トピックス 2005年9月17日
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第60回京都大学原爆災害総合研究調査班遭難者の慰霊の集いを開催

京都大学原爆災害総合研究調査班遭難記念碑


写真1


写真2


 被災地 広島県佐伯郡大野町に建つこの記念碑は、菊池 武彦医学部長、脇坂 行一、木村 廉 両名誉教授をはじめ、京大関係者、広島県下の諸団体、広島県、広島市、大野町、広島市原爆障害者治療対策協議会、芝蘭会広島支部、その他多数の方々の支援により建立されました。

  設計は、京都大学工学部建築学教室 増田 友也教授の指導のもと、同教室の前田 忠直氏(現工学研究科教授)が担当、1970年9月に竣工しました。 約2,000平方メートルの土地に一番大きな三角で高さ7.2メートル、長さ26メートルの鉄筋コンクリート造りです。
銅板の写真 この碑の三角形の屏風を4枚広げたような力強い造形は、大地をふみしめて上へ飛躍する人間の復活を象徴しており、京都大学関係者を含め、犠牲者の方々の追悼と恒久平和への祈りを表しています。道はつけられておらず、ここを訪れた人の足が自然と向く造りになっています。

  奥には前田 敏男総長の書による碑文と11名の名前を刻んだ銅板があり、写真1・写真2のどちらの方向からもたどり着けるようになっています。

  写真2のくすのきの手前にある大きな岩は、山津波が発生した際、落ちてきたもので、記念碑建立後もそのままの状態で置かれており、当時の落石の凄まじさを今に伝えています。

  また、銅板の傍らに植えられた木は、京都大学のシンボルでもあるくすのきです。この木は京都から運んで植えられたもので、関係者の様々な思いがこめられています。

 この災害をもたらした枕崎台風(台風第16号)は、沖縄付近を北上し、9月17日14時頃鹿児島県枕崎市付近に上陸しました。
  枕崎(鹿児島県枕崎市)で観測された最低海面気圧916.3hPaは、室戸台風の際に室戸岬(高知県室戸市)で観測された911.6hPa(当時の記録として、もっとも低い海面気圧)に次ぐ低い値でした。台風は北東に進み、九州、四国、近畿、北陸、東北地方を通過して三陸沖へ進みました。
  宮崎県細島(灯台:海上保安庁)で最大風速51.3m/s(最大瞬間風速75.5m/s)、枕崎で40.0m/s(同62.7m/s)、広島で30.2m/s(同45.3m/s)を観測するなど猛烈な風が吹きました。(気象庁ホームページより)
  期間降水量も九州、中国地方では200mmを超えたところがあり、死者2,473名、行方不明者1,283名、負傷者2,452名、住家損壊89,839棟、浸水273,888棟(以上、理科年表より) など甚大な被害を引き起こしました。 当時のことを知る関係者は、戦争中に松ヤニを採取するため、近くの山の松の木を根まで掘り返したために、土石流が発生しやすい状態になっていたと語っています。
  また、被爆・敗戦による混乱で気象データや防災体制が不備であったことが大きな原因だと言われています。

 この災害については、1975(昭和50)年に発表された柳田 邦男氏の小説「空白の天気図」の第四章でも詳細に描かれています。