2018年6月26日(火) 取材地:京都大学旧演習林事務室 ラウンジ
特集 巻頭対談
木下政人
大学院農学研究科 助教
髙橋拓児
「木乃婦」 3代目主人、京都大学大学院農学研究科 修士課程修了
木下 ● 筋肉量が多く肉厚のマダイをつくるヒントになったのが「肉牛」。筋肉が異常に発達する変種が、ヨーロッパでは「ベルジアン・ブルー」や「ピエモンテ」の名前で品種化されています。
髙橋 ● 硬い肉になりそうですが……。
木下 ● ところが、柔らかい。筋肉の周りにつくコラーゲンの量が相対的に少ないので、筋の少ない赤身の牛肉です。
この牛は、DNAが変異してミオスタチンという物質が機能しなくなっていることがわかっています。ミオスタチンは筋肉細胞の増加や成長を止めるブレーキの役割をしているので、これが壊れると筋肉がどんどん増えます。
この考えをもとに、全遺伝情報(ゲノム)を自在に変えられる技術、「ゲノム編集」でミオスタチン遺伝子の機能を欠損させた。これが筋肉量を増やした肉厚マダイです
髙橋 ● ずばり、おいしいですか。
木下 ● 味はエサの違いによりますが、肉牛の例と同じで、食感は柔らかく、味も天然に引けを取りません。コリコリとした歯ごたえを求める刺身には向かないかもしれませんが、カルパッチョや鯛めしには向いているかもしれない。
髙橋 ● 同じ漁場の天然のスズキでも、背幅に異様な差があることがありますね。
木下 ● ヒレがあれば、そのスズキのミオスタチン遺伝子が壊れているかどうか判定できます。ぜひ調査させてください。(笑)
肉厚マダイは、8億個のDNAのうちの8個を失くしています。同じことは自然界でも起こり得て、私たちが調べたところ野生型のマダイでも一個体の中にDNAが8個脱落している場所は2万か所ほどあります。また、DNAが100個脱落している場所は77か所もありました。
髙橋 ● 太りやすい体質の人と、太りにくい人がいるのと同じようなことですか。
木下 ● 人によって筋肉のつき方が違うのは、ミオスタチン遺伝子だけではなくて、筋肉量を決めている他の遺伝子の影響もあるからでしょうね。
木下 ● 肉厚マダイは、和歌山県にある共同研究先の近畿大学水産研究所の水槽で飼っています。2018年は四国にたくさんの雪が降って、その冷たい水が吉野川から和歌山県沖に流れ込みました。この海水を利用している水産研究所の飼育水温も通常より低くなってしまい、寒さに弱いタイの成熟に影響しました。今年の春には数万匹になると期待していたのですが、1,000匹いればいいほうかな。
髙橋 ● ここまでに何年かかったのですか。
木下 ● 4年です。2012年に、ジェニファー・ダウドナ氏とエマニュエル・シャルパンティエ氏がゲノムを自在に変えるゲノム編集の技術、「クリスパー・キャス9」を発表したのですね。個別のDNAを狙った操作が可能で、既存の編集手法と比べて、簡単かつ高効率に遺伝子を改変できる。そこで発表から2年後に実践をはじめて、2016年に初代のタイが生まれ、2年かけて成魚にしました。
トラフグはタイと違って、食欲を抑える遺伝子を欠損させています。すると、通常は1年で600グラムほどの体重が、1キログラムを超えます。
髙橋さんは、普段どれくらいのフグをさばいているのですか。
髙橋 ● 2キログラムくらいですね。
木下 ● それだと成長するまでに3、4年かかりますね。それが1年半ほどでできる。特徴は肝臓が大きいこと。フグは食物連鎖の結果として、肝臓などに毒が貯め込まれますが、食物連鎖が成り立っていない養殖だと毒化しません。だから、養殖であるゲノム編集のトラフグの肝臓も無毒です。しかし、流通の過程で天然のトラフグの肝臓が紛れる可能性があるから、スーパーや市場などにおいしい肝臓が出まわることはないでしょうね。
髙橋 ● 淡路島のフグも肝臓が大きくて、よく肥えています。ゲノム編集のフグみたいに。(笑)
タイも個体差が大きいですね。10年前だと、形を見ればどこの産地のタイかは識別可能でした。今は、同じ地域でもいろいろなタイがいる。
木下 ● 網が破れて逃げだした養殖魚が、自然の海で繁殖しているかもしれません。
