放射光でほぼ全てのメスバウアー吸収スペクトル測定が可能に - 元素を特定した電子構造や磁性の研究のプローブへ -

放射光でほぼ全てのメスバウアー吸収スペクトル測定が可能に - 元素を特定した電子構造や磁性の研究のプローブへ -

2009年5月25日

京都大学
財団法人 高輝度光科学研究センター
独立行政法人 科学技術振興機構

 京都大学(総長 松本 紘)、独立行政法人 日本原子力研究開発機構(理事長 岡﨑俊雄)、財団法人 高輝度光科学研究センター(理事長 吉良 爽)および独立行政法人 科学技術振興機構(理事長 北澤宏一)の研究グループは、これまでにはその測定が困難であった元素でも測定可能とする新しい放射光メスバウアー吸収スペクトル測定法の開発に成功しました。メスバウアー分光法はこれまで物質科学の分野において、特に磁性体の研究を中心として精力的に利用されてきました。特に放射性同位体線源を用いた鉄(Fe)の測定が良く知られており、非常に多くの分野で大きな成果を挙げてきました。しかしながら、他の元素を測定する場合は、適当な放射性同位体線源を準備することが難しいため、その測定は極めて限られたものとなっていました。放射光の利用によってそうした制約を取り払うことが期待されてきましたが、検出器等の問題からその利用はまだ限定的なものとなっていました。今回本研究では、基準となる物質を用いることで、既存の検出器を利用して未知物質の測定を可能とする新しい方法を開発しました。この方法を用いて、半導体として重要な元素でありながらこれまで測定が困難であったゲルマニウム(Ge)の放射光メスバウアー吸収スペクトル測定を大型放射光施設SPring-8を利用して実施し、その測定に世界で初めて成功しました。今回の研究によって、これまでには測定が困難であった元素の測定が可能となっただけでなく、既存法で蓄積された知見を応用した、更なる手法の発展が期待されます。また、放射光を線源とすることで、微小試料の測定や超高圧下測定も可能となるので、磁性材料科学や地球内部の状態を調べる地球科学分野などでの進展が期待されます。
  本研究の成果は、JST戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「物質現象の解明と応用に資する新しい計測・分析基盤技術」(研究総括:田中通義 東北大学 名誉教授)の研究テーマ「物質科学のための放射光核共鳴散乱法の研究」(研究代表者:瀬戸 誠)およびSPring-8 パワーユーザー課題「先端的放射光核共鳴散乱法の開発研究およびその物質科学への応用」(研究代表者:瀬戸 誠)によって得られたもので、平成21年5月29日(米国東部時間)に発行の米国物理学会誌"Physical Review Letters"に掲載される予定です。

掲載名:

  • "Synchrotron-radiation-based Mössbauer spectroscopy"
    Makoto Seto, Ryo Masuda, Satoshi Higashitaniguchi, Shinji Kitao, Yasuhiro Kobayashi, Chika Inaba, Takaya Mitsui and Yoshitaka Yoda
    Physical Review Letters
    発行日:2009年5月29日

研究のポイント

  • 世界で初めて高エネルギー領域の放射光メスバウアー分光に成功
  • 本手法は、既存法で蓄積されたデータを活用して解析可能
  • 放射光の特性を利用したメスバウアー分光の展開が可能に

背景

 メスバウアー分光法は、物質中のある元素の状態(その元素が持つ原子価、電子構造、磁性といった情報)を調べる手法であり、これまでは主として放射性同位体線源が用いられてきました。特にFeのメスバウアー分光は物理、化学分野だけでなく生物や地球科学といった分野においても大変よく利用されてきました。例として、2004年に火星探査機が採取した試料をメスバウアー分光法を用いて分析し、火星にはかつて水が存在していたことを明らかにした事例が挙げられます。また近年、東京工業大学の細野教授の研究グループによって発見された鉄系高温超伝導体においても、Feの磁性状態測定に利用されてきました。
  しかしながら、Fe等ごく少数を除けば、各元素の測定に対応した放射性同位体線源を用意することは困難であり、寿命の短い放射性同位体線源を使用する必要のある元素の分析は大変な困難を伴っていました。それを解決する有力な方法として、大強度放射光の利用が考えられてきました。しかしながら、30keV以上の高エネルギー領域での測定には、大強度放射光に耐えられる高検出効率かつ高速な検出器が必要であるため、高い励起エネルギーの核種の測定は大きな制約を受けていました。

研究内容と成果

 メスバウアー分光法では原子核の共鳴励起現象を使って、特定の原子核周辺の電子構造や磁性についての測定を行いますが、そのために超微細相互作用という電子系と原子核系との相互作用を利用します。これは、原子核のエネルギー準位が原子核周辺の局所的な電子構造や磁性を反映してシフトしたり縮退がとけて分裂した様子を精密に測定することで、電子系に撹乱を与えることなく、その電子構造や磁性についての情報を得るというものです。これまでに放射光を用いたメスバウアー分光法として実施されていたのは、原子核のエネルギー準位間の干渉によるうなり(量子ビート)を時間領域で測定する核共鳴前方散乱法というものでした。しかしながら、この手法では高エネルギー放射光を測定することが困難であることより、本研究グループは原子核が励起準位から基底準位に崩壊するときに放出される内部転換電子蛍光X線を検出することで効率的な検出が可能となることに着目しました。このような散乱からエネルギー状態に関する情報を取り出すことは不可能ではないものの効率を落とした測定となってしまいます。そこで今回、既によく状態が分かっている基準となる物質をもう1つ用いて、それからのエネルギー差を測定することで、未知の物質の情報を得るという方法を開発しました(図1)。このような方法を用いることによって、高いエネルギー準位を有する原子核の状態も充分に測定が可能となりました。実際に、この方法が正しくメスバウアースペクトルを与えることを確かめるために大型放射光施設SPring-8にあるJAEA量子ダイナミクスビームライン(BL11XU)を用いて、よく知られているFeの酸化物であるヘマタイト(α-Fe2O3)の測定を行ったところ、そのスペクトルが放射性同位体線源を用いて得られたスペクトルと一致する事を確認することが出来ました(図2)。さらに、大型放射光施設SPring-8の共同利用ビームラインである核共鳴散乱ビームライン(BL09XU)を用いて、適当な放射性同位体線源が存在しないため測定が大変困難であった高い励起エネルギーを有するGe(Ge-73、第3励起状態68.752keV)の放射光メスバウアー測定を行い、その吸収スペクトル測定に初めて成功しました(図3)。この励起準位は寿命も短く測定が難しかったものであり、今回の成功は、この方法がほぼ全てのメスバウアー核種に適用可能であり、大変有効なものであることを示していると言えます。


図1.放射光メスバウアー吸収スペクトル測定方法

 図2. 放射光メスバウアー吸収スペクトル
測定試料にはFe酸化物(α-Fe2O3)を用い、基準試料としてはパラジウム(Pd)金属に2%のFe原子をドープ(添加)したものを用いました。
 図3. 放射光メスバウアー吸収スペクトル
測定試料にはゲルマニウム酸リチウム(Li2GeO3)を用い、基準試料としてはGe酸化物(GeO2)を用いました。

 

今後の展開

 今回の研究で、これまでには困難であった高いエネルギーを有する核種にまで放射光を用いたメスバウアー分光研究が可能となりました。また、放射性同位体線源を用いた場合には大変制約の大きかった微小試料測定、イメージング測定、複合極限下測定や全反射測定などが現実的に可能となり、材料科学をはじめとした多くの分野で利用されることが期待されます。また、注目すべきはこれまで大量のデータ蓄積がある放射性同位体線源による吸収スペクトルと同様のエネルギー領域でのスペクトルが得られることから、既存法のデータを活かしてより複雑なスペクトルの解析も容易になるものと期待できます。さらに、このようなメスバウアー核種においては、励起状態の線幅が neV ( eV)程度ととても狭いものも存在し、これを利用することでneVオーダーの分解能での準弾性散乱測定を広い運動量空間に渡って行うことが可能です。今回の研究によって核種の選択の幅が広がったことより、このような超高分解能測定が、これまでよりも大きな運動量移行を伴うような準弾性散乱でも可能となりました。更には、準弾性散乱測定を応用した、高分子のダイナミクスやガラス転移といった多様な研究の進展も期待されます。このように、今回の研究で新しい研究の可能性が開かれてきたものと考えられます。

 

  • 科学新聞(6月12日 4面)および日刊工業新聞(5月26日 27面)に掲載されました。