996年、優れた成果を上げた天文学者に贈られる林忠四郎賞が創設された。

宮本正太郎先生による火星のスケッチイメージ

宮本正太郎先生による火星のスケッチ

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天文台の進化発展

 京都大学では、1968年に岐阜県飛騨地方の山奥に飛騨天文台を開設し、宮本先生の研究を引き継いで惑星大気など太陽系内の天体研究を進めた。1979年には世界的な太陽望遠鏡を設置し、太陽地上観測の世界的拠点の一つへと進化。すべての太陽研究分野をカバーする、充実した研究を行っている。

 2018年には、日本で一番天候のよい岡山県に、東アジア最大となる3.8mの光学赤外線望遠鏡「せいめい望遠鏡」を完成させ、岡山天文台を開設した。突発天体、太陽系外惑星などの研究を行うとともに、光・赤外線天文学の拠点として共同利用観測を行っている。光学性能が高い扇型の分割鏡、それをつくるための研削加工技術など世界初の技術を、わずか数名の京都大学の研究者が手ずから開発したのだ。「2m以上の望遠鏡をつくるべきだとみんなで相談して始めたのですが、若い人がすごく頑張ったので、2mどころか3.8mの望遠鏡ができました。お金がないから自分たちで開発せざるを得なかったんだけど、それもある意味、京大らしいと思います。お金がなくても、やりたいことのために自分たちでいろいろ創り出す。時間はかかったが結果的にすごいものができました」(柴田先生)

 確固たる信念で純粋学問に邁進し、市民とともに学問を開拓していくボトムアップの姿勢。今にいたるまで受け継がれる、京大宇宙学の伝統が浮かび上がってきた。

東アジア最大となるせいめい望遠鏡イメージ

東アジア最大となるせいめい望遠鏡

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京大宇宙学の発掘ポイントPOINT of DISCOVERY
  1. 「役に立つか立たないか」ではなく、純粋学問・基礎学問を重視
  2. 求める研究成果のためなら、障壁があっても創意工夫で乗り越える
  3. 人々とともに学問を開拓し、人々と科学との接点を担ってきた
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