髙橋 ● まさか、ゲノム編集の魚がそうなることはないですよね。
木下 ● どうしてもその心配があるので、陸上の水槽での飼育を徹底しています。飼育から加工、流通までを一か所で完結させるのがもっともよいですから、過疎地域の産業となって、人が働く場を増やせたらと夢見ています。
ところで、鳴門のタイは特別だと聞きますね。背骨にこぶのような骨がプクっとできる。それがあると「上もの」やと。
髙橋 ● 強い潮でもまれるからだといわれます。そういう場所にはエサの甲殻類が多くておいしくなるとも……。
木下 ● 実は、肉厚マダイにその骨のこぶがよくできるのですよ。
髙橋 ● おおッ、そうなんですか。(笑)
木下 ● 原因はわかりません。潮の流れというより、鳴門のタイが遺伝的にその傾向をもっているのかもしれない。
髙橋 ● 明石や淡路のタイにも多いです。やはり、潮の流れの強いところ。
木下 ● 肉厚マダイは潮にはもまれていないけれど、筋肉が強くて骨に負担がかかるぶん、こぶができるのかもしれない。
髙橋 ● 実際のところ、養殖のタイが逃げて、養殖と天然のタイが自然交配している可能性は否定できないということなのですね。
ゲノム編集時に、ゲノムを誤って欠損させてしまうことはあるのですか。
木下 ● その確率は、原則ゼロです。クリスパー・キャス9は、細菌が自分を守るためのシステムを応用しています。(図3)侵入したウイルスのDNAを自分の体に入れ込み、2度めの侵入時に、その配列を目印にウイルスを切断して、侵入を防ぐ。20の塩基配列でウイルスDNAを認識しますが、ふたたび侵入してきたウイルスの遺伝子が少し変異している可能性があります。なので、一つ、二つ違っていても認識できるような幅をもっていて、誤った場所を切断することがある。ただ、DNAは四種類あるので、18の配列の並びは全部で600億に1回しか出てきません。タイのゲノムはDNAが8億個ですから、理論的にはゼロといえます。
髙橋 ● ただ、人が間接的に影響を与え、知らないうちに変化しているかもしれない。オゾン層にしても、壊れたことで紫外線が強くなっていますね。紫外線量の高い場所の生態系はすでに変異しているかもしれない。あるいは、化学物質が海に流れ込んで、魚がエサとともに取り込んでいるかもしれない。そんなことを考えると、ゲノム編集と自然交配とに大差がなくなっているかも、とも思ってしまう。
あとはどう消費者にアピールするかですね。天然のものが食べたい人に、ゲノム編集の食品をアピールしても無意味です。でも、必要とされるところはあるし、将来に起こるであろうことを予測して、技術を磨いておくのは大事です。
今、都市は飽食の時代。自分の好きなものや食べたいものを選べる環境です。だけど、これからもずっとこの裕福な時代が続くとは思えません。環境変化、多様な可能性に備える準備は大事ですね。人口増加や災害で空腹の人のお腹を満たすことに、ゲノム編集が役立つこともあるはずです。もちろん、量の問題だけではない。おいしいものである必要性があります。
木下 ● そうですね。「食べられ たらいいや」ということではない。
髙橋 ● そうなれば、ぼくの仕事はなくなってしまう。(笑)
養殖のタイは余って値崩れしていますから、これを太らせる需要があるかどうか。
木下 ● 私は、天然ものと同じタイをつくろうとは思っていません。違う食材として、違う料理法で食べてもらえればよい。ですから、例えば、栄養豊富なタイをつくって、それを求める人に売る戦略もあると思います。スーパーに並ぶタイをつくるのか、一部の需要を満たすタイをつくるのかなど、どういう人をターゲットにすべきかですね。「日本料理にええわ」、「いや、使いものにならん」、「スペイン料理にマッチするかも」となるかもしれない。私はあくまでも生産者で、あとは料理をする人や消費者に選んでもらえればよい。
髙橋 ● 料理も、時代や流行に合わないとヒットしません。ひと昔前は「雅」な料理がはやって、モミジやホオズキを飾ったりと、趣向を凝らしたものが多かった。今は先行きが不透明な時代だからか、若手の料理は「侘びている」んです。
木下 ● そんな違いが出てくるんですか。
髙橋 ● ぼくはバブル世代です。東京での修行中は、ディスコにも出かけていました。(笑)料理もどちらかというと派手。お皿もあえて普通より大きくして、料理も華やかに盛る。今の若い人たちは、土物の渋い皿に小さく盛る傾向があります。
ぼくも今は侘びた料理をつくったり、土物の皿をオーダーしたりしています。もともと性格はディスコなのに。(笑)嗜好に違いはあるとしても、それができる表現力をもつことは大事かなと。
十数年で流行は変わりますから、今は時代に合わなくても、能力の幅をひろくしておく。木下先生の仕事も、時代が変われば爆発的に必要とされるでしょう。
木下 ● とにかく、消費者の利益になる魚をつくりたいですね。私たちの魚は、今は外部の遺伝子を入れていません。ですから、科学的にきちんと説明すれば、みなさんにきっと受け入れてもらえるだろうと思います。
魚には、人間の脳や神経の発育、機能を高めるとされるDHAや、血液をサラサラにするEPAなどの不飽和脂肪酸が豊富に含まれています。もともとタイは自らの体内でそういう物質をつくっていたのですが、エサから吸収できるようになり、不飽和脂肪酸をつくる遺伝子が働かなくなったと考えられています。これをタイ自らがつくれるようにできればいいなとも考えています。
髙橋 ● ゲノム編集された食品を食べて、自分までゲノム編集されるのでは……など、誤ったイメージを持つ人もまだまだ多いですね。
木下 ● どうしても正確な知識の不足が理解のネックです。広報の場やサイエンス・カフェ、高校の授業に積極的に出かけているのは、できるだけ多くの人に正しい知識をもってほしいから。そうして多くの方に正確な知識を持っていただかないと、「お化けが怖い」と言っているのと同じ状況のままです。
髙橋 ● 同じ食材でも、生で食べるときと加熱して食べるときとでは、何が、どう違ってくるのかですね。加熱するとタンパク質が変性する食材もありますし。焼き魚は少し焦げているのがおいしいというが、「体にはええの?」という疑問もあります。でも、「おいしい」と食べる。(笑)
木下 ● 食の安全は、歴史が積み上げてきた結果ですね。食べるか食べないか、安心、納得して口にするかどうか。「安心」をどこで担保しているのかを尋ねてみると、子どもたちからは「偉い人が安全というから安全」という答えも返ってきます。平均的な意見は、「誰かが食べて問題なければ安全」だと。
科学的な検査の結果、「問題ありません」といっても、それは世間にはなかなか通用しない。最終的には誰かが食べて、「大丈夫です」という結果を積み上げるしかない。理論的に安全でも、まず動物で実験・実証し、ボランティアの人に食べてもらったり、血液検査をして正常であるというように、創薬と同じようなプロセスを踏まなければならないかもしれません。これがどうしてもネックになる。
髙橋 ● 「ゲノム編集」ということばに抵抗感があるのですかね。
木下 ● 濁点のつく名前はあかん、と言われたことがあります。(笑)アニメの妖怪や悪者の名前には濁点が多いでしょう。
肉厚マダイも、「マッスル・マダイ」と呼んでいたのですが、ドーピングの筋肉増強剤を連想させるのか、「化学物質のにおいがする」と、ことばから受けるイメージが良くありませんでした。なので、「肉厚マダイ」に呼び方を変えました。
髙橋 ● 情報を鵜呑みにするのではなくて、安全は自分で調べ、考える。(笑)
木下 ● 食べない選択をとるにしても、ゲノム編集とは何かを理解した上で判断するのはよいのですが……。
髙橋 ● 無農薬で育てた大豆と、農薬を使った大豆の味の官能検査に協力したことがあります。実際に収穫物を食べて、五感を使って品質や特性をチェックする検査です。無農薬の畑には他の草を植え、傷をつけました。すると、農薬をかけたほうが甘かったのです。無農薬大豆は、まわりの草が感じた危険を察知して苦味を出し、豆に苦み成分を加えることで、種子を虫などに食べられないようにしているんです。
木下 ● 大豆が他の生物から身を守るために自ら苦くしているなら、人間にも悪影響があるかもしれない。もちろん、農薬は影響がありそうだから嫌い、という人もいるでしょうし。
髙橋 ● 白味噌をつくるなら、茹でこぼしをするので無農薬の大豆でもえぐみは取れるからいい。けれども、煮豆をつくるなら農薬をかけた大豆がむいている。これも使う用途や調理法を勘案すべきですね。
木下 ● 人前でしゃべることも増えたのですが、テレビに出た後、「ああいう魚にマダイやトラフグって名前をつけないでください」と視聴者から意見がありました。天然のマダイをつくろうとはしていないので、マダイということばは外してもええかなと思っています。たとえば、「京鯛」とか。(笑)
髙橋 ● おめでたいし、合格祈願に人気がでそうですね。(笑)
木下 ● 消費者目線を重視するのは、やはり遺伝子組み換え食品のことがあるからです。組み換え食品が受け入れられなかったのは、外来の遺伝子を入れているという抵抗感。しかも、最初の遺伝子組み換え大豆は、米国の会社が農薬を売るために農薬に耐性のある大豆としてつくったものだった。「企業のお金儲けの道具ではないか」と、消費者が抵抗感を抱いたことも原因の一つでした。
食品を口にするのは消費者です。その人たちが「受け入れられない」となると、この先の研究はできなくなります。一つの批判材料が、ゲノム編集の研究全体に影響を与える可能性があるので、どうしても慎重に進めざるをえません。
肉厚マダイがほんとうに料理に使えるのか、専門家にぜひ評価してもらいたいのですよ。食べることは厚生労働省がまだ許可していないので、まずはさばき具合や手ざわりで可能性を見てほしい。
髙橋 ● よろこんで協力します。(笑)
江戸時代の料理本に、『鱧百珍』、『豆腐百珍』、『鯛百珍』など、さまざまな食材の調理法を記したレシピ本があります。これに「鱧の木屋町焼」が紹介されていたのです。開いて骨切りした2本の鱧を、皮を外にして重ねて焼いた料理です。今は、誰もその料理をつくっていないことを知り、試してみたら、なんともおいしい。身は皮と皮とに挟まれて、木屋町は鴨川と高瀬川に挟まれている。だから「木屋町焼」。こういう昔からのいわれを添えてメディアに話すとあっという間に話題になり、積極的にとりあげてもらいました。
木下 ● 肉厚マダイも「なんとか焼」って料理を考えてもらいたいですね。(笑)
髙橋 ● 『鯛百珍』を調べましょう。(笑)狙っている対象のアンテナに引っかかれば、きっと受け入れてもらえますよ。
髙橋 ● 「今以上においしくする努力って、必要?」と言われることがあります。でも、そういうインパクトを狙うよりも、ぼく自身はロマンを求めているところがあります。特に、ぼくらのような専門職――自分の裁量で仕事や研究ができる人は、お金儲け以上に、仕事そのものが好きで仕方ない、というところがありますね。そして、料理の道(道徳)に照らし合わせて判断します。その食材を使ってもよいか、無駄にしていないかなどです。それでも、若いときの料理は、十中八九がまずい。(笑)
木下 ● 私はもともと、ものづくりが好きなんですね。遺伝子を触って、さまざまな生物をつくる。そういう工作のような部分に惹かれてこの分野に入ったというのがホンネです。やがてそれが、「世の役に立つ魚をつくりたい」という思いに発展したのですが、ゲノム編集はそのツール。「こんなことしたら、どんなんができるやろ」という研究の楽しさが、私が研究を続ける原動力です。
髙橋 ● ぼくも、必要性のありそうな食材を考えて提案します。
木下 ● 基本的には、アイデアがよければ、何でもつくることができます。タイやフグは養殖技術が確立しているので取り組みやすいのです。次に考えているのは、エビやカニ、アワビ……。
髙橋 ● アワビは売れそうですね(笑)。
木下 ● アワビの貝柱は筋肉ですから、それが肉厚になれば……。それに、アワビは海水と海藻があれば、どこでも飼育できますからね。
髙橋 ● 今、アワビはアジア圏全体で必要とされていると聞きます。
木下 ● いいことを聞きました。挑戦しがいがありますね。
髙橋 ● 協力しますよ!