2016年春号
私を変えた あの人・あの言葉
八木麻紗子さん
テレビ朝日アナウンサー
(2016年3月25日掲載)
まだ幼かったころ。『ファーブル昆虫記』や『シートン動物記』を熱心に読み、野草図鑑を片手に畑で一人遊ぶ娘の姿を見て母は、「なんでこうなったんやろう」と不思議がっていたといいます。
それから十数年、「バイオテクノロジーで新たな発見をして、人の役にたちたい」と壮大な夢を抱いて農学部に入学。京阪電車に揺られての通学は心躍り、中学・高校と六年間女子校に通い続けた私にとって、個性豊かな学生が集まった大学での生活はまさに新鮮そのものでした。
しかし、ぎりぎりで合格してしまった私は、しだいに周囲との実力の差を思い知り、ドロップアウト。「自由の学風」の下では、頑張るも頑張らないも自由。授業を抜け出して構内の山羊小屋に逃げ込んだり、鴨川でボーっとしたり。それでも、「京大は単位が空から降ってくる」。まことしやかに囁かれる噂もあながちまちがいではないのか、大学三回生の夏に卒業に必要な単位を運良く取り終えました。
それからは、アルバイトをしてお金を貯めては一か月ヨーロッパを回ったり、インドに夢中になったり、自由にすごす日々。
同級生が次つぎと希望の研究室を絞り込むなか、焦りがなかったとはいえないけれど、旅先でさまざまな人と出会い、将来のことをなんとなく考えるうちに、研究の道ではなく、「人と関わる仕事、伝える仕事がしたい」という思いが芽生え、卒業後はテレビ局に就職することになりました。
アナウンサーとして仕事をするなかで、大学で学んだことが役にたつシーンは、正直なところ皆無といっていいでしょう。
でもひとつ、大学で出会った言葉がいまの自分を静かに支えています。「自由であれ。懐疑的であれ」。分子生物学だったか、いつかの授業で教授が放ったフレーズに、無防備だった私ははっとさせられました。
政治、事件、大規模災害。ニュースを伝えるうえでさまざまな情報が入ってきます。その一つひとつを鵜呑みにするのではなく、つねに疑い、あらゆる角度から物事を見る姿勢が求められていると思うのです。
正門横のカンフォーラやカフェテリア・ルネでパフェ(しかも決まってジョッキサイズ!)を食べながらあれこれ語り合った一生ものの友人。現在、一人はキャリアウーマンとなり、一人は留学にむけての準備をすすめるなど、それぞれの道を歩んでいます。
そして行き当たりばったりで生きてきた私もこの冬、母となりました。いつか子どもを連れて、大きなクスノキの下に腰かけたい。そのとき、どんなことを思うのでしょうか。
